第25話 不穏な動き

『いずれここにも魔族がやって来るかもしれねえな』


 ――孤児院に荷物を届けに来たゴードンが最後に言っていた、あの言葉が現実のものとなった。あれからまもなく三週間が経とうというその日、実際に孤児院に二名の魔族がやって来たのである。マリアンヌ院長とヘレナが玄関先で応対していた。

 私は例の木のそばでシタルに朝食後の稽古をつけているところだったが、その手を止めて様子を見守った。やって来たのは単なる使いとおぼしいピーグ種の下級魔族だったが、気付かれてしまうと身バレにつながりかねなかったため、近くには行かずにその場から窺っていた。

 穏便、とまで言えるかどうか定かではないものの、見た限り、ごくふつうにやり取りしていたように見えた。魔族たちが何かを伝え、マリアンヌ院長とヘレナはそれをうなずきながら聞いていた。まもなくヘレナが踵を返し、建物内へ消えた。ほどなくして戻ってきたヘレナは何やら紙の束らしきものを持っていて、それを魔族に手渡した。そして何かを尋ねたようだったが、魔族たちはかぶりを振って去って行った。


 シタルとの稽古を終えると私は執務室へ足を運んだ。マリアンヌ院長もヘレナも机にむかって腰かけていた。どちらの顔にも薄く影が落ちているようである。


「ここの名簿を要求されたのであるか」


 私は訊いた。


「マオー……見ていたの」


 そう応えるヘレナの声にはいつもの張りがなかった。


「うん、そう。ここにいる人たちぜんいんの名前が確認できるものを、って」

「おまえは最後に連中に質問をしていたようだが」

「名簿、何に使うんですかって、そう訊いたの。答えてはもらえなかったけれどね。『ラメラス様の命令であって、目的はわれわれの関知するところではないのだブヒ』だって」

「そうか……」


 ヘレナが、ふと何かを思い出したかのように「あ」と声を出した。


「ねえ、院長……提出した名簿、以前からあったものだから、マオーとミレーの名前が記載されてません」

「え? ああ、そう……でもそれは、仕方ないんじゃないかしら……新しく作り直して、もしまた求められたらその時に事情を話して渡せば」

「そうですよね。そうします」

「それにしても……何もなければいいのですけどねえ」


 マリアンヌ院長が、そう顔を曇らせながら溜め息交じりに言った。



 部屋へ戻って少しくつろいでから、私はミレージュラの部屋を訪ねた。名簿の一件がらみで伝えておきたいことがあったのである。

 当然のことながら、ノックもなしにいきなり扉を開けてミレージュラの逆鱗にふれ、怒鳴られるというような失態は犯してはいない。ちゃんと扉をノックをし、「私である」と伝え、「どうぞである」とのミレージュラの返事を聞いてから入室した。私にだって学習能力はあるのだ。


「こうやって二人だけで話すのは久しぶりって感じがするねー」


 丸テーブルにむかって爪にマニキュアを塗りながら、ミレージュラは言った。


「確かに、そうであるな」

「シタルに剣術の稽古つけてあげてるみたいだけどさー、どーなのよ」

「率直に言って、大したものである。あの資質は並大抵のものではない。一を教えれば十を学ぶ、といった感じだ。いや、教えずとも勝手に学んでゆく、と言ったほうが正しいかもしれん。飲み込みも早く、日ごとに成長してゆくようである」

「マオーちゃんがそこまで言うなんて、ソートーだねー」


 ミレージュラはそこで、作業の手を止めた。マニキュアをテーブルに置き、私を見る。


「それにしても、どーゆーいきさつでそうなったんだか知らないけどさ、ずいぶん大胆なことするねえ、マオーちゃんも。初日にシタルが言ってたこと、もちろんわかってるんでしょ?」

「ああ、むろんだ」


 いつかかならず魔王メディウス13世(私)を討ち、魔族から人の世を取り戻す――ミレージュラは、シタルのそのセリフのことを言っているのだろう。


「そりゃまあ、まかりまちがってもあの子の実力がマオーちゃんを凌ぐようなことにはならないだろうけどさー、成長次第では脅威にはなり得るよね。それでも稽古は続けるわけ?」

「シタルが望む限りは続けるつもりだ」

「マオーちゃん討伐を心に誓ってる以上、あの子はあたしたちにとって一つのリスクだよ。それでも?」

「変な話だが――」


 私は口を開き、そこで一度間を置いてから続けた。


「シタルの力になってやりたい。私はそう思ったのである。稽古をつけてほしいと懇願してきた際の、シタルのあのまなざしを受け止めた時に」

「最終的な目的がマオーちゃんをやっつけることであっても?」

「そうなのだ。まったく馬鹿げていると、自分でも思う。変な話と言ったのは、そういうことだ。シタルは私を倒そうと考えている。そのために強くなりたいと望み、その助力を私に求めてきた。私は(トモダチになるという条件と引き換えにだが)それに応じ、修行をつけさせてやっている。ある意味、自殺行為である」

「もし、あの子がマオーちゃんを超えるようなことになれば、ねー」


 ミレージュラはいたずらっぽく笑んでいる。


「万一にもそんなことにはならないって、そう思ってるんでしょ、マオーちゃん?」


 いちいち鋭い。昔からそうであった。

 私はふっと笑いを洩らす。


「まあな。シタルは確かに人間としては傑出した才気の持ち主である。伸びしろも底が見えぬ。だが、いくらなんでも私を超えたりはすまい」

「同感ぜよ。だからマオーちゃんの好きにすればいいとは思うけどさ」


 ミレージュラは頬杖をつき、つかのま横に流した視線を遠くしていたが、その顔を、つと私に向けてきた。


「それで、なあに、マオーちゃん。何か話があって来たんだべや?」

「ああ――」 


 ラメラスに会いにポートクレイクへ行く。私が伝えたのはそういった内容だった。彼が配下を使ってポートクレイク及びセントミリアム孤児院の人間たちの名簿を提出させている、その目的がどうしても気がかりだったためだ。


「ラメラスに? またあ?」


 ミレージュラはわかりやすく苦々しげな顔をしている。無理もない。町へ来た初日に労いのために訪問した私はラメラスから無礼な態度と嫌味を受け、不快な思いをした。その時の愚痴を彼女には聞いてもらっているのだ。


「心配するな。あくまで名簿の件で真相を聞き出しに行くだけだ。諍いを起こすつもりはない」

「そりゃーマオーちゃんは喧嘩腰じゃないだろうけどさあ、むこうがなー」

「確かに、またラメラスに不躾な態度を取られて不愉快な思いをするかもしれぬ。だが、私はやはり奴の目的が気になってならないのである。奴は明らかにそれを人間にはひた隠しにしているようだ。それゆえ、なおさらな」

「まあ、ラメラスも、人間相手には口を割らなくたって、マオーちゃん相手にだんまり決め込むとは思えないけどさー」

「そういうことだ。目的を聞き出し、場合によっては人間たちに注意喚起、警戒を促す。度を越えた内容ならば、私が直接、ストップをかけるかもしれん」


 ミレージュラは、何も言わずに私を眺めている。


「……何だ」


 訊くと、くすと小さく笑いを洩らした。


「いんやー。いろいろと異例尽くしの魔王様でんなあ、と。有史以来初となる勇者一行の討伐。ところがエヴィリピア創設には着手しないで、戦いを終えてやりたいのは思い切り遊ぶこと。その相手を探すために角を取ってまでして人間たちの居住区域に紛れ込んだかと思えば、今度は身近な人間たちの暮らしの平穏を守ろうとしてる、なんてねー」

「何を言う。べ、べつに人間たちを守る意図などないぞ。私はあくまで魔王として、部下の業務内容やその進捗を把握し、管理に当たる必要性から……あ」


 そこである事実に気づき、愕然となった。


「なあにー?」

「い、いや……ミレージュラ……わかっていたのか、今回の旅の目的……一緒に遊ぶ相手、つまりトモダチを探すという……」

「訊いたじゃんよ。これってひょっとして友達作りのための旅なんじゃないのーって、船に乗り込んですぐの頃にさー」

「そ、それはそうだが……私はあの時、おまえの問いを否定したはずだ」

「マオーちゃん」とミレージュラが、私の顔をしげしげと覗き込む。「何百年来の付き合いだと思ってるう? 言っとくけどマオーちゃん、嘘つく才能も隠し事する才能もゼロなんだからね? 自覚してね?」


 なんということだ。躍起になって秘密にしようとして馬鹿を見た。しかし、思えばミレージュラはそれを知りながら私を嘲弄するようなことはなかったのだから、そもそも内緒にするような必要はなかったというわけか。彼女には、もっと胸襟を開いても良いのかもしれぬ。


「あ、そうだマオーちゃん。あたしも一緒に行くよ、ポートクレイク」


 ミレージュラがいきなり言う。


「ラメラスに会うのは嫌なのではなかったのか?」

「あいつに会うつもりはないよん。あたしの目的は、それとはまーったく、べーつ」

「そうか……まあ、好きにするがいい」

「そのためには、もう一人、連れてかなきゃいけない子がいるんだけどねー」

「何?」

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