第21話 いんきゃ?こみゅしょう?なんだ、それは
人間相手のトモダチ作りに少しでも手こずるなどと、どうして思えただろう。思えるはずがない。そんなものは余裕だと、高を括っていた。明確に計画を立てていたわけではないが、長く見積もっても一週間で目的は達成されるだろうと、私はざっくりそう考えていた――そう、母上にむかって強気で宣言したように、だ。
だから、信じがたい。このセントミリアム孤児院に入って一週間が経とうというのに、一人としてトモダチらしき相手ができていないというこの現実が、だ。
信じられぬ。ひたすら信じられぬ。嘘のようだ。この私がトモダチ作りに手こずるなど、まったくもって信じられぬ!
起床は八時。借りた寝巻からいつもの黒を基調とした詰襟に着替え(さすがにマントは窮屈なので孤児院に来てからは身に着けていない)、食堂の隣にある大広間へ。朝はかならずここへ集まるようヘレナから言われている。室内は例によって子供たちがわあきゃあわあきゃあと大騒ぎだ。まったく朝から元気なものである。
まずは儀式から始まる。子供たちは部屋の壁を背にぐるっと円を描くように立つ。まあ、かくいう私も含め、ということだが。
大広間の隅にはピアノが置いてあって、ヘレナはそこへかけている。ポーン、ポーン、と何度か鍵盤を鳴らすのは、音の確認のみならず、子供たちを静かにさせるためでもあるらしい。実際、そうしているうちに子供たちは徐々に大騒ぎをやめ、おとなしくなってゆく。
ヘレナがピアノを演奏する。そして、歌う――
「♪このォおオォ~~~ひろォおぉいイィ~~~~~せか~~アぁいにイィい~~~~わたアァあァ~~しイィイ~~~たちイィいぃイ~~はアァ~~~~ぅいきてエぇェえ~~いルゥうぅううゥ~~~~~ウ♪」
――いったい何だ、これは。
耳にするにつけ、その疑問を否めない。何だ、何だというのだ、この音程しっちゃかめっちゃかな旋律は……まるでありとあらゆる音が職務を放棄して四方八方へ逃げ出してしまっているかのようだ。いや、そもそもこれは旋律なのか? それ以前にこれは歌として成立しているのか? もしこれを歌と呼べるのならば、われわれは「歌」という概念を一から再構築しなければならぬのではないか?
だが、そんな疑念が頭を渦巻く私をヨソに、子供たちは楽しそうにリズムを取りながら手拍子をしている。体を揺らし、手を打ち鳴らし、中には一緒になって歌う者たちもいた。
他の子どもたちと同じように手拍子を送りながら口を動かすナタリーの隣で、シタルがたたずんでじっとしている。視線も正面の壁に向けられたまま、ぴくりとも動かない。いつものことだ。
少し離れたところでは私たちが来た初日にシタルと小競り合い(といってもシタルの圧勝ではあったが)を起こしたドニファンと彼の手下二名がかったるそうに床に足を投げ出して座り、やってられるかよとばかりに大あくびを放っている。これもいつものことだ。
そして、私の隣ではミレージュラが、巧みにリズムを取り、口を動かしながら手拍子をしているのだった。驚くべきことに、ある日からではなく、初日にいきなりである。人間の子供相手に給仕みたいな真似事をしていたことといい、なんという適応力、順応性であろうか。私も見習いたいものであるが、それができるのならこんなに苦労はしない。何とも言えぬ気恥ずかしさに駆られながら、手持ち無沙汰にたたずむ毎日だ。
私の視線に気づいたミレージュラが、手拍子を続けながら微笑み、ウインクを送ってくる。じつに愛らしく、魅惑的なしぐさである。
この朝の珍妙な儀式が終わるとヘレナの他に五名ばかりいる保育士たちも交えて食堂で食事となり(メニューは例によって粗末なものだ)、そのあとは十二歳以下の年少組と私を含む年長組にわかれる。年少組はさらに複数のクラスにわかれ、別室にて保育士たちが読み書きを始めとした勉強を施すらしい。年長組はと言えば、自由の身である。
おそらくトモダチ作りに励むとすればこの時間を活用するべきだと思われるのだが、ここで初日から大問題が発生していた。
(だ、だめだ……トモダチを作ると一口に言っても、どのように立ち振る舞えばいいのかがさっぱりわからぬ)
とまあ、恥を忍んで真実を晒せばこういうことである。
(トモダチを作るのに必要なのは「ふれあい」だと、母上はそうおっしゃられた。つまり交流を経てトモダチになるということだ……まずは誰かしらに話しかけてみればいいのだろうが、そもそも誰に、どんな話を持ちかければいいのかが皆目、見当もつかぬ。思えば私は他の魔族たちとは王として接してきただけだ。裏を返せばそれしか経験がなく、トモダチを作るという目的意識を持ってそれに臨んだことは一度としてない……くっ、それゆえのスキル不足か)
そこまで考えて、さらに気づく。
(いや、ちがう……「不足」しているのではない。絶望的なまでに、壊滅的なまでに、それは私の中に欠損しているのだ――「不足」ではなく「皆無」なのだ!)
今日も今日とて私はこんな具合に思索に耽りながら敷地内のあちこちを何となく歩くのだが、事態が改善する兆しのようなものはまったくと言っていいほど見られず、お先真っ暗という状況は変わらず、打開の道が開かれる気配はない。
年長組は年少組に比して圧倒的に数が少ないので、ターゲットになり得る対象というのは男女含めてもそれほど多くはないのだが、それでもその選定に難航し、遅々として進まず、あまつさえ話題など微塵も浮かんではこないのだ。これが絶望でなくて何であろう。
(止むを得ん、強行突破といくか……戦いにおいても、時としてなりふり構わぬ強引な手法が打開のきっかけとなることもあるからな)
そう考えた私は庭の中ほどでボールを蹴り合っていたドニファン一派のもとへ歩み寄っていった。
「お……おまえたち」
緊張を悟られないよう平静さを取り繕いながら、声をかける。
ドニファンが、手下の蹴ったボールを片脚で受け止め、こちらを向く。彼のむかいにいる手下二名も振り向き、私を見ていた(ついでながら手下の名はそれぞれフランツとピーターというらしい。小太りがフランツ、チビがピーターだ)。
「あ? 何だよ?」
そう言うドニファンは眉を互い違いにしている。お世辞にも友好的とは言えぬ面差しだが、負けるな、私。ここで退いてはトモダチなどいつまで経ってもできぬぞ。
「悪くない話を持ってきてやった……その……おまえたちを私のトモダチにしてやろう」
「は?」
「こ、断っておくが、私にトモダチがいないゆえにこんな申し出をしているのではないぞ。むしろ逆で、私のトモダチの数など世界に百万は下らぬであろう」
「はあ?」
「その中の栄えある一人におまえたちを加えてやろうと言うのだ。このような機会に恵まれるなど、そうそうあるものではない。光栄に思うがいい」
「はああ?」
「この任を引き受けるか否か、答えを聞こう……まあ、その薄汚れた身には余りすぎるとしか言いようのない好運を蹴るほど、おまえたちが迂愚だとは思えぬがな。はは、は……」
ドニファン一派は、つかのま固まったまま、引きつり笑いを洩らす私を眺めていた。その顔に宿る感情をどう言い表せば良いのか、私にはわからぬ。ただ、三人揃って同じような心持ちでいたことはまちがいなさそうである。
まもなく動いたのは、親玉のドニファンだ。互い違いの眉と半開きの口をそのままに、ボールに乗せていた脚をどかす。つかつかとこちらへ歩み寄ってきて、私を見下ろした。ルギ=アンテを髣髴とさせる巨躯――いや、これは言い過ぎか。さすがに奴のスケールの比ではない。比ではないが、それでも人間の子供にしてはだいぶデカい。
「なあ。マオー、っつったっけ?」
「さよう。私はマオーである」
「一回しか言わねえ。耳かっぽじって聞け」
命令口調なのが癪に障ったが、私は黙ったまま聞くことにした。
ドニファンは私と鼻の先がくっつかんばかりに顔を寄せてきた。む、なんだ。男にこんな真似をされても少しも嬉しくなどない、と引き気味になっている私にむかって、
「まっ・ぴ・ら・ご・め・ん・だッ」
そう一語一語を区切るようにして怒鳴り、眉間にしわを寄せる。ゆがめた口をそのままに、私をにらんだ。
「な……なん……だと……」
「なんだテメー、俺たちが頭下げて『ありがとうございます』とでも言うと思ったのか。いいか、マオー。俺はな、テメーのそのスカした甘ったるいツラが大嫌いなんだよ。それとクッソエラそーな口のきき方と、長ェ銀髪もな。無駄にサラサラしやがって、クソがっ」
「このサラサラ銀髪は母上から受け継いだものである。侮辱は許さぬぞ」
「ああ? どう許さねえってんだよ、このひよっこチビがよォ」
「なっ……ち、チビだと」
断っておくが、私がチビなのではない。ドニファンがデカすぎるのである。
「へっ。陰キャのコミュ障野郎はそれらしく、ぼっちでいな」
ドニファンは最後にそう吐き捨て、しっしっと片手で追い払うしぐさをした。
いんきゃ? こみゅしょう?……なんだ、それは……響きや前後の脈絡からして何かしら侮蔑の意を含んだ言葉のようだが、耳馴染みがないゆえ意味がわからぬ。
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