第16話 急襲
まもなく、「セントミリアム孤児院」とおぼしき施設が見えてきた。まだしばらく歩きそうだが、うねった道の先にそれはある。人の背丈よりも高い石塀に囲まれた敷地の中の、二階建てのレンガ造りの建物だ。もとは兵士養成のための寄宿舎というだけあり、けっこうな占有面積だというのが遠目にもわかった。
バサッ、バサッと音を立てて何かが接近してきたのが、その時のことだ。
振り向くと、魔物であった。ワイバーンだ。二匹のワイバーンが、体の優に倍はあろうかという翼を羽ばたかせ、背後から急接近してきている。
これまでの道中、目視できる範囲にワイバーンは確認していない。おそらく近くの森に潜んでいたのだろう。
「わお。なーんかあたしたちめがけてまっすぐ飛んでくるって感じだけどー」
「まさにそのとおりである。まちがいなく攻撃態勢であるな」
「なして? エルフのあたし一人ならともかく、魔王ちゃんいるのに」
「魔物は角の有無で魔族を魔族として識別しているのである。角を取った際、母上から聞かされていたことゆえ承知はしていたが……」
ワイバーンが「ギャアアッ」と吠えた。大きく開けたその口から、火炎球を発射する。
凄まじい勢いで飛んできた火炎球を、私とミレージュラはそれぞれ横へ跳んでかわした。火炎球は地面に着弾し、ドォンと音を立て、あたりの草をたなびかせつつ、はるか先まで炎の道を作る。
「ギャアアッ」「ギャアアッ」――ワイバーンたちが羽ばたきながら吠えている。
「かなりの敵意である。次の攻撃までも時間の問題であろう」
「やれやれ、魔王ちゃんが一緒にいて魔物に襲われるなんて思わなかったぜよ」
ミレージュラが、軽く浮かんだ状態で言った。
「ねえどうするー? あたし片付けちゃおーか?」
「いや、二匹とも私がやろう」
私は上空でバサッバサッと羽ばたくワイバーンを見上げながら、手のひらに魔力を集め、それを凝縮してゆく。
「ギャアアッ」
一匹がまた吠え、突撃してきた。
「魔族と魔物……本来は敵対する存在ではないはずなのだがな。私がわからぬのならば仕方あるまい。まとめて灰にしてやろう……メギディ・ラクシャ――」
その時だ。私の目の前を、一つの影が横切った。
何かが閃いた、というような、刹那のことである。地平すれすれを滑空してきて、私まであとわずかというところまで迫り、今にも食いつかんばかりに大口を開けていたワイバーンの、その首が飛んだ。
ワイバーンは悲鳴も上げないまま地鳴りを響かせて地面を滑り、そのまま動かなくなる。
「ギャアアッ」ともう一匹が吠え、火炎球を発射した。
私に、ではない。その、新たに現れた何者かにむかって、だ。
その何者かは私に背中を向けていた。迫りくる火炎球をよけようとはしない。右手に剣を手にしたまま斜に構え、そちらをじっと見据えているようである。
まさかまともに受けるつもりでもあるまいな、と思いながら見ていると、何者かが全身を躍動させた。腰をわずかに落とし、手にした剣を、下から上へ大きく振る。
そのまっすぐな太刀で、火炎球が縦にまっぷたつになった。
半分になった火炎球の一方が私のほうへ迫ってくる。
私は手のひらへ集めかけていた魔力を前方空間へと移転した。体の正面にバリヤーを張り、火炎球を受ける。
バォン、と音は派手だが、私が感じたのはかすかな熱風だけだ。
もう一方は再び地面に着弾し、一発目と同じように炎の筋を作った。
何者かが、地面を蹴った。助走を付け、跳躍する。
見上げるほど高く跳び、中空で剣を両手に持ち直した。
その剣を構え、大きく振る。
青い空と白い雲を背景に銀色の放物線が描かれ、ワイバーンの首が中ほどで断たれた。
燃える草原をバックにたたずむのは、一人の少女であった。人間の年齢はよくわからぬが、十代なかば前後といった年頃であろうか。つまり外見だけで言うなら私やミレージュラと同等ということだ。身なりは袖のない白地の服に焦げ茶色のバックル、三分丈のスカート。あちこちがほつれた草鞋を履き、首に巻いたボロ布をマントのように背中に垂れさせていた。
全体的に薄汚れており、みすぼらしい。少なくとも富裕な家の娘ではあるまい。短めの髪は手入れのあともろくに窺えず無雑作ではあるが、その色は鮮やかなまでの青で美しかった。
娘はつかのま、燃え盛る炎の道を眺めていたが、まもなく剣を鞘に納めた。
無言のまま、私を見る。まったくの無表情で、その黒い瞳からも何某かの感情を読み取ることができなかった。
表情を変えないまま視線を横へスライドさせてミレージュラを見やり、「エルフ」とつぶやく。それから視線を私に戻し、「と、人間」と続けた。
(人間、か――)
私は内心、苦笑を禁じ得なかった。魔族の中でも私のようなヒュム種は角を取ってしまえば人間と見分けがつかぬ。人間のトモダチを作るという目的を達するためには、まさに必須の段取りというもの。いやはや、さすがは母上である。
「ワイバーン二匹を単身退けるとは、人間にしてはなかなかの手練れである。褒めて遣わそう」
私は娘に言った。
「おまえは、戦士なのであるか?」
娘は答えなかった。黙ったまま、やはり無表情に私を見据えていたかと思うと、
「偉そう。助けたのに」
そう、ぽつりと言った。
横で高く笑いだしたのが、ミレージュラだ。
「やんだあ、もう! あたしたちを助けたと思ってるのお? 無知って怖いべやあ」
「ミレージュラ、そう笑うな。この娘が私たちを知らぬのは無理からぬことである。それに、先ほどの立ち回りがみごとであったのは事実だ」
「魔王が――」
といきなり娘が私のことを話題に上げたため、私は一瞬胸を高鳴らせた。いくぶん構えながら、しかしそれを悟られまいと平静を保ちつつ、娘を見る。
「魔王が、勇者一行を殺してから、魔物の活動が活発化……外は、危険……以前よりも」
淡々と語る娘は相変わらず表情を変えていない。敗戦という現実は人間たちにとっては悲劇であるはずだが、とくに顔を翳らせたりもしていない。
「娘、もう一度訊く。おまえは戦士であるか?」
「……戦士、じゃない」
「そうか。だが、さっきのは一介の庶民が展開できる剣技ではなかった。いずこで鍛錬を積んだのだ?」
娘は、答えなかった。やはり一切表情を変えずに私を見据え、かと思うと一度、肩を揺らし、くるりと踵を返す。
「外は、危険」
低くそうとだけ言うと、去って行った。
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