第7話 私にはトモダチがいない
「……というわけなのです、母上」
素晴らしく楽しい――ものになるはずであった「遊び」のデビューの、翌日。私はまた母上、レーネヤナのもとを訪ねていた。
言わずもがな、と言っては何だが用件は一つ。先日の遊び――否、そもそもあれは遊びなどではない。あれが遊びだなどと、私は認めぬ。とにかく、遊ぶつもりで訪れたアジャパニアにて体験した出来事を、最高の賢母である母上にお伝えするためだ。
町を歩き、まず釣りをしている魔族たちの仲間に加えてもらったことに始まり、酒場で起きたことに至るまで、事細かに、若干熱を帯びて伝える私の話を、母上は窓辺のテーブルで聞いておられた。母上は、相槌もそこそこといった感じではあったものの、聞いているあいだ、その口元から優しげで悠然とした微笑が消えることはなかった。
(何であろう、この母上の態度は……まるでこうなることがあらかじめわかっていたとでもいうような面差し……)
見目麗しき母上の顔を眺めながら、私はそんなことを思った。
「……いやはや、よもやこのようなことになるなど、私は想像だにしていなかった。幼子のように期待に胸を膨らませて臨んだものが、肩透かしも良いところです」
私は首を振りながら声を沈ませる。
「あるいは母上、私が勝手に思い違いをしていただけなのでしょうか? 遊びというのはそもそもそこまで楽しいものではなく、私が皆の心底楽しげな様子から一人で過大評価していただけに過ぎなかったのでしょうか?」
「いいえ、そんなことはないわ、メデュー」
それまでずっと伏し目がちで聞いていた母上が、そこで初めて私を見た。
「遊ぶというのは、とても楽しいものよ。あなたの思い違いなんかじゃない。あなたが最初に感じ、思っていたとおり……いえ、あるいはそれ以上のもの」
「しかし、先日の出来事からすると、とてもそのようには思えません。皆、私に過剰な気遣いを見せるばかりで、共に楽しんでくれたような者など一人としていなかった。あれでは窮屈なだけで、とてもではないが私自身は楽しめません」
「共に楽しんでくれる者が一人もいなかった」
母上は、私のセリフの一部を抜粋して鸚鵡返しする。
「そうおっしゃったわね、メデュー。それこそ問題の根幹を言い得ていると言えましょう。昨日、あなたはずっと独りぼっちだった。孤独だった。そうではないかしら?」
その言葉に、私はぎくりとなる。
「そ、そのとおりです。私は……独りぼっちだった。孤独だった……まさに母上の言われるとおりである」
心臓を突かれる心地であった。
「しかしながら、私は私なりに心配りはしたのです。釣りの時も、まわりでしゃちほこばってたたずむ魔族たちに椅子にかけるよう勧めましたし、酒場でも歓談の続きを再開する許可を出した。しかし、皆、戦々恐々とするばかりで、従う者がなかったのです」
「許可を出した、か」
母上は、どこか含みのある物言いをした。
どうも最近の母上はこのような言い方をなさることが多いように感じる。先日の相談において、私が「同志」という言葉を用いた時も然り。何か思うところがあるらしい。だが、それをはっきり伝えてくれないのが、もどかしい。
「母上。私の言うことに、何か引っかかるところでもあるのでしょうか? もしそうならばはっきり言って頂きたい」
語気をわずかに強めたのは、こちらの希望を明確に伝えるためである。
母上は、ちらと私を見て、それからふっと目を細められた。
「ごめんなさいね、メデュー。今回このような結果になることを、母はあらかじめわかっていました。わかっていながら、あなたを町へ送り出したの」
「やはり……何となく、そのような気がしていました。だが、なぜです?」
「あなたには、今後、身をもってさまざまなことを体験し、学んでいってほしいと思ったから。あなたがこれからの人生を豊かなものにするために、それが必要だと考えたからよ」
「人生を、豊かなものにするために……」
今度は私が鸚鵡返しをする番だった。正直なところあまりぴんとくる内容ではなかったが、しかしとても大切な、一種の真理を述べているのだということはわかった。理屈で理解できたというより、感覚的に理解したというのが正しいところである。
「メデュー、あなたの直面している問題を解きほぐしていきましょう。あなたは先日、共に遊ぶ仲間のことを『同志』と、そう表現していたわね」
「ええ、まさに」
「でも、共に遊ぶ仲間のことは、本来、『同志』とは呼ばないわ」
「なんと……志しを同じくする者のことは『同志』というのだと、私はそうとばかり思い込んでいましたが……」
これはもっぱら父上の影響である。同志よ。同胞よ――魔族たちにむかって、父上は折あるごとにそう言われていた。そして、私もまたそうであった。父上がそうしていたからだ。
「いえ、それ自体はまちがいじゃないわ。でも、誰かと共に遊ぶというのは、べつに志しを同じくする、というものではないの」
「し、しかし、同じ行為に及び、興趣を得、愉楽を分かち合うというのは、つまりそういうことではないのですか?」
「そうね……誰しも楽しむために遊ぶのだし、そういう意味では同じ目的にむかって進んでいるのだと言えるかもしれない。あなたの言い回しも、あながち的はずれではないわ」
母上はそこで、一度言葉を切った。
「問題なのは、彼らを『同志』と表現することで、あなた自身の姿勢が無意識に偏った規定のされ方をしてしまいかねない、ということなの。そしてあなたの話を聞く限り、それは現実のものとなってしまっている」
「……どういうことです? 話がいささか難解で、私にはわかりませんが」
「砕いて言えば、あなたを『魔王陛下』にし、他の魔族たちを『配下』にしてしまう、ということよ」
説明されて私は、ますますわからなくなる。私が「魔王陛下」であり、他の魔族のほとんどが私の「配下」であることは、自明の理。私がどうこうするまでもなく定まった、わかりきった関係性であるようにしか思えない。
「そうね。でも、それだと、誰かと共に遊ぶ、というあなたの目的の達成は困難になるの。遊びに興じている魔族たちのあいだに、上下関係はないわ。本来あったとしても、遊びの場には存在しない。彼らは対等な立場で愉楽を共有しているの」
「対等な立場……」
私はぽつりと言った。
言われてみれば、先日の私と他の魔族たちとの関係は、まったくもって「対等」などと呼べるようなものではなかった。私は「魔王陛下」として振る舞い、魔族たちも私を「魔王陛下」として接待していた。
「母上……おっしゃられることの意味、何となくわかって参りました。だが、ではどうすれば良いのです? 私は遊びたい。皆でワイワイやりたいのです」
「その望みを叶えるために、あなたに決定的に欠けているものがあるのよ、メデュー」
「私に、決定的に欠けているもの……」
王族として生まれたがゆえの、不自由のない暮らし。初代メディウスの再来との誉れ高き無尽蔵の魔力に強靭な肉体、圧倒的な戦いのセンス。そして、母上から受け継いだ美貌――。
決して私自身の自惚れではなしに、幼き時分より周囲から得てきた称賛からすると、恵まれ尽くしに恵まれており完璧すぎて何一つとして欠点など見当たらないようにも思えるが、その私に欠けているものなどあったのか。ましてや今の私は勇者を打ち倒し、魔族の世界に平和と安穏をもたらした英雄(自分で言うのも何だが)。一つだけ欠けていたパズルのピースが見事嵌まり、まさに完全無欠なる存在へと昇華されたのだとばかり思っていたが。
「友達の存在よ」
母上は、私をまっすぐ見て、ひとことそう言われた。
「トモ……ダチ……」
初めて聞くその言葉に、私は己の意識が吸い込まれるような気分を味わった。
「は、母上……それはいったい何です? 私の記憶が確かなら、父上の口からは一度としてそのような言葉をお聞きしたことがありません」
「そうね。12世は一度も言わなかったでしょう。そもそもあの人の辞書に存在する言葉ではなかったから」
「おおッ……ち、父上の辞書に存在しない言葉……そのようなものが、あったとは!」
その事実に、私は霹靂に打たれたような衝撃と驚きを味わった。掛け値なしに、私の世界を構築していた要素の一部が覆ったかのようである。
息子としての贔屓目を抜きにしても、父上は博識であった。博覧強記、というのはまさにこういう人のことを言うのだと痛感させられるほど物知りで、世の中の事物に精通しておられた。
そんな父上の辞書にすら存在していなかった言葉――トモダチ。その耳新しい響きが、私の内部にじわじわと浸透し、染み渡ってゆく。
「それは、12世の人生に必要のあるものではなかった。12世は魔王として邁進し、勇者打倒とエヴィリピア創設だけを目指して突き進んでいたから。メディウス一族が、代々そうしてきたようにね。あなたみたいに皆でワイワイ遊びたいなんて、頭の片隅に思い浮かべたことさえなかったと思うわ」
「確かに、そのようことを望む父上など想像もつきません」
私はかぶりを振りながら言った。
「私がそうした欲求を抱いていることを生前の父上がお知りになったら、きっと烈火のごとくお怒りになられたでしょう」
「そうね。『皆で遊びたい、だと。何を生ぬるいことをぬかしておるのだ。そんなことでわしの後継ぎが務まるか』と、口から火を噴いていたにちがいないわ」
「恐ろしや」
私は身震いせんばかりになる。
そんな私を見て、母上は、ふふとお笑いになられた。
「あなたが怖じる必要はないでしょう、メデュー。わかっているでしょうけれど、今のあなたは12世の全盛期よりも強いのだから」
「それはそうなのかもしれませんが、たとえ実力で追い抜いたにせよ、私にとって父上は常に仰ぎ見るべき偶像なのです。理想の魔王であり、永遠の目標なのです」
父上の亡きあと、いつだったかルギ=アンテから、こんなふうに言われたことがある――
『13世よ、貴様は確かに戦いの天才だ。強い。じつに強い。実力だけならば12世よりも上だろう。だが、貴様が12世に遠く及ばぬものがある。威光だ。なるほど比較的新しい世代の者たちからの支持はそれなりに集めているようだが、しかし貴様には、先代から仕えていた古参の魔族たちを牽引できるだけのカリスマ性がない』と。
そんな話をされて、悔しかったわけではない。私はむしろ、幼少期より培われてきた父上に対する憧憬や羨望を強めただけである。ある側面では私が永遠に到達できぬ境地、高みに上り詰めた圧倒的な存在として、崇敬の念を抱いたにすぎない。それは私にとって、むしろ喜ばしく、誇らしいことであったのだ。
「永遠の目標、か」
母上が、また含みのある物言いをする。
「まあ、いいわ。とにかくね、一緒に遊ぶ相手のことは『友達』と言うの。もしあなたが大勢でワイワイすることを望むのなら、まずは友達を作らないとならないわ」
「トモダチ、でありますか……わかりました、それではさっそく事に当たろうと思います」
「あ。お待ちなさい、メデュー」
部屋を出て行こうとした私を、母上が呼び止めた。私は扉の手前で立ち止まり、振り返る。
「何でしょう、母上」
「事に当たるって……あなた、どうやって友達を作るつもりなの?」
「なに、どうということはありません。聞いた限り、そのトモダチというのは同胞や仲間といった関係性の亜種のようですから、同じ方法でよろしいでしょう。明日にでも城内及びアジャパニアの町にトモダチ募集の報せを公示しようと思います。多額の報奨金を提示すれば、志願者は大勢現れるはず」
「そ、そうではないのよ、メデュー……お金を払って遊んでもらう相手は、友達とは呼ばないわ」
母上は明らかに、戸惑っている様子であった。そして、私もまた戸惑った。
「何ですって? では、皆はどうやってそのトモダチとやらを作っているのです?」
「そうね……ひとことで言うなら、ふれあい」
「ふれあい……」
「そう……相手と語らい、笑い合い、同じ時を共に過ごすの。魔王としてではなく一人の魔族として、対等の立場で。そうすることで、おのずと心と心につながりができてくる……友達とは、そうやってできるものなの」
「語らい、笑い合い、同じ時を共に過ごす……そして、心と心につながりが……」
そこまで言って、私は、はっとなる。
語らい、笑い合い、同じ時を共に過ごす――。
自分がこれまでの人生で他の魔族たちとそのような関わり方をまったくしてこなかったことに、気付いたのだ。私が他の魔族たちと交わしてきたやり取りは、すべて、幼少期においては王子として、即位してからは魔王としておこなったものだった。幼い時分より父上の背中を見て学び、また教授されてきた、魔王としての立ち居振る舞い――私はそれを、公の場においては片時も休まずに続けてきただけだった。私は「魔王」であり、他の魔族たちは「配下」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そうか、と理解する。他の魔族たちには、職務を離れた場所での魔族同士の交流があったのだ。任務や役職や肩書きなど一切関係のない、まっさらな付き合いがあったのだ。だからトモダチなる関係性が構築され、釣りや竜狩りに興じたり、酒場で杯を酌み交わすといった遊びも可能となっていたのだ。
だが、私はそうしたことをまったくしてこなかった。
そうか……
ようやくわかってきたぞ……そうか、そういうことか。
私には――、
私には、心と心でつながり合える対等な相手がいないのだ。
魔王という肩書きを脱ぎ捨てて話せる「トモダチ」がいないのだ。
一人も……。
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