第17話 セントミリアム孤児院

 べつに娘をつけて行ったわけではない。ただ、娘の歩いてゆく道の先に私たちの目的地である「セントミリアム孤児院」があるという、ただそれだけのことであった。正面、十メートルほど先に娘の背中があり、私とミレージュラは付かず離れずを保ったまま歩いていた。距離を維持していたのも、べつに意図してのことではないが。

 途中で、一度だけ娘が振り向いた。道半ばほどのところでぴたと足を止め、こちらを振り返ったのだった。

 娘の関心は私にあったわけではないようである。彼女の視線は、ミレージュラが魔力で三、四メートルほどの高さに浮かせているキャリーバッグに注がれていた。少しのあいだキャリーバッグを眺めていてから、ちらりとミレージュラを見やり、かと思うと前に向き直り、再び歩き出した。


「なーんかもったいないねー」


 ミレージュラが、半笑いでぽつりと言った。


「何がであるか?」

「あの子。素材はすっごくいいのにさー、身なりが薄汚れてる上に不愛想で。身綺麗にして愛嬌あったら男がほうっておかないよ、ありゃあ」

「確かに、人間としてはきわめて高い資質を有していると思われる。先ほどの立ち回り……」

「ちがうちがう! ちがうよ魔王ちゃん! そこじゃないよ!」


 ミレージュラは慌てた様子で手を振っている。


「え……ちがうのか」

「男がほうっておかない、って言ったよねあたし!? それでなんで立ち回りうんぬんが出てくるかな? 関係ないよね、そこ?」

「む……言われてみれば確かに、そうであるな」


 まもなく、「セントミリアム孤児院」に辿り着く。

 道の途中から、わあきゃあわあきゃあと騒がしくなり始めていたが、理由がわかった。孤児院の敷地内の庭で、ざっと十数名の人間の子供たちが駆け回り、戯れているのだ。


(ううむ……じつに楽しそうである。私のやりたい遊びとは若干趣を異にしている気配ではあるが、見ていると朗らかな気持ちになってくるな)


 先を歩いていた娘が、鉄の門扉を開け、中へ入ってゆく。こちらを見向きもしなかったが、開けっぱなしにしてあるのは私たちのためだろうか。定かではないがそうなのだと理解し、私とミレージュラも孤児院に近づいていく。


「シタルっ!」


 ふいに、女の声が響いた。

 何かと思っていると、庭で子供たちと一緒になって駆け回っていた一人の女が、娘のもとへ駆け寄ってゆくのが見えた。花柄のワンピースを着たすらっとした女で、それなりに若いようではあるが、娘ほどではない。娘の目の前に立ち、頭一つぶん高い位置から相手を見下ろした。両手を腰に当て、口をへの字にしている。


「シータールっ! どこをほっつき歩いてたの!?」


 シタル――どうやらそれが、娘の名前らしい。

 表情を見た時に感づいてはいたが、女はどうやら怒っているようだ。癖のないブロンドの髪をうなじのところで一つに結わえた、小麦色の肌にそばかすのある女だった。


「……見回り」


 シタルと呼ばれた娘が短く答える。


「まあーたそんなこと! もうっ、シタル! 勝手に敷地の外に出ちゃだめって、いっつも言ってるでしょっ! お外はとおっっっても危ないんだよっ! シタルだってわかってるはずでしょっ。勇者様が魔王に倒されちゃってから、魔物が……」

「私が行かなければ、死人が出ていた」

「えっ!?」

「二人」


 シタルはそう言って、無遠慮にこちらを指差してくる。

 そこで初めて女も私たちのほうを見た。

 私とミレージュラは止めていた脚を動かし、そちらへ歩み寄ってゆく。


「ええ、と……旅のお方?」


 女が腰に当てていた手を下ろし、私とミレージュラを交互に眺めながら訊いてきた。ミレージュラに目を留め、ふと気付いたように「あら。そちら、エルフさん」とつぶやく。


「そうだ。道中、寄らせてもらった。ここは私たちと同年代に見える者たちが集う施設だと聞いたが、事実であるか」

「え? ど、同年代に見える? 見える、っていうか、同年代の子たちって受け取っていいのかな」


 女がいくぶん困惑したように言う。言われてみれば同年代に見えるという言い方は、長寿のわれわれの視点での物言いであったな。角のない今、私の容姿は人間のそれと変わらぬ。女が戸惑うのも無理はない。


「そう受け取ってもらって構わぬ。エルフは人間よりもはるかに長寿であるゆえ、ついそのような言い方をしてしまった」

 

 私はミレージュラへ顎をしゃくって言った。


「なるほどね」


 女が納得したようにうなずく。それから改めて、私とミレージュラを見た。


「ここはセントミリアム孤児院。身寄りのない子供たちを預かる施設よ。お二人と同年代の子たちもいるけど、もう少し下の子が多いかな。……おっと忘れてた、私はヘレナ。この孤児院の、保育士兼寮長です」

「では、しばらくここに滞在させてもらおう」

「え? え、えっと……お二人は、ご両親は……」

「父親はおらぬ。母親は曰くあって離れた地で暮らしている」

「右に同じー」


 ミレージュラが私に続いた。 実際にはミレージュラの両親は共に健在で、ライラーンパットで生活しているはずだが、よけいな説明を省くために私に合わせたのだろう。


「そう……まあ、いろいろ事情があるのね。でもね、申し訳ないんだけどここは宿じゃないの。いるのは父親も母親もいなくて、ほうっておかれたら明日生きるのも困難な子たちばかりなんだ。こんなこと、旅の方に言っていいのかどうかわからないけど、財政的にも身寄りのない子以外を一次的にとはいえ滞在させる余裕はないんだよ。だから……」

「私の提言を拒否する、ということであるか?」

「ええ、と……いや、べつにそこまでキツく言うつもりはないんだけどさ……」


 ヘレナは目に見えて困惑していた。


「残念ながら、この施設の事情がどうあれ、おまえに拒否権はないのである。その理由をここで話すわけにはいかないがな」

「拒否権はない、って言われてもなあ……うーん、困っちゃうな」


 ヘレナはなおも戸惑い、渋っている。


 素性を明かすことができたらどれだけ楽か、と私はふと思った。領地の支配になど興味はないとはいえ、実際問題として私は世界を統べる王なのである。世界の所有権を持つ魔族の王なのである。人間側の都合など、私の意思の前ではまったくもって意味を為さぬ。


「偉そう」


 ぽつりと言ったのは、シタルだ。ヘレナのうしろから、無表情に私を見据えている。


「また言ったな、娘。仕方あるまい。私は事実偉いのである」


 偉そう、などとシタルにぬかされたのはこれで二度目だ。それゆえ、さすがにそう主張せずにはいられなかった。


「とにかく、私はここに滞在する必要があるのだ。通してもらおう」

「あっ……ち、ちょちょちょ、ちょっと! きみたち!」


 呼び止めるヘレナの声を聞き流し、私とミレージュラはずんずん中へ入っていく。

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