第22話 素直になれなくて

 ……はっきり言おう。私はショックであった。いや、並大抵のショックではなかった、とさえ言っていい。

 もとより他者から提言を拒絶されるという経験をほとんどしてこなかった。王に即位してからはとくにそうで、私の指示や命令は絶対であり、配下たる魔族たちはどんな内容であれそれを受け入れ、従った。すべて、私の意のままであった。言い方を変えれば、私には相手に拒否される耐性がまったく備わってこなかった、ということだ。

 そんな私が、それこそ断崖から飛び降りるも同然の覚悟で切り出した話であったのに、それをこうまではっきりと、安々と蹴られてしまうとは。この衝撃、屈辱。しかも相手は魔族よりも下等だと信じて疑わずにきた人間である。おお――なんということだ!


 ついでながらドニファンが言い放った「いんきゃ」と「こみゅしょう」なる単語については、同じ日の晩、ミレージュラに尋ねていた。ドニファンに面と向かって投げつけられたのだがいかなる意味合いか知っているか、と。

 しかしミレージュラはめずらしく困ったような顔をし、


「知らぬが神、っていうことわざもあるみたいだよ、マオーちゃん」


 ――そう答えただけであった。



 トモダチ作りの強行突破を試みるも奏功せず、打ちひしがれた私はその日からというもの、あまり積極的に外へ出て行かなくなった。食事が終わるといそいそと自室へ引きこもり、ベッドにごろんと横になって当てもない思索の海に身をゆだねるか、せいぜいが部屋の窓から庭で無邪気に遊ぶ子供たちの様子を指をくわえて眺めるぐらいのものであった。

 一方でミレージュラがどんな様子であったか、であるが――というか、話さずともだいたい察せられるのではないか? 初日からして目覚ましかった彼女の順応性と適応力は、やはり天晴れなものであった。比較的年齢の近い娘たちとは「えーマジ?」「ウケる!」「ヤバい!」などと楽しげに喋り、年少組に対しては年上のお姉さんといった感じで同じく年長組のナタリーと共に彼らの面倒を見る――そんな光景をを目の当たりにするのも、もはや日常茶飯事だ。みごとである。じつにみごとである。


 そしてそんな彼女を見るにつけ、なぜか私の胸はシクシクと疼くのだ。


 う……。


                〇


 にっちもさっちもいかない日々は続き、一向に終幕を迎える気配を見せなかった。 

 その日、昼過ぎにミレージュラが私の部屋を訪ねてきた。私はいつものように窓辺の椅子に腰かけ、外で遊ぶ皆の様子を眺めていたところであった。ドアがノックされ、誰かが訪ねてきてくれたことに仄かな喜びを覚えるも、平静を装い「何者か」と低く返事をすると、「あたしだよー」とミレージュラの声である。


「入って構わん」


 入室を許可すると、控えめにドアが開けられた。部屋には入ってこず、ドアの隙間から窺うように顔を覗かせている。


「マオーちゃーん……」

「な、何だ。貴重な一人の時間である。用件は手短に頼むぞ」


 ミレージュラの顔には何やら相手を慮るというか心配そうにするような気配が漂っていたため、私は開口一番にそう虚勢を張ったのだった。そばにいてもらえるならいつまででもそばにいてほしいとさえ思っているというのに、「手短に」とは我ながら聞いて呆れる。


「……大丈夫ゥ?」

「な、何のことだ。私は強靭な精神力を持つゆえ独りぼっちでいても少しも寂しくなどないし、心に傷を負ってもいない。今も外の様子を眺め、ほっこりしていたところである。子供たちの闊達な様は見ているだけで気持ちを明るく朗らかにしてくれるものだ。といっても、べつに彼らの仲間入りを果たしたいなどと考えているわけではないがな。はは、は……」

「ああ、うん……それならいーけどさあ」

「断っておくがな、ミレージュラ。私は確かにおまえのようには人間たちに溶け込んでいない。だがそれは溶け込めていないのではなく、敢えてそうしているのだ。この一週間ほどの期間でわかったことは、やはり人間というものは父上が再三おっしゃってきたように、魔族に比べて下等な生き物であるということだ。そんな種族と打ち解けるなど、魔王たる私のすべきことではない。それゆえ私はみずから進んで孤独を選んでいるのである」

「へ、へー……そーなんだ?」

「そういうことだ。それで、何用か」

「うん、今日天気いいしさー、ナタリーたちと焼き菓子焼いてみんなで庭でお茶しよーって話になってんだよねー。それで、マオーちゃんも一緒にどーかな? って思ってさー」

「な……な……」


 何いィ!?


「ナタリーがねー、『マオーくんにも声かけてあげたらどうかな』って」


 おおぉ……手作り焼き菓子を持ち寄って庭でティータイム、だと。何たる魅惑的な響きであろう。皆でワイワイ喫食をするということか。それこそ私のやりたいことではないか。渡りに船、と言うが、これをそう呼ばずして何をそう呼ぶのであろう。

 きらきらと輝く一等客室の乗船チケットは目の前にある。私は素直にそれを受け取り、船に乗り込めば良いだけのことであった。


 それなのに……それなのに、なぜ……なぜ、私は、それができぬ。


「いや……せっかくの誘いだが、私は忙しいゆえ遠慮させてもらおう。それに、人間たちと興趣を共にするなど、魔王としての沽券にも関わるしな」


 誰だ? いったい誰なのだ、そのようなことを言ったのは?――と言いたくなるぐらい、そのセリフは私自身の心の真実からかけ離れたものであった。だいたい何だ、忙しいとは。食事のあとは毎度毎度自室に引きこもって窓外の子供たちへと羨望のまなざしを注ぐか、悶々と無内容な考え事に耽るだけの毎日の、いったいどこが忙しいのだ。


「そっかー、残念。じゃ、またねえ」


 そう言って、ひらひらと手を振るミレージュラ。

「う、うむ……」

 ま、待ってくれ! 行かないでくれミレージュラ! もう少し粘れば説得には成功するかもしれ――



 ――バタン、と扉が閉まる音を聞く。



 部屋に残されたのは、底知れない静寂である。そして私の胸に残されたのは強烈な後悔と自責の念、そして虚しさである。


 それから二時間ほどが経った頃であろうか、庭の隅にシートを敷いて腰かけ、バスケットにたっぷり入った焼き菓子と紅茶を楽しみながら歓談するミレージュラやナタリーたち女子グループを目にすることとなったのは。

 私はまた心がシクシク疼き……はしない。胸が締め付けられるような感覚に苛まれ……などしない。得も言われぬ寂しさに駆られ……るわけがあるまい。ただ羨ま……微笑ましく思いながら眺めていただけだ。

 嘘ではないぞ……うむ、嘘ではない。


(皆、じつに楽しそうであるな。選択さえ誤らなければ、私もあの中に……くっ)


 見れば、ティータイムメンバーの中にはあのシタルもいた。彼女も比較的一人でいることが多いのだが、ミレージュラたちに誘われて乗ったといったところだろう。どこかの魔王のように見栄と強がりからせっかくの誘いを断るような愚か者ではないということだ。

 ただ、シタルが皆と過ごしていたのは喫食を終えるまでのあいだのことだった。その間もとくに自分から進んで口を開いたようには見えなかったが、リスのように口いっぱいに焼き菓子を頬張り、紅茶でがぶがぶと流し込むと、雑談もそこそこに腰を上げ、場を離れた。

 彼女が向かったのは庭の片隅に生えている大きな木のそばであった。その幹に立てかけてあった木刀をやおら手にし、両手で構え、素振りを始めた。

 じつのところ、これはめずらしい光景ではない。というより、一人でいることの多いシタルの時間の過ごし方としては、わりと多いほうなのではないか。庭の片隅での、木刀の素振り――彼女はじつにしばしばこれをおこなっている。黙々と、脇目も振らずに。鍛錬のつもりなのだろう。

 素振りの際、シタルは「敵」の存在を明確にイメージしているようだ。動きを見ていれば、そのぐらいのことはわかる。頭の中で眼前の敵を想定し、それと相対している。

 その「敵」というのは、もちろん――


(なるほど、いずれ私を討つと皆の前で宣言するだけのことはあるな。良い動きである)


 一人鍛錬に励むシタルを窓越しに眺めながら、私は感心した。彼女は前後左右へとしきりに軽快なステップを踏みながら、矢継ぎ早に太刀を繰り出している。ひゅひゅひゅん、と木刀が空気を裂く音がここまで聞こえてきそうだ。


(剣技の下地はじゅうにぶんに備わっていると言ってよかろう。ただ、やはりだいぶ粗削りであるな。そこいらの魔物ていどならば退けるのもたやすいだろうが、あれでは格上の敵を相手にした時に命取りだ。この調子で突き進んでも、いつかどこかで命を落とすであろう。おそらく剣術の習得はほとんど独学によるものと思われるが、師に恵まれぬとは哀れな娘である。傑出した才気や資質があるだけに、なおさらその感を否めぬ)


 傑出した才気、資質――私は世辞を言うタチではないため(というより部屋には私一人しかいないのに誰に世辞を言うというのだ?)、これはまぎれもない事実である。ワイバーンとの立ち回りの際にすでに感じていたように、並みの人間の動きではない。おまけに彼女の中には無限にも思われる伸びしろが控えているのが手に取るようにわかる。このまま精進してゆけば、たとえば、そうだな……勇者と共に私と対峙した戦士――あの者ぐらいのレベルには達するのではないだろうか。

 ただし、それは優れた師のもとで修行に励んだ場合のことだ。今のように独学でやっていては、それも困難であろう。じつにもったいない話である。


 ん? もったいない? 


 いや、待て待て……シタルは魔王(私)の討伐を目標に掲げて鍛錬しているのだぞ。仮にこのまま彼女が強くなった場合、最終的に対峙することになるのは他の誰でもない、この私ではないか。その私が彼女の才能の埋没を「もったいない」などと言うのも、まったくもって妙な話である。私がすべきなのはむしろ、この芽が大樹となる前に芽のまま潰すことなのではないか。父上ならばまちがいなくそうされただろう。


『潜在的な脅威は早いうちに摘む。これは戦乱の世における一つの最適解だぞ、ジュニアよ』


 いつだったか父上はそうおっしゃっていたものだ。

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