第24話 シタルの願い
名簿の提出――。
確かに気がかりなことではあった。ゴードンが言っていたように、魔族というのは無駄なことはしない傾向がある。むろん人間とて進んで無駄なことはすまいが、魔族の場合はとくにその性質が強いということだ。とくに今回の場合のように異種族へコミットするようなケースでは、何かしら明確な理由、目的があると見ていいだろう。
バックにいるのがラメラスだというのが、ことさら私には気がかりだった。これでも彼を配下として長らく見てきた立場だ。何かよからぬことを企てているのでは、と思えてならない。同族を疑いの目で見るなど良い趣味とは言えぬし、私自身、快いものではないが。
だが、それはそれとして――
孤児院における私の立場は何ら変わり映えのしないものであった。三度の食事の席でヘレナや他の子供たちとのちょっとした交流こそあれ、その席を離れたプライベートな時間を共有できるような、まあつまりトモダチができる気配は一向にない。はっきり言ってどのように話しかければいいのか、どんな内容の話題を持ちかければいいのかが見当も付かず、一歩を踏み出そうにも踏み出しようがないのである。
ちょっとした転機が訪れたのは、そんなある日のことであった。
自室に引きこもり気味だった私はその日、気まぐれからふらっと外へ出て、敷地内をぶらついていた。楽しげにはしゃぎ、遊んでいる他の子供たちを横目にあてどもなく歩き、やがて敷地の片隅にある大きな木のところまで来た。
(……そう言えば、勇者一行との戦いが終わってからというもの、すっかり体を動かさなくなっているな)
木の幹に立てかけられたシタルの木刀を見下ろしながら、私はふとそう思ったのである。
(いかんな、これでは体がなまってしまう。いや、すでになまっているかもしれん。ちょっと試してみるか。場合によっては鍛錬し直す必要もあるだろうしな)
私は木に近付き、木刀を手に取った。剣、と言えば私には勇者たちを葬り去った愛用の魔剣、エンディレギールの印象が強く、あのずしりとした重厚感が記憶に根付いている。ガディリアデウムに置いてきたあの剣に比して今、手の中にある木刀は羽毛かと思うほど軽い。これでは素振りも手応えあるまいが、まあ致し方あるまい。
私は片手で無雑作に木刀を振った。太刀筋がまっすぐ空気を裂き、びゅんっと風が起きる。
「ふむ……」
今度は両手に持ち替え、やや腰を落として構えた。
眼前に、勇者の姿を思い浮かべる。場面は魔王城ガディリアデウム正面の荒れ地。岩山に囲まれた、草木も生えぬ荒野だ。
木刀を振る。ステップを踏みながら、上下左右、四方八方、縦横無尽に振ってゆく。風がごうっと巻き起こり、あたりの草木をなびかせた。木の葉がざわつき、枝が揺れる。一振りごとに土埃がぶわっと舞い上がり、渦を巻く――
つかのま、木刀の素振りを続けていてから、私は動きを止めた。
(ほう……意外と衰えぬものだな。勇者一行との戦いから数か月が経つが、思った以上によく動ける。剣腕の錆び付きもないようだ。これなら今、勇者が復活したとしてもまともに渡り合えるだろう)
そんなふうに考えたところで、思わず笑いが洩れた。
(勇者が復活、だと? ふ、何を妄想めいたことを……)
一人肩を揺らしていたが、そこでふと、背後に気配を感じた。
振り向くと、シタルだった。いつのまにやって来ていたのか、少し離れたところに立ち、無表情に私を眺めている。
「し……シタル」
動揺を隠し切れなかった。しかし冷静に考えてみれば動揺するほどのことは何もないはずだ。今の私の動きや剣腕、太刀により強風を巻き起こすといった芸当が、凡百の人間に真似のできるものでないことは明らかである。
だが、だからと言って、それがすぐさま魔王という正体に結び付くものでもあるまい。
「き、来ていたのか……つまらぬものを見せたな」
言いながら、私は努めて平静さを取り戻そうとする。シタルのほうへ歩いてゆき、木刀を差し出した。
「これから稽古するのであろう。返すぞ」
「あなたは――」
シタルはしかし、木刀を受け取ろうとはせずに口を開いた。まっすぐに私を見ている。その瞳にも、とくに大きな感情の動きと呼べるようなものはなかったが、まるで海底に眠る火山のマグマのような静かな熱を、私は見たような気がした――ほんの一瞬のことではあるが。
「あなたは」
「な……何だ」
「誰」
ぎくりとなる。私が魔王メディウス13世だと見抜いたわけではあるまい。だが、その正体につながりうる何かしらの要素を感知したのではないかと、そう思ったのだ。
「何者」
私が答えるより先に、シタルが続けた。
私は、少しのあいだシタルのまっすぐな瞳を見返していたが、まもなくふっと笑いを洩らした。シタルの小さな手を取り、なかば強引に木刀を握らせる。
「何者でもない。私はマオーだ」
そうとだけ言い残して踵を返し、建物に向かう。
しかし、この一件はこれで終わらなかった。悪いほうに、ではない。結論から言えば、私が疑い、懸念したようなことはなかった。つまりシタルは私の正体に感づいてあのような質問をぶつけてきたわけではなかったということだ――おそらく、ではあるが。
翌日、朝食のあと部屋でくつろいでいるところへ、シタルがやって来た。扉がノックされ、ミレージュラかヘレナだろうと高を括って開けに向かうと、立っていたのはシタルだった。
昨日の今日であったため、一瞬ひやりとしたことは否めない。しかしシタルが切り出した内容は、私のまったく予期していなかったものだった。
「お願い。稽古を」
シタルはそう言って、一本の木刀を差し出してきた。見れば、もう一方の手でも木刀を握っている。差し出されたほうは新しく作ったものらしい。
「稽古……だと」
「あなたは、強い……とても、強いと思う。たぶん……いいえ、まちがいなく、私よりも」
シタルが口を動かす。まばたき一つせず、私を見据えたまま。
「私は、強くなりたい……今よりも、もっと、もっと……強く、なりたい。ならなきゃ、ならない。私は。だから」
シタルは、そこで口をつぐんだ。差し出している木刀をそのままに、まっすぐ、しかし無表情に、私を見据えてくる。
「おまえはじゅうぶん強いではないか。いつも窓越しに素振りの様子を眺めていたぞ。ワイバーン二匹との立ち回りもみごとであったし、これ以上強くなってどうするのだ」
「……話した」
話した――
むろん、覚えている。初めて食堂で食事をした際、シタルははっきりと言っていた。いつか、かならず私を、魔王メディウス13世を討つ、と。私を打ち倒し、魔族から人の世を取り戻す、と――静かに、しかし揺らぎのない、強い決意を秘めた口ぶりで。
私は、なおしばらくシタルの顔を見返していた。私を見つめるシタルの瞳には曇りがない。ブレもない。そこにあるのは限りなく静謐で、そして熱い炎だ。
強く、美しい光――私の胸は、その頑なで一途な光に確かに揺り動かされたようであった。
「いいだろう」
私は、やがて言った。
「だが……一つだけ条件がある」
「……何」
「おまえがもし私のもとでじゅうぶんに、おまえ自身が満足ゆくほど強くなれたのなら、その時は……その時は、私のトモダチになってもらおう」
心の奥底にしまい込んでいたものを引っ張り出し、思い切って相手の目の前に晒してみせたような、そんな心地であった。
「そして……そして、他のトモダチと遊ぶのだ。皆でワイワイするのだ」
そう――何年後になるかわからぬが、シタルが私のもとでじゅうぶんに強くなった頃――その時には、おそらく……いやまちがいなく、私も一定レベルのトモダチ作りのスキルを獲得し、結果として新たなトモダチが大勢できていることであろう。その、まだ見ぬトモダチと、皆で遊ぶ。ワイワイする――最高ではないか。想像しただけで胸が弾んでくるぞ。
シタルよ。おまえにはトモダチ第一号としてそこに加わってもらおう。それが、私がおまえに稽古をつける交換条件だ。
シタルは、何も言わない。相変わらず黙ったまま、同じ無表情で私を見つめている。私の言葉をどう受け止め、どう感じ、どう思っているか、さっぱり伝わってこない。
やがて彼女は、私に差し出している木刀を動かした。といっても、ほんのわずかに、だ。ぐいと、さらに突き出してきたのである。
「お願い」とだけ言った。
了承か拒否か、はっきりしない。交換条件として提示した以上、なお稽古を求めるのなら了承の意味に捉えても支障はなさそうであるが、定かではない。
だが、まあ、ここは「了承」の意として受け止めさせてもらおう。
「新しく木刀を作る労力と時間を無に帰させるのも、野暮というものである」
私は独り言のようにそう言って、シタルから木刀を受け取った。
〇
ほんの小さな変化ではある。しかしそれまでほとんど他の子供たちとの交流のなかった私にとっては、きわめて貴重な一歩であった。
稽古は基本的に一日三回。朝食のあと、昼食のあと、そして小一時間ばかり休憩を挟んで夕飯前にもう一度。
とくに剣技の理論を叩き込むわけではない。私はただシタルと向き合い、その太刀を受け止めるだけだ。受け止め、捌く――その、ほとんど感情と呼べる感情の窺えない面差しの中にある、頑なでひたむきで芯の通った、強いまなざしを受け止めると共に。
「驚いたわ、マオー! あなた、剣術の心得があったのね!」
ある日の昼食の席で、驚きを示したのはヘレナである。まわりで子供たちが同意し、うなずいている。その頃には私がシタルと木刀を交わらせていることは孤児院中に知れ渡っていた。中には稽古中の私たちのところへやって来て、その様子を観賞する者たちもあった。
「凄いんだよ、マオー! めっちゃ強いんだ!」「ほんとほんと! シタルがぜんぜん敵わないんだもん!」「シタルが子供扱いだよ!」「どっちみち子供じゃん!」――子供たちが興奮気味に騒ぎ立てた。
「べつだん大したことはない。こういうご時世ゆえ、己の身ぐらいは己で守れねばとの思いから、多少なりとも鍛錬らしきものをしてきただけである」
「へっ、くだらねぇ! 二人で勇者ごっこかよ!」
嫌味をかましてきたのはドニファンだ。この時に限った話ではない。何が気に食わないのか知らぬが、私がシタルに稽古をつけてやっていることに対して、ドニファンはことさらにケチをつけ、文句を言い、つっかかってくるのである。
このあいだなど、私がシタルの横に立って剣の構えを教授しているところへずかずかとやって来て、「いちいち距離が近ェんだよ! そんなにそばに寄るな!」などと怒鳴り込んできたものであった。
わけがわからぬ。あるていどは近くにいなければシタルに構えを正確に確認してもらうことができないのだから、離れろなどと無理な注文をしないでもらいたいものだ。いったいなんだというのだ、と思うものの、いつものことなので気にはしなかったが。
「勇者だ! 勇者だ!」「勇者マオーと勇者シタルだ!」「かっけえ!」
また子供たちが騒ぎ立てる。
「ねえ、二人で魔王をやっつけてよ!」「そーだよ、マオーとシタルの二人でなら勝てるんじゃない!」
二人で、か……知らぬがゆえとはいえ、無邪気なものだ。だが愚かとは思わぬ。むしろ微笑ましいものである。彼らの無垢で屈託のない様に接するにつけ、心がほっこりしてくる。むろんそれは、今に始まったことではないが。
シタルは子供たちに応えず、黙々とパンを口に運んでいる。
「……そうだな。もしシタルが私の力を必要とするのなら、その時には協力しよう」
私がそう言ったことで、子供たちはさらに沸き、盛り上がった。なんとも愛らしい連中である。
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