第10話 レーネヤナの秘術
いやはや、さすがはミレージュラである。闊達にして自由奔放。異種族の中にトモダチを求めるという発想自体が斬新きわまりなく、私一人ではとうてい思いつかなかったことではあるが、さらにその異種族の中でも事もあろうに人間を選ぼうとは、まさしく融通無碍のきわみとしか言いようがない。
人間、と言えば言うまでもなくあの勇者一行を擁する種族に他ならず、初代メディウスの頃より五千余年、我ら魔族と敵対し続けてきた者たちだ。かてて加えて父上は連中に対してマイナスのイメージしか抱いておらず、それはその背中を見て育ってきた私の中にも色濃く反映されている。非力で脆弱、迂愚にして滑稽……とにかく我々に比べて下等な生き物という印象しかなかったが、よりによってその連中をトモダチにしてしまおうとは。
もともとは見下していた相手ゆえ、困惑や抵抗がまったくなかったと言えば嘘になる。だが、それも解消するのは時間の問題であった。同族にトモダチを求めようがないのであれば異種族に求めるしかないのは火を見るよりも明らかであり、中でも人間を選定したミレージュラの理由は、まったくもってもっともなものだったからだ。
「……というわけで、私は人間たちの暮らす場所へ行ってこようと思います」
私が母上レーネヤナにそう宣言したのは、ミレージュラに相談を持ちかけてから一週間後のことであった。一週間、それでも迷い、考えてはいたのである。事もあろうに人間をトモダチにするなど、魔族として正しいことなのか。それはいかな理由があろうと、恥ずべき愚行ではないのか。父上がご存命であればどう思ったであろう。
およそ前例のないことゆえ、一歩踏み出すことへのためらいもあった。だが結局、大勢でワイワイ遊びたいという欲求に打ち勝つことはできなかったのである。
私の宣言を、母上はいつものように窓辺のテーブルでお聞きになられていた。面差しはいつもと変わらず柔和であったが、私の話を聞くと、その口元にやわらかな微笑を作られた。
「素晴らしい思い付きだわ、メデュー。ぜひとも行ってらっしゃい」
母上の返答は快いものであった。
だがそのすぐあとで、憂いの色を顔に滲ませた。
「ただ……その間、政務はいかがなさるの?」
「ご心配には及びません、母上。私が不在のあいだはルギ=アンテを始めとした幹部たちに全面委任するつもりです。なに、私が人間ごとき相手のトモダチ作りに苦戦などするわけがありませんから、長旅にはなりますまい。わずかな留守の期間を任せるだけのことです。戦時下の去った今、幹部たちもつつがなく職務を遂行することでしょう」
「そうあってほしいものだわね」
そう言った母上の顔が、わずかに翳ったように見えた。――いや、気のせいだろうか。気のせいかもしれぬ。憂える要素など何もないはずである。
「それにしても意外でした、母上。正直なところ、今回の申し出については反対の憂き目を見ることも覚悟の上だったのですが」
私が本音を吐露すると、母上はわずかに小首をかしげられた。
「あら。どうして母が反対するとお思いになったの?」
「相手はあの人間ではありませんか。勇者一行を討伐したことによって今でこそ我らの支配下に置かれているとはいえ、初代の頃より長らく敵対関係にあった相手、因縁浅からぬ種族です。そんな連中をトモダチに選ぼうなどと……」
「メデュー、その案に母が反対する理由などありません。むしろこの上ない良案だわ。あなたの言葉じゃないけれど、さすがはミレージュラね」
「しかし、決意しておいて言うのも何ですが、父上がお知りになられたら、それこそ火山の噴火のごとくお怒りになられたであろう思い付きであることに変わりはありません。父上の妻である母上が……」
「私は12世の妻であるけれど、あの人の思想や価値観を踏襲した覚えはないわよ。確かに12世の生前、あの人の考えにそぐわないことは言わなかったかもしれない。でもそれは、当時はあの人の漕ぐ船に乗っていたからだわ。今は、ちがう。そうでしょう?」
「そ、それは……」
「あなたは自分の船を漕ぎ出している。勇者一行を討伐したあと、無限にも思えるような大海原へと船旅に出ているの。船底の倉庫にはあなた自身の荷物を積みなさい、メデュー。12世の残された荷物は隅へ追いやって、スペースが足りなくなりそうなら捨ててしまいなさい」
「ち、父上の荷物を捨てるですって! そんな大それたことを……」
「それでいいのよ、メデュー。これからは新たなものをどんどん取り入れて、船の倉庫はあなたの新しい荷物でいっぱいにするの。それは、きっとあなた自身の人生を豊かで彩りのあるものにするわ」
「私の人生を、豊かで彩りのあるものに……」
母上の言葉はとてつもなく大胆であるように思えたが、しかしわかる部分もあった。私はおそらく、魔族にとって未踏の地を目指そうとしているのだ。だが、積み荷が父上の残されたものばかりでは、永遠にその地へ辿り着くことはできない――そういうことなのだろう。
「……ああ、そうだわ。メデュー、ちょっとこちらへいらっしゃい」
母上に呼ばれ、私はそちらへ歩いて行った。
「何でしょう、母上」
母上は椅子にかけたまま私を見上げ、つかのま眺めていてから、おもむろに腰を上げた。
両手をゆっくり伸ばし、私の額から斜めに生えている二本の角に、下からふれる。
「は……母上?」
「ほとんどの人間にはあなたの顔は知られていないけれど、角があれば魔族だとわかる。きっと、怖がらせてしまうから」
「え……?」
「リ―ス・ベイン・セリテス・フリール――」
母上の両腕が、ぼうっと白く輝きだす。眩しいほどの光が、私の視界を覆った。
何かを感じたわけではない。ほんのわずかに顔にぬくもりのようなものが浴びせられたが、ごくわずかなものだ。
まもなく光が弱まり、消えた。眩しさに細めていた目を、開く。
母上が、上げていた腕を下ろした。一度、私に小さく微笑みかけ、それから私の両肩に手を置いて、押してきた。
促されるままに歩いていく。母上がふだん使われている化粧台の鏡の前に、立たされた。
「あッ――」
思わず、目を見開いた。
私の額から、角が消えているのだ。
手で前髪を持ち上げてみたが、やはり角はない。文字どおり「跡形もなく」消えている。よく見れば角の生えていた部分がうっすらと白っぽく斑になっているが、それとて間近で目を凝らさねばわからぬ程度だ。
驚き、目を剥く私のうしろで、母上が微笑んでいる。
「その昔、一人の魔族がエルフの女の子と友達になりたいと願った。でも、エルフは魔族の頭の角を怖がって、なかなか友達になってくれない。そこでその魔族が開発した――それが、この秘術」
「これは、驚きました……まさか母上が、このような技をお使いになれるとは」
つるりとした額を手のひらで撫でながら、私は感嘆の言葉を洩らした。
「本来なら魔族が角を消す必要なんてないし、とっくに廃れた技なのだけれど、私は若い頃に習得したものを持ち続けていたの。もしかすると、いつかこんな日が訪れることを無意識に予感でもしていたのかもしれないわね。リ―ス・ベイン・セリテス・フリール――『お願い・僕と・友達に・なって』……ふふっ。可愛いわね」
「しかし、エルフと友達になりたがるとは、心優しい魔族もいたものですね」
「私の、おじいさんよ。覚えていないでしょうけれど、あなたが赤ん坊の頃、何度か抱っこしてもらったものだわ」
「なんと……母上の……」
なるほど、と腑に落ちる心地であった。その曾祖父にして、この母上あり――母上の優しさは、血筋か。
「封印を解くまで角は生えてきたりはしないわ。でも、角があろうがなかろうが、あなたがメディウス13世であることに変わりはない。あなたに多少なりとも不都合が生じるとすれば、魔物があなたを魔族だと識別できなくなるということぐらいかしらね」
「そのようなこと、不都合というほどのものではありません。人間に打ち解けやすくなることに比べれば、些末な問題です」
「そうね。あなたに敵うような魔物なんて、この世界には存在しないもの」
「まさにおっしゃるとおり。お心遣い感謝します、母上」
「どういたしまして。出発は、すぐに?」
「本日中に幹部各位へ政務委任の旨、文をしたためて送り、明日、発とうかと」
母上は相変わらず柔和な微笑を湛えながらも、その面差しに、薄く物寂しげな色が浮かんだ。
「しばしのお別れだわね、メデュー」
「ふっ、何をおっしゃいますか。先ほども申しましたが、人間相手のトモダチ作りなど、魔族を統べる王である私にかかれば造作なきこと。大して時間がかかるとは思えません。目標は滞りなく達成され、速やかに城へ帰還することになるでしょう」
「自信満々なのね」
母上はそう言って、どこかいたずらっぽく笑われた。
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