第18話 保育士ヘレナ

 結果的には強行突破も同然であったが、致し方あるまい。相手が人間とはいえ、目的を阻む障害として排除するわけにもゆかぬ。トモダチを作るという旅の目的を一刻も早く達成し、皆で遊ぶためにも、私はいったんこの施設に腰を落ち着かせる必要があるのだ。

 あまりに強引な私に折れた、という形だろうか。ヘレナは「困った子たちだなあ」と呆れ交じりに言いながらも先に立って歩きだし、孤児院の執務室へと私たちを案内した。子たちだな、って、人間の尺度で子供扱いしてもらっても困る、私もミレージュラも三百歳以上なのであるぞ、と言いそうになるが、やめておく。エルフであることが公認となっているミレージュラとちがい、私は対外的には「人間の少年」なのだ。

 執務室は一階通路の突き当たりにあり、中ほどに長机が二つ向かい合わせに置かれた、なかなかに広い部屋で、そこへ何人かの人間の女たちが腰かけていた。ほとんどはヘレナと同年代ぐらいに見えるが、中に一人、一回り以上年配とおぼしい女がいる。


「院長、ちょっとこの子たちが」


 ヘレナが、その女に事情を説明しだす。

 ふくよかな、穏やかな顔つきをしたその女はヘレナが語ったところによるとマリアンヌ、ここセントミリアム孤児院の院長だということである。机にむかって何やら書き物をしていたマリアンヌはヘレナが話し出すと手を止め、時折、ゆっくりとうなずきや相槌を交えながら、その話に耳を傾けだした。その間、時折、ヘレナのうしろに立つ私やミレージュラを眺めたが、そのたびにその顔に柔和な微笑を浮かべたのが印象的であった。


「それで、院長、どうしようかと……というかこの子たち、勝手に入ってきちゃったも同然なんですけど」


 戸惑いを滲ませながら、ヘレナが振り向いて私たちを見やる。


「どうするもこうするもありませんよ、ミス・ヘレナ」


 マリアンヌは、ゆったりとした口ぶりで応答した。


「ここは迷える子羊たちの、愛の砦。どのような事情があれ、迷い、流れ着いてきた子供たちを見捨てるようなことはしません」

「はあ……でもこの子たち、どう見ても貧困に喘いでるって感じじゃないんですよねー」

「ミス・ヘレナ。外見で決めつけてはだめよ。彼らがいかなる不幸を抱え、これまでどのような逆境や苦難を乗り越えてきたか、それは私たちが容易に窺い知れるものではないのだから」

「は、はあ……まあ、そう、ですよ……ね」


 マリアンヌは私とミレージュラにむかってにっこりと微笑みかけた。


「二人とも、何も心配しなくて大丈夫よ。私たちセントミリアム孤児院は、無償の愛をもってあなたたちを受け入れます。あなたたちに神のご加護がありますように」

「いや、神の加護などいらぬ。そもそも神の多くはどちらかと言えば敵対する存在、我々に加護など与えてくれるとも思えぬからな」

「え?」

「あ、ああ、いや……気にするな、何でもない」


 こうして私たちは孤児院への滞在を許可された。といっても厳密にはこれは許可するも何もなく、当然受け入れねばならぬことである。何しろ私は魔王だからな。所有する世界をどのように使おうが、私の自由というものであろう。

 それにしても、身分や立場を隠しながら事を進めるというのも、なかなかに厄介なものだ。本来ならばすべては孤児院の門のところで決していたはずであるのに。



「そう言えば、さっき、死人が出てたって言ってたわよね」


 マリアンヌ院長がヘレナに建物内の案内を命じたのであるが、その道すがら、前を歩く彼女がそう切り出した。


「死人だと?」

「シタルが言ってたでしょ。私が行かなければ死人が出てたって、あなたたちのこと」

「ああ、あれであるか。あれはあの娘の完全な勘違いである。たとえあの娘がいなかったからとて、我々は殺されてなどいない」

「えぇっと……事情が見えてこないんだけどな」

「来る途中でワイバーンに襲われたんだよー。そのこと言ってたんでしょ、あの子」


 私の横を歩くミレージュラが説明した。さすがに建物内では魔力でキャリーバッグを浮かばせたりはせず、手で引いている。


「そうだったの、ワイバーンが……さっきもちらとそんな話したけど、最近、魔物が増えて凶暴になってるから、気を付けなきゃね」

「昔はそうではなかったのか?」

「うん……このあたりはほとんどいなかった。少なくともワイバーンみたいな大きな魔物はね。だから町とここを行き来するのもむずかしくなかったんだけど、魔王が勇者一行を倒してから、一気に数が増えたみたい。活動も活発化して、人に対して攻撃的になって。不思議だね。ひょっとして魔王が号令でもかけたのかな。『おまえたち、好きに暴れるがいい』みたいに」

「馬鹿な。私はそんな真似はせぬ」

「え?」


 つい口を滑らせてしまい、ひやっとなる。


「あ、いや……魔王(私)はそんな真似はしない……だろう。そもそも魔族と魔物は敵対こそしないが、一部の例外を除き、魔族が魔物を操れるというものでもないのだ……たぶん。とはいえ、魔物の活発化が、人間の居住区域への魔族の進出の影響を受けているのはまちがいないだろうがな。本能的に魔族の動きに感化されているのだ……おそらく」


 たぶんだのおそらくだのといちいち「推定」の形にしなければならぬのが、まだるっこしい。


「魔族が人間の町に出てくるようになったから、それで、か」

「そういうことだ。ついでながら、この近辺に竜が増えたのは、ポートクレイクの管理者ラメラスによるものだろう。奴は竜使いだからな、有事に備え、自分の身近に竜たちを配備したとしてもおかしくはない」


 そう――「竜使い」の異名を取るとおり、ラメラスは竜を操る。さすがに上位の竜は無理だが、特殊な念波を使い、下位から中位までの竜ならば指示を出したり命令を与えたりすることができる。念波を飛ばせる範囲は不明瞭ではあるが、かなり広範に亘って可能なはずだ。


「詳しいんだねぇ」


 ヘレナが目を丸くして感心を示した。


「す、少しは勉強しているのでな。おまえももっと勉学に励み、世界について学ぶことだ。甘さも身を亡ぼすかもしれぬが、無知もまた然り、である」


 これは父上の受け売りだ。


「勉強したいのは山々なんだけどさ、時間がね。あ、ここお手洗いね」


 ヘレナが、左右に二つ並んだ木戸を開けてみせながら言う。戸に付いたプレートの一方には「おとこのこ」と、もう一方には「おんなのこ」と書かれてあった。


「『おんなのこ』用なんだから私や院長は使うな、なぁんて意地悪言わないでね?」


 ヘレナは笑いながら言うが、いったい何の話だ。意味がわからぬぞ。


 手洗いをあとにし、さらに歩いていく。


「それで、さっきの話の続きなんだけど」とヘレナが続ける。「きみたちがワイバーンに襲われて、そこをシタルが救ったというわけね?」

「救ったのではない。申したであろう、たとえあの娘が現れなかったからとて、私たちは殺されはしなかったと」


 私が言うと、ミレージュラが笑った。


「そーそー。奇襲喰らったとしてもワイバーンなんかにやられちゃうほど能無しのつもりじゃないよー、あたしたち」

「へ、へえ……そりゃまた、すごいな」


 振り向くヘレナは顔をひくつかせている。


「とはいえ、あの娘の立ち回りが人並みでなかったことは事実である。跳躍力は図抜けていたし、娘だてらの剣腕に、粗削りとはいえ剣捌きもみごとであった」

「あの子も孤児なんだよねえ?」

「うん……ここじゃ比較的、新顔でね。何年前だったかなぁ……もう三年ぐらい経つのか。ある時、マイヤーさんに連れられて来たんだ」

「マイヤー?」

「ああ、ポートクレイクの町長さん。このバムール大陸のあちこちを回って、みなしごを引き取ってきてたんだ。勇者様が魔王にやられちゃう前……魔物の動きが活発化する前の話だけどね。ここにいる子たちの半数近くはそうだし、シタルも、そうやって連れられてきた一人」

「もったいないよねえ、ってハナシ、さっきしてたんだー。素材はすっごくいいのに薄汚れてるし不愛想だし、って」

「ああ、そうね……無口だし、愛嬌とかはないけど、すごく綺麗な顔立ちの子よね……でも、ここへ来た時からあんな感じよ、シタルは。むしろ当時に比べればずっと話すようになったぐらい。故郷の村が魔物に襲われちゃったみたいでね」

「となると、家族はその時に殺された、であるか」

「ええ……たぶん」

「たぶん?」

「マイヤーさんがね、山奥の滅ぼされちゃった村にいるところを見つけてきたの。わかってるのは、それだけ。あまりあれこれ訊くわけにもいかないし、ああいう子だからそもそも多くを語ってくれるわけでもないしね。あ、ここがお風呂よ。入浴は夕飯後、八時から十時までのあいだに済ませちゃってね」


 それからヘレナは私たちを三階にある個室へ案内した。


「もともと兵士養成のための寄宿舎だった建物だから、部屋数は多くてね、みんな個室を使ってもらってるの。右と左、二人で好きなほう使って。お昼まで好きにすごしてていいわ」

「あいわかった。案内ご苦労である」


 ヘレナが私へ目をやり、それからくすっと笑いを洩らす。


「さっきから思ってたけど、きみって変わった話し方するねえ。まるで王様みたい」

「何を言っている。王様みたいも何も……」


 魔族の王であるぞ――とまたうっかり口を滑らせそうになり、押しとどめた。


「お風呂とか寝起きの時間以外にも細々した決まり事はあるんだけど、それは追々説明するわ。食事は下の食堂でとるの。昼食は十二時、時間になったら来てくれる。私からはとりあえず以上だけど、何か訊いておきたいことはあるかな?」

「大丈夫だ」

 

 私が言うと、「あたしも問題なっしー」とミレージュラが続いた。


「そう。それじゃ、あとでね」

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