第8話 ダークエルフの里
その日、私はガディリアデウムを出ると、飛行魔法によりルーゲ島を南下していた。
目指す先はダークエルフの里、ライラ―ンパットである。
母上との先のやり取りの日から、十日が経過していた。
ライラ―ンパットはルーゲ島にいくつか点在するダークエルフの里の中でもっとも大規模な集落であり、我が同志にして幼馴染みでもある若き女王、ミレージュラの居住地でもある。その、ミレージュラに会いに行くのが目的であった。
母上から「トモダチ」なるものの存在について聞かされてからというもの、私は調子が悪かった。体の調子ではない。精神的な不調を来してしまっていたのだ。この三百余年の人生で、初めて味わう感覚であった。
(私はこれまでいったい何をしていたのであろうか……大勢で遊びたい、皆でワイワイしたいと切望しながら、勇者討伐にばかりかまけ、肝心の相手を作ることをまったく怠ってきたのだ。その結果が、今だ。他の皆があたりまえのように築いているトモダチという関係を、まったく構築できていない……トモダチが一人もいないという、この絶望的状況を招来してしまっているのだ。私は今までいったい何をしてきたのだろう?)
自責と後悔の念に苦しめられながら、さらに私に追い討ちをかけたのが、得も言われぬほど強い孤独感と、そして胸が疼くような寂しさであった。城のシェル・キープに上がり、夜空に浮かぶ星月を仰ぎながら一人、涙したことなど一度や二度ではない。幼少期より父上から泣くことを禁じられてきたが、この涙は止めようがなかった。魔王としての沽券に関わるため、むろん誰にも内緒である。
とはいえ正直に言えば、頬を冷たく濡らしながら、幾度となく天上から父上の怒りの鉄槌が振ってくるような錯覚に陥ったものだ。
何を泣いておる! だから貴様は甘いのだ! ズドーン、と――。
とにかくにも「トモダチ」を作らないことには遊べない、皆でワイワイできないとの思いから、幾度となくアジャパニアの町へ出て、町中を練り歩き、そこで過ごす魔族たちとの「ふれあい」を試みるも、結果は惨憺たるものだった。どんな状況で誰に声をかけようが、皆、示す反応は一様に同じである。かつて釣りや酒場での歓談の仲間に混ぜてもらおうと思った時と同じように「魔王陛下!」と驚き、顔をこわばらせ、しゃちほこばり、平身低頭、その下げた頭が上がることはない。私を魔王扱いしないでもらいたいと言っても聞き入れてもらえず、敬語を使わないよう懇願しても無駄で、まさにカーテンに腕押し、小麦粉に釘の連続であった。
「自分を責めなくても良いのよ、メデュー。あなたの孤独は、あなたに落ち度があってもたらされたものではないわ」
私の様子がおかしいことを察知してか、ある時、母上はそう慰めてくれた。
「あなたは幼い頃より12世から魔王としての厳しい教育と訓練を施され、12世の後継ぎとしてのみ育成させられてきた。そのさなかに心を通わせられる相手を作ってこられなかったとて、致し方のないこと。これは、王としての宿命のようなもの。王であるがゆえの、圧倒的強者であるがゆえの孤独なのだから」
「王であるがゆえの……圧倒的強者であるがゆえの、孤独……」
「それに……こう言っては何だけれど、同じ魔族の中に友達を見つけようと思っても、母はむずかしいと思います」
「何ですって……それは、なぜです?……いや、確かにこれまでまったくと言っていいほど成果は挙がってこなかったが」
私の疑問に対し、母上は次のように言ったのである――
「魔王メディウス13世として、あなたの顔が知られてしまっているからよ。おまけにあなたは勇者討伐という、初代メディウスでさえ為し得なかった偉業を達成した英雄。この後光がある以上、同族たちに対等の関係を求めてもむずかしいのではないかしら」
王であるがゆえの、孤独。
圧倒的強者であるがゆえの、孤独。
なるほどそういうことか、と納得しながらも、私自身の孤独感や心臓を締め付けられるような寂しさは如何ともしがたかった。狂おしいほどの寂寥感に苛まれながらも現状をどうすることもできず、夜ごと一人、ベッドの上で煩悶する日々が続いた。
そんなある日、ふと気付いたのである。
もし、これが王であるがゆえに、圧倒的強者であるがゆえにもたらされている孤独であり、それゆえの寂しさなのだとすれば、同じ王であればこの気持ちを共有できるのではないか、 と。同じ王であれば、今、私が置かれている状況についてわかってもらい、気持ちを分かち合うことが可能なのではあるまいか、と――。
ミレージュラに会いに行こうと思うに至った、理由である。私が王なら、彼女も王。ダークエルフを統べる若き女王であり、圧倒的な強者でもある。勇者討伐のために邁進してきたという点も変わらず、彼女ならきっと私の今の気持ちに共感してくれることだろう。
まもなくライラ―ンパットが見えてきた。広大な森に囲まれた、これまた広い里である。
森を越え、里に降り立つ。
入り口脇で花摘みをしていた何人かのダークエルフたちが、私に気付くなりぴたとその動きを止め、警戒のまなざしを向けてくる。
人間との戦時下にあっては盟友であったダークエルフではあるが、私を知る者はミレージュラを含め高位の一部の者たちだけだ。一介の里の娘に過ぎぬ彼女たちが私を知らぬのも無理はないし、あからさまに警戒されるのも致し方のないことではある。だが、この程度のことでも心にシクシクと沁みるような疼きを覚えるのは、私の精神が平時とはちがって不調を来しているからであろう。
里には巨大な木々が林立しており、その幹には螺旋状に外階段が設けられ、あちこちに扉がある。あれはほとんどがダークエルフたちの住まいである。
余談だが、ダークエルフというのは独立した種族の名称ではない。エルフ族の中で、魔族と同盟関係にあり、人間と対立する立場を取った者たちをそのように呼んでいるだけである。ゆえにエルフはエルフにちがいなく、外見、能力、性質、習性ともに基本的には変わらない。
魔族と共に人間と対立する立場にあることがダークエルフの要件ならば、勇者一行を倒し、人間との戦いが終わった今、その呼称は成立しないのではあるまいか、と思われるかもしれないが――いったん幕を閉じた戦が永遠にそのまま、とは限らないし、もしまた開戦の運びとなれば、その時はやはり彼らも魔族に味方することであろう。
ダークエルフの娘たちの警戒のまなざしを一身に浴び、寂しい思いをしながら、広小路を進んでいく。
まもなく、幹回りを周回するのに優に半時間は要そうかという、ひときわ巨大な樹の前に来た。巨大樹城、リーゼル・メイネ。この樹の内部が丸々、城となっており、代々ダークエルフの女王の居住地でもある場所だ。樹の幹には階段が這うように設けられ、窓や扉が点々としている。
正面にぽっかり開いた入り口から、中へ入った。内部は空洞になっており、木の質感が温かな印象だ。
まっすぐ伸びた幅広の通路を、王宮仕えとおぼしい立派な身なりをしたダークエルフたちとすれ違いながら歩いていくと、まもなく通路が十字に交差する広場に着いた。リーゼル・メイネの中心部である。そこに、支柱に巡らせる形で螺旋階段が設けてあった。
その階段を、上がっていく。
(そう言えば……私は己の状況や心情にばかりかまけていたが、これは同じ王であるミレージュラもまた味わっているはず……だとすれば、私は自分だけを慰めるのではなく、彼女の痛みや寂しさをも受け止め、癒してやる必要があるな。とことん彼女の話を聞いてやるとし――)
――などと考えながら階段を上がっていた私だったが、
「にゃっははははっ!」
五階のフロアに出るなり聞こえてきた楽しげな笑い声に、思考を中断させられた。
笑い声は他ならぬ、ミレージュラのものだ。幼き頃よりの知古であり、聞き馴染みもあるゆえ、さすがにすぐにわかった。
五階フロアにはたくさんの丸テーブルが置かれ、切り株の椅子がそれを囲んでいる。
中でもひときわ大きなテーブルに、ミレージュラがいた。場には十人を超える女のダークエルフたちがいて、やはりテーブルを囲んでいる。テーブルの上には飲み物の注がれたグラスや食べ物の乗った皿や果物の入ったバスケットなどが所狭しと置かれていた。
「おーっ! 誰かと思えば魔王ちゃん! 久しぶりぜよーっ!」
私に気付くなり、ミレージュラが声を上げる。高々と掲げた手を振ってきた。
その姿を見て、私は一瞬、目を疑った。
彼女は赤を基調とした露出度の高い民族衣装に身を包んでいた。いくつものきらきらした首飾りを下げ、金銀に宝石の嵌め込まれた腕輪を嵌めている。
ミレージュラと言えば黒を基調とした三分丈のドレスというイメージだったし、何十年前だったかに女王に就任してからはそれ以外の服装というものを見たことがないが、そこからすると見事なまでの変貌ぶりである。別人のようだ、と言っても過言には当たるまい。
「ミレージュラ……おまえ、その格好」
「ああ、これ? 今までは勇者討伐って目標があったしさ、あたしも女王としてそれなりに節度ある格好しなきゃなーって感じだったけど、戦争終わったし、そういうのがなくなったじゃん。てなわけであたしも一人の女として、好きな格好させてもらおうと思ってねー。あたしもともと赤系が好きだったし、あの地味なドレスから解放されてせいせいしてるよ!」
よく似合ってるよ、と他のダークエルフたちが褒め、ありがとー、とミレージュラが笑う。
似合っている、というのを否定するつもりは一切ない。それは、確かにミレージュラによく似合い、その美貌を引き立てていた。露出度がいささか高すぎる気はするが……
「さっきまでみんなで踊ってたからさ! 動きにくいの嫌だしねー」
「なるほど、そうであったか」
いいな。楽しそうだな。見ればまわりには太鼓だの笛だのといった楽器が置かれているが、それは踊りの時に使ったものか。いいな。私も楽器を演奏してみたい。
ミレージュラは化粧の仕方も変えているようである。ざっくり言うと、以前よりも明るく華やいだ印象になっていた。これもまたじつに似合っている。
「それより魔王ちゃん、どったの急に? 里にまでやって来るなんてめずらしいべや」
「う、うむ、ちょっとな」
含みのある受け答えをしながら、テーブルを眺め回す。どうやら飲み食いしながら歓談していたようだ。
正直なところ、私は勝手に出鼻をくじかれたような心地を味わっていた。独りよがりな思い込みと言えばそれまでだが、ここへ来るまでのあいだに私が想定していたのは寝室で一人、話し相手もなく孤独を味わい、寂しさに苛まれているミレージュラの姿だったのだ。そう、ガディリアデウムにて私が毎晩、そうしていたように。
それが実際はどうだ。大勢の仲間たちとテーブルを囲み、じつに楽しそうにワイワイやっているではないか。まさに私が強く望みながら叶えられずにいる光景が、目の前に広がっているのだ。私の思惑にたがい、ミレージュラは大いに人生を満喫しているようである。
「ず……ずいぶんと楽しそうだな、ミレージュラ」
「もうねえ、めえっっっちゃ楽しいよ! 勇者一行倒しちゃってから毎日こんな感じ! 宴会、宴会、また宴会! みたいな! 太るっつーの! にゃははっ!」
ミレージュラの笑いに乗じ、まわりの仲間たちも肩を揺らした。じつに和やかなムードだ。
「ミレージュラ、その……ちょっと二人で話したいんだが」
「うん、いいよー。じゃあみんな、あたしちょっと行ってくるから、楽しんでて!」
「「「はあーい」」」
皆に挨拶するとミレージュラはすっくと席を立った。
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