第20話 大食堂にて

 散乱するガラスの破片と水浸しの床を前にぼんやりたたずんでいると、ほどなくしてホウキとチリトリを手にヘレナが戻ってきた。


「はい、これね」


 と、差し出されたチリトリを私が床に置いて支え、ヘレナがホウキを使ってそこへガラス片を掃いていく。手ェ気を付けてね、と気遣ってはくれたが、それはともかく、二人でやらねばならぬほどの仕事であったのかどうか、まったくもって疑問でならない。ヘレナ一人でもたやすくこなせたであろうに、なぜ私まで手伝わされたのか、さっぱりわからぬ。

 ガラスを片付けてしまうと二人がかりで雑巾で床を拭き、「さ、片付いたし行きましょ」というヘレナに連れられ食堂へ向かった。


 食堂は、この建造物内にあってはそれなりの面積を有するようであった。長テーブルがいくつもくっつけ合わされて三列に並べられ、人間の子供たちが向かい合わせに腰かけている。わあきゃあわあきゃあとどえらい騒ぎであり、さしずめ神々が世界を創るより前に蔓延していたとされるカオスを髣髴とさせる。

 テーブルにむかって大騒ぎする子供たちの中にあって、二人の娘が室内を歩いて回っているのが確認できる。シタルと、先ほどコップを落としそうになったナタリーだ。寸胴鍋の乗ったワゴンを押し、子供たちの椀に鍋の中身をお玉で注ぎ入れていっている。


「ごめんねー、シタル、ナタリー! 一緒に配膳できなくて!」


 ヘレナが口元に手を当てて叫ぶと、シタルとナタリーの顔が揃ってこちらへ向けられた。配膳の準備、二人にも手伝ってもらってるの、とヘレナが私に補足説明をする。シタルは一切表情を変えることなくすぐ前へ向き直って作業を再開し、ナタリーのほうは恐縮したような顔で手を振ったあと、つんつんとつつくようにどこかを指差した。

 そちらへ目をやる。驚くべきことに、ナタリーの指の先にいたのはミレージュラであった。二人と同じようにワゴンを押し、寸胴鍋からお玉で子供たちの椀に中身を注いでやっているのだ。


(み、ミレージュラよ……おまえは仮にもダークエルフの女王だぞ……それが、人間たちを相手にまるで給仕か従者のような真似事を……)


 愕然とする私にむかってヘレナが「行きましょ」と言った。連れて行かれたのは、部屋の反対側の出入口に一番近い、端っこの席だ。


「誰がどこの席ってはっきり決まってるわけじゃないんだけど、何となく同年代の子たちで集まるようになってるの。キミはそこね」


 言われるままに椅子を引き、腰かけた。ヘレナの正面の席である。

 そこへ、ミレージュラ、シタル、ナタリーの三人が戻ってくる。寸胴鍋の乗ったワゴンは部屋の片隅に並べて置かれていた。シタルとミレージュラがヘレナの横に、私の隣にナタリーが腰かける。


「ありがとね、手伝ってもらっちゃって!」


 ヘレナがミレージュラに礼を言った。


「いいってことよ! なーんか二人だけで大変そうだったからさー。やってみるとけっこう面白かったよ。川の魚にエサやってるみたいでねー」

「え、エサ……」


 ヘレナが顔をひくつかせるが、気持ちはわからんでもない。いかに人間たち相手とはいえ、その言い方はどうかと思うぞ、ミレージュラよ。


「ねーねーヘレナ先生! 途中でシタルがスープのキャベツつまみ食いしてたよー!」と一人の子供が叫ぶ。

「えっ! またあ!?」と眉を互い違いにするヘレナ。

「しかも、一回じゃないんだよ! 何回もだよ!」とべつの子供。

「ええぇ~……ちょっとぉ、シタルぅ」


 ヘレナは恨めしげな視線を隣のシタルに注いだ。


「……して、ない」


 シタルは表情一つ変えず、ただひとこと、そうとだけ返した。


「したよ、したよ!」と騒ぎ立てるまわりの子供たち。

「……して、ない」


 したよしたよと騒ぐ子供たちに、してないと言い張るシタル。その、終わりの見えない応酬合戦の様子を眺めるともなく眺めている私の肘が、つんつんと控えめにつつかれた。見れば、ナタリーである。私に対して顔を斜に向け、上目で見上げてきていた。


「何用であるか」

「あっ……えっと、だ、大丈夫、手? その、怪我、とか……」

「怪我? 怪我するようなことがあったのか」

「えっと、さっき、ガラス、握っちゃったから……」

「ふっ。ガラスごときで傷を負うほど私の体はヤワではない。それどころか、たとえアダマンタイトでもオリハルコンでも私の肉体を貫くのは容易ではないであろう」

「あ、そ、そうなんだ……でも、良かった……」


 ナタリーの頬が先ほどと同じように染まっている。突発性の熱病であろうか。誰か面倒を見てやったほうがいいのではないのか。私は人間相手にそんな役目はごめん被りたいが。

 みんな、静かにぃ、とヘレナが手を叩きながら大音響を発揮する。すぐに静まる子供たちではなかったが、「みんなが静かにならないと、いつまでもいただきますできないよー」との声が鶴の一声だったようで、徐々にではあるが室内は静かになっていった。

 やがて部屋がすっかり静まると、ヘレナが両手を合わせ、目を閉じた。室内の子供たちが、それに倣う。シタルもナタリーも同じようにしていた。

 ミレージュラは一瞬、疑問符付きの顔であたりをきょろきょろとしたが、すぐ両手を合わせ、私に目配せしてから目を閉じた。

 そして、総員、口を揃えて次の文句を唱えた――


「「「天にまします我らの神よ。日々の糧に感謝します。今日も命あることに感謝します」」」


 それからヘレナが「いただきます」と言い、子供たちが続いた。

 そして食事となった。


 はっきり言って昼食のメニューは粗末なものであった。天然木のトレイに乗せられていたのは先ほどミレージュラたちが注いでいたキャベツだけのスープにソーセージが二本、それから硬そうなパンが一つ、そしてミルクだけである。


(なんというみすぼらしい食事だ……まるで乞食の食い物ではないか。私は魔王、魔族の王だぞ……それが、かりそめの状況とはいえ、こんなものを食べさせられるとは……)


 むろん、魔王城ガディリアデウムで出されてきたような絢爛豪華な食事を期待するほど、私も愚かではない。だが、ポートクレイクの料理屋でミレージュラと一緒に口にしてきたていどのものぐらい提供されても良いのではないか。たとえば七面鳥のローストとか、マスのブイヤベースとか、スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチとか……。

 苦々しい思いを抱えながらスープを口へ運ぶと、果たせるかな、大して味などしない。少しばかり塩気があるだけで、あとはキャベツの青臭い味だけだ。おまけにぬるい。パンは見た目どおり硬くパサついているし、おそらく安価な肉で作られているのだろう、ソーセージの風味も良くない。中で多少食えるのはミルクぐらいのものである。

 だが、細々と食事を進める私をヨソに、子供たちの食欲は旺盛なものだった。よほど腹が減っていたのか、皆、脇目も振らずにこの料理と呼ぶにはあまりに粗末な料理にがっついている。いったいどういう味覚をしていたらこんなものをそんなに旨そうに食えるのか、まったくもって私の理解の及ぶところではなかった。


「不味ィ! 食えるかよ、こんなメシ!」


 私は思わずそう声を上げ、匙をほうり投げた。

 ――と言いたいぐらい私の心情を言い得たセリフを吐いたのは、はす向かい、ちょうどシタルの隣に座る子供であった。つんつんと逆立てたような栗色の髪の、目つきの鋭い大柄な少年である。


「ちょっと、ドニファン! そんなこと言わないの!」


 ヘレナがそのドニファンと呼ばれた少年を睨む。


「みんな美味しい美味しいって言って食べてるんだからっ」

「へっ! こんなクソみてーなメシ、旨いとか思えるなんておめーら舌どうかしてんじゃねえのか?」


 同感である。言い回しは汚らしいが、まったくもって内容的には同感である。


「なあ、おまえら?」


 そう同意を求められ、思わず「まったくである」と深々とうなずきそうになってしまうが、ドニファンが同意を求めたのは私ではなく、近くにいた二人だ。どうやらそのドニファンの配下という位置づけらしい二人の少年はうなずきながら「へへっ、まったくっすよ」「そうっすね」などと追従している。


「ちっ、何だよ。前はもうちょいマシだっただろ。つっても大したことねーけど、ここまでひどいメシじゃなかっただろ。なんでなんだよ」

「そ、それは……」


 ヘレナが食事の手を止め、口ごもる。その顔には気後れが滲んでいた。何やら事情がありそうな様子である。


「いらないなら――」


 そう口を開いたのは、シタルだ。見れば、その手にはすでにパンがある。自分の、ではなくドニファンので、実際のところ彼のトレイからいつのまにかパンは消えていた。


「私が、食べる」


 言うが早いか、迷いも躊躇もなくパンにかぶりついた。


「なっ――何しやがんだっ、シタルてめえ!」


 取り返そうと伸ばされたドニファンの腕を、シタルは左手で掴んでテーブルに押し付けた。口にパンをくわえ、右手で匙を持ったまま、だ。ドニファンは「ぐっ」と呻きながらシタルの手を振りほどこうとするが、シタルの手はびくともしない。華奢な体でけっこうな腕力である。なるほどワイバーンとの立ち回りの際、あれだけの剣腕を発揮するわけだ。

 シタルはその状態を維持したまま、右手の匙をフォークに持ち替える。かと思えば一瞬でドニファンの皿からソーセージを一本くすねてしまった。おみごと、と拍手をしてやりたいような、じつに素早い動きである。


「何しやがんだてめえッ、ソーセージまで!」


 がなり立てるドニファン。

 シタルはソーセージの刺さったフォークをトレイに置き、それからくわえていたパンのほうも置いた。

「文句を言うなら、食べなければいい。私が、食べる」

「文句ぐらい言ったっていいだろ! 不味いのは事実なんだからよ!」

「不味くない。美味しい」

「はあぁ!? おまえ、正気か? こんなメシのどこが旨いってんだよ! 説明してみろよ!」

「説明する。まず、スープは、薄い塩味のみ。そして、キャベツの青臭さ」

「ああ?」

「パンは、見た目どおり、硬い。パサパサ」

「あああ?」

「ソーセージも、安い肉の風味」

「お、おまえ……おまえソレ少っっっしも褒めてねーじゃねーかよッッッ!」


 激しく同意する。シタルの説明は、私が先ほど初めて料理を口にした時の感想そのままだ。そして、あの時の私の言葉の中に、称賛の意など微塵も含まれてはいない。


「……でも、美味しい」


 シタルは最後にそう締め括って、ドニファンの腕から手を離した。ドニファンはいそいそと腕を引っ込め、いってぇなぁ怪力女がよぉ、と毒づきながらぶんぶん振る。


「はいはい! 二人とも、そこまでそこまで!」とヘレナが手を叩いた。「食事中に喧嘩しない。シタルも、ドニファンにご飯返してあげなさい」

「……嫌」


 答えながらもシタルはパンにかぶりつき、もぐもぐと咀嚼している。


「シタルっ」

「……嫌」

「シ~タ~ルっ」


 ヘレナが声に険を含ませ、睨んでも、シタルは聞かなかった。もう、とヘレナは困惑しつつもあきらめ、自分のトレイからドニファンのほうへソーセージを一本移し、パンを半分に割ってこれも恵んでやった。


「ちっ。勇者ごっこ女がッ」


 ドニファンが、食事に戻りながら、ぼそっと吐き捨てる。


「勇者ごっこ?」


 食事の席で私が口を開いたのは、これが初めてであった。勇者、とくれば言うまでもなく私個人にとっても我がメディウス一族にとっても魔族全体にとっても因縁浅からぬ相手、気になったのだ。


「こら、ドニファン。おしまいって言ったでしょ」ヘレナが低い声を出す。「気にしないで。何でもないから」

「……勇者ごっこ、じゃない」


 シタルのそのひとことで、近くの者たちが食事の手を止め、そちらへ目を向けた。シタルはフォークとパンを手にしたまま固まり、視線をトレイの上へ落としている。


「……私は」


 まわりが注視する中、低く、しかし一本芯の通ったような声色で、続けた。


「私は、討つ……いつか、きっと――魔王メディウス13世を、討つ」

「な――何?」


 私は言ったきり、半開きの口が塞がらなくなった。


「魔族から、人の世を取り戻す……かならず」


 シタルはそう締め括って、口をつぐんだ。

 へっ、やっぱ勇者ごっこじゃねーかよ、とからかうように言うドニファンを、よしなさい、とヘレナがたしなめる。シタルは相変わらず動かず、表情のない顔を伏し目がちにしていたが、まもなくパンを口へと運んだ。それを機に、まわりの者たちも食事を再開しだした。


(これは、驚いた……勇者亡き今、なお私に立ち向かおうという意気を持つ人間があったとは……なればこそ、あれだけ卓越した剣技を持ち合わせているわけか)


 そんなことを考えながら、はす向かいのミレージュラを何とはなしに見やる。かすかに目を見開いてシタルを眺めていたミレージュラだったが、私の視線に気づいてこちらを見た。目が合うと両眉をひょいとそびやかし、しかしすぐ食事に戻る。おそらく思うところは私と似たり寄ったりだったであろう。


「ああ、そうだ。そう言えばお二人、お名前聞いてなかったわね」


 ヘレナが匙でスープを啜りながら言った。


「あたしはミレージュラだよ。見てのとーり、エルフだよ。呼びにくかったらミレーでいいからねー」


 ミレージュラがまず名乗った。

 近くにいる者たちの視線が、ミレージュラから私へと移された。じつのところ、注目されるのはあまり得意ではない。緊張しながらも、口を動かした。


「私は、魔王……」


 思わずまた、口を滑らせてしまう。緊張感に加え、シタルの発言に対する驚きと動揺があって、それが尾を引いていたためだろう。一瞬ひやりとし、おまけに今度はしっかり「魔王」と言ってしまっていたので、人間たちの反応が気にかかって視線をまわりへ巡らせた。

 ヘレナも子供たちも、食事の手を止めていた。皆、揃って固まり、私に目を向けている。


(こ、この反応……まずい……感づかれたか……)


「まおう」


 と、ヘレナがぽつりと言った。


「い、いや……ちが――」


 ヘレナはふっと笑い、止めていた手を動かす。匙で、器の中のスープをかき混ぜた。


「ミレーちゃんにマオーくん、ね。わかったわ」

「え」


「マオー、だって! 変な名前!」「ほんとほんと、魔王みたいじゃん!」子供たちが騒ぐ。それを機にまわりの子供たちが「マオー、マオー」と口々に叫び立てた。皆、おかしそうに笑っている。「マオーがもし魔王だったら『魔王マオー』じゃん! おっかしー!」と誰かが言い、高らかな哄笑が起きた。


(魔王と言ったつもりだったが、どうやら勘違いしてくれたらしい。ふっ、救われたな。マオー、か……まあ、そういうことでよかろう)


 こうして私は「マオー」という人間の少年として孤児院の一員となったのであった。

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