第12話 船内にて

「魔王陛下」


 寝室で休んでいた私のもとへ、船長がやって来たのは航行十日目の昼過ぎ……道もなかばほどまで来たというところであった。ドアがノックされたので入室を許可すると、失礼致します、と船長が入ってきたのである。どこか重々しい表情であった。


「どうしたのであるか? 航海に問題でも生じたのか」

「いえ、航海はきわめて順調です。天候の荒れもなさそうで」と船長が言った。「お話はそのことではなく、行き先のポートクレイクについてなのですが」

「ほう? 何だ」

「陛下はあの町を管理している魔族をご存じですか」

「いや、知らぬ……というか、町を管理だと? 人間の町を魔族が管理していると言うのか」

「陛下の留守中に政務を託された幹部たち……とくにルギ=アンテ様の掲げた方針のようでして。陛下がエヴィリピアを創設するつもりがないのなら、せめて人間たちに対する徹底した管理体制を敷こうとの心づもりのようです」

「む……」


 私は心に雲が差すような心地を味わっていた。


 確かに勇者一行を倒し、人間たちとの戦争に勝った今、世界の支配権が魔族にあるというのは事実であろう。だが、ことさらに人間の居住区域に踏み入り、管理する必要まであるだろうか。むろん中身にもよるだろうが、それはやりすぎではないのか――と、そんな気がしてならない。


「それで、ポートクレイクを管理している魔族がどうしたのだ?」

「ええ……じつは、あの町の管理を任されているのはラメラス様とのことでして……」

「ラメラス、か」


 私は浅く眉を顰めた。


 じつのところ、魔族には二つの派閥が存在する。派閥が発生した時期は、まさしく八十年前、先代にして私の父、メディウス12世が勇者一行の手によって崩御し、この私が若くして魔王の座に即位した、その時からである。派閥の一つは私、メディウス13世派。もう一つは先代、メディウス12世派であり、肌感覚としては後者が七割を超える。

 父上はたいへんに厳しい方で、暴君として畏怖される一方、その圧倒的な威光やカリスマ性から、とくに古参の魔族たちの中に熱烈な支持者の多いことでも知られていた。それはルギ=アンテから指摘された私に足りないものであり、彼らはそうした面で私に不満や物足りなさを抱いていたようなのである。そんな彼らにとっては自分たちが真に従うべき王は父上であり、若輩者の私はぽっと出の青二才として、どこか認めがたかったらしかった。

 私が無理をして父上の立ち居振る舞いを真似ていたのも、そうした事情が背景にあったことは否定できない。彼らの期待に応え、認められねばと、焦りもあったのだろう。おかげで若年層が多くを占める下位の魔族たちには暴虐の王として恐れられたが、中位から上位の魔族たちの支持を集めることに成功したかと言うと、とてもそうは言えぬ。

 ラメラスは12世派の筆頭であった。ルギ=アンテ直属の配下にして「竜使い」の異名を取る中位魔族。年配の者が多い12世派の中では比較的若く、新世代に該当する。父上の時代には参謀の一人であったが、私が即位してからはそのなりふり構わぬ残虐性から降りてもらった。そのこともまた彼には気に食わなかったのだろう、何かにつけ皮肉めいた物言いをし、どこか人を軽侮するような態度を取り、時には冷笑を浴びせてくるようなことさえあったものだ。

 船長はそのことを気にして、そんな話を持ちかけてきたらしかった。


「ラメラス様も聡明なお方ゆえ、もちろん旅路の陛下に無礼を働かれるようなことはないと信じますが……陛下が知らずにおられるのではと思い、お耳に入れさせて頂きました」

「ふむ、そうか。いやわかった、わざわざすまぬ」

「は。では、ごゆるりと」


 そう言って頭を下げ、船長は寝室を出ていく。


 少しのあいだ、私はベッドに腰かけたまま、とりとめもなく思案していたが、やがて腰を上げ、寝室を出て行った。ミレージュラにも伝えておこうと考え、隣の寝室のドアを開けると、中へ入った。

 ミレージュラは部屋の片隅にある姿見の前にいた。

 その姿を見て、私は動けなくなった。

 ミレージュラは下着しか身に着けておらず、その白く輝くような美しい肢体を余すところなく晒しているのである。「ふんふんふーん、ふんふふーん♪」と鼻歌を歌いながら、手にした何着かの服を交代で体の前へ持って行く、というのを繰り返している。床には服が散らばり、足元ではキャリーバッグが全開になっていて、中からも服が溢れていた。どうやら荷物のほとんどは着替えだったようだ。

 私が動けなかったのは、衣服を着ていないミレージュラの姿を見たのが(幼少期を除けば)初めてだったから、というのもあるが、それだけではない。その美しさに魅了されたというのもあるが、それだけでもない。

 うまく言えぬ……うまく言えぬが、私の心を一気に引き込んで離さない強烈な吸引力のようなものが、彼女の肢体にはあった。私はそれに、抗うすべも力も持たなかった。


 何だ……


 いったい何なのだ……

 この、私の心を強烈に引き寄せて止まぬ磁力のような力は……


 動けぬ。彼女の体から目が離せぬ。


「み……ミレージュラよ……」


 その白い背中に、声をかけた。それが精一杯であった。

 ミレージュラは服を手にしたままこちらを振り返り、私を見て、次の瞬間――


「きゃあああああッッッ」


 ――甲高い悲鳴が部屋の空気を劈いた。

 手にした服で体を隠し、耳まで真っ赤にした顔をこわばらせている。


「まっまっまっ……魔王ちゃんっ! いいっいつのまに……」

「たった今、来たところである」

「きっきっ来たところである、じゃないでしょっ! のののノックしてよノック!」

「うむ、そうであったな、すまぬ。それで、ミレージュラ、じつは話が――」

「落ち着き払ってんじゃないよおっ! ひとまず出て行ってッ!」

「あ、ああ、そうか」


 私は言われるままに従い、部屋を出た。ドアを閉め、ドアを背に腕組みをして待つ。

 まもなくガチャ、とドアノブが回された。振り向いた私が見たのは、ドアの隙間から、上目で恨めしげに私を睨めつけるミレージュラの顔である。もちろん下着姿ではなく、身繕いを済ませていた。来る時に着ていた白地のワンピース姿である。

 思えばミレージュラからこのような表情を向けられるのは初めてのことであった。よくよく怒っているらしい。


「そ、そんな顔をするな。私は話があって来たのだぞ」


 ミレージュラは何も言わず、つかのま私を睨んでいたあと、くるりと背中を向けた。部屋の奥へ向かうので、入っていいという意味に解釈し、敷居をまたいだ。後ろ

手でドアを閉める。


「ミレージュラ……怒っているのか」


 ミレージュラが姿見の近くでこちらに背中を向けたままでいるので、私はそう訊いた。勇者一行との戦いを控えてあれやこれやしていた時分にはこのような態度を取られたことがなかったので、表向きは冷静に見えたかもしれないが、私は戸惑っていた。


「な、なあ、ミレージュラ……怒っているのか」


 するとミレージュラは振り返り、キッと私を見据えた。


「お・こ・ら・な・い・わ・け・ないでしょオッ!」


 そう怒鳴る。


「すまない、ミレージュラ。私は迂闊であった。以後気を付けよう。だから許してくれ」

「人様のハダカまじまじと見といてさあ……」

「だから、すまない、と……」

「この責任は重いよっ! 簡単に許されると思ったらオオマチガイっ!」


 そう怒鳴り、くるりと体ごとこちらへ向けた。


「でっ、何よ!?」

「うむ……じつは――」


 私は、先ほど船長から聞いた話をミレージュラに伝えた。


「ラメラスかあ……厄介なヤツだねえ」


 ミレージュラは顎に手を当てて眉根を寄せている。あいつキライだなー、とぼやいた。


「むろん私も無用なトラブルなど招来させんようには努めるつもりだが、旅路を共にするおまえの耳には入れておきたくてな」

「オッケー。あたしも喧嘩吹っ掛けるような真似はしないように気を付けるぜよ」

「当然である。ポートクレイクは決して大規模な町ではない。おまえが魔力を発動したら、下手をすれば瞬時に消し飛んでしまうだろう。それでは私も目的を達することができんからな」

「目的? 目的って何よー?」

「今回の旅の目的である。一緒にあそ――」


 一緒に遊べるトモダチを作るのだ、と答えそうになるのを、慌てて押しとどめる。いかんいかん、トモダチゼロという真実を隠匿するため、これは内緒であった。ごほん、と咳払いし、まあ気にするな、とだけ告げた。


「しっかし、派閥かー……あたしたちダークエルフにはそういうのないからよくわかんないけどさ、なんか面倒だねー。魔族のトップは魔王ちゃんなんだからさあ、みんな素直に従ってくれれば楽なのにねえ」

「それだけ父上のカリスマ性、威光というのは圧倒的なものだったのである。崩御される前には私もそばに仕え、それを間近で感じていたゆえ、よくわかる。じつを言うとな、ミレージュラ、私は時々こんなことを考えるのだ。もし私が王ではなく一人の配下であったなら、父上の死後、即位した息子を支持するか、それともなお父上を支持するか、とな」

「んでえ、魔王ちゃんはどっちを支持したと思うの?」

「おそらく私は息子の忠実な配下になるだろう。だが、心のどこかでは父上を支持し続けるはずだ。だから、ラメラスのような者たちの気持ちがわからなくもないのである」

「ふうん、そっか……でも正直、お父様って女子受けあんまよくなかったけどねー。早く王子が……ああ、つまり魔王ちゃんが即位すればいいのにーって、あたしたちダークエルフ同士でよく話してたもんさ」

「え、そうなのか。それは、なぜ」

「だって、お父様ってしょっちゅう怒鳴ってたじゃん。部下のミスとかにめちゃくちゃ厳しかったじゃん」

「確かに暴君の異名を取るだけあり、とても厳しい人であったな」

「だからね。言っちゃー悪いけど、お父様が亡くなって魔王ちゃんが即位した時、ダークエルフの中にも喜ぶ子たちけっこーいたんだ。イケメン魔王様誕生だーって」


 ミレージュラは、私の顔をしげしげと眺めた。


「まぁ、その喜びも、すぐ幻滅に変わっちゃったみたいだけどねー」

「な、何……幻滅に」

「気ぃ悪くしないでよ、魔王ちゃん。だってさ、即位してから魔王ちゃん、なんか変わっちゃったじゃん。いや、あたしとかに対する態度は変わんないよ? でも、部下たちに対しては変わった。お父様そっくりになった」

「それは、そうであろう。だが、当然のことである。私にとって、父上は理想の魔王だったのだ。目指すべき、仰ぎ見る目標だったのだ。私は、皆の期待に応えるためにも何とかして父上に近付こうと努力していた。がっかりされたくなかったからな。似るのも無理はない」

「でもさー、魔王ちゃん。お父様に近付こうとして結局届かなくて、魔王ちゃんらしさもなくしちゃってじゃ、なーんか中途半端じゃない?」

「う……」


 思わず言葉に詰まる。耳の痛い話であった。


「お父様の派閥ができちゃってるのが、よおく物語ってると思うなー。ある側面ではお父様には及ばないから、とくに古参の魔族たちはお父様を根強く支持し続けてる。一方で生半可にお父様みたいに振る舞っちゃったから、若い世代の支持はイマイチ集められてない……もちろん配下として従うけど、それってただ怖いからだけだったりしてさー」


 ますます耳の痛い話であった。そして、私は思い出していた――遊びたい、皆でワイワイやりたいとアジャパニアの町へ出向き、そこにいた魔族たちに声をかけながらも、私が望んだような結果はまったく得られなかったということを。誰も彼もが戦々恐々、平身低頭の体で、私と興趣を共にしようという姿勢など微塵も見られなかった。

 あの時の体験が、今のミレージュラの話をまさしく裏付けていると言えよう。そう、彼女の言うとおりだ。彼らは私を恐れていたのだ。

 むろん、圧倒的強者に対する畏敬や勇者一行を討伐した英雄に対する礼賛の念といったものも彼らの中にはあっただろう(自惚れで言うのではないぞ)。だが、それ以上に彼らの心を支配していたのは――私に対する彼らの態度を決定づけていたのは、「怖れ」だったのだ。


「あ……ごめん魔王ちゃん。ちょおっとハッキリ言いすぎちゃったかなあ?」


 思案顔で沈んでいたからだろう、ミレージュラがそう気遣ってきた。

 私は静かに首を振る。


「構わぬ。いろいろ思い当たる話だと思って聞いていただけだ。おまえはまちがったことは言っていない。まさにそのとおり、みごとな炯眼である」

「お褒めに与り、光栄至極である」


 ミレージュラが私の口ぶりを真似てきた。


「よさぬか」

 

 私は苦笑しながら言って、踵を返す。


「話はそれだけだ。邪魔をした」

「魔王ちゃあん」


 ふいに、絡みつくような声色で呼びかけられ、私は振り向いた。

 ミレージュラは腰に両手を当て、笑んでいる――いたずらっぽさの中に、挑発するような色を滲ませて。


「反省してよー?」


 何のことを言われているのかは、すぐにわかった。

 先ほど、着替え中のミレージュラの曲線美を目の当たりにし、にらまれ、怒鳴られた時の記憶が新しい。


「むろんだ、大いに反省している。ちゃんとおまえの許可を得た上で眺めるべきであったな」

「ちっちがうちがうちがう! ちがうよっ魔王ちゃん! そこじゃないよっ!」

「え……そういうことではないのか」

「ちがうちがう! 許可得ればいいってもんじゃないから! ていうか見せてって言われてもハイオッケーって流れにならないからフツー!」

「そ、そうか……だが……」

「何よっ!?」


 ミレージュラの、よくわからない圧に気圧されたようになって、私は「い、いや、何でもない」と言い残すといそいそと寝室を出て行った。何となく、ではあるのだが、この件に関しては何を言ってもボロが出るような気がする――直感である。

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