第6話 魔王陛下の挫折

 不完全燃焼の薪を胸中にくすぶらせたまま、私は川べりをあとにした。


(ちがう……ちがうぞ。あれは「遊び」ではない)


 アジャパニアの広小路をとぼとぼ歩きながら、私はそんなことを考えていた。


(いや見方によっては確かに遊びと言えるのかもしれないが、少なくともかつて町で見てきた魔族たちがしていたように、そして私が憧れて止まなかったように、「皆で一緒に遊ぶ」ということが成立しているとはとても言えぬ。あれではまるで私は魔王そのままであり、他の魔族たちは配下そのまま――つまり勇者一行と対峙していた時代そのものではないか……)


 まもなく、とある酒場の前を通りかかる。まだ昼間だが大勢の魔族たちがテーブルを囲み、酒とつまみを口にしながら談笑しているのが見えた。

 これはまたじつに楽しそうだ。おそらく勇者討伐前にはこれほどまで大々的に大騒ぎするようなこともめったになかったのであろうな。先のセリフではないが、彼らにこうした日常を戻してやれただけでも魔王冥利に尽きるというもの。華やかで楽しげな歓談の声や彼らの笑顔を眺めていると、こちらまで嬉しくなってくる。

 そして同時に、私自身もあの輪の中に加わりたい、という強烈な情動が胸の奥底から突き上がってきた。

 つかのま店内を練り歩き、まもなく目を留めたグループのもとへ歩み寄る。若い男の魔族八名のグループだ。丸テーブルを囲み、酒を飲みながら大いに喋り、大いに笑い合っている。


「皆の者。私も混ぜてはくれぬか」


 彼らのそばに立ち、私はそうお願いしてみた。

 大騒ぎをしていた彼らはすぐには私に気付かず、相変わらず歓談を続けていたが、まもなく振り向いた一人が私を見上げた。彼はすぐ前に向き直り、かと思うとゆっくりと、また振り向き、見上げてくる。

 その表情に、覚えがある。どこに覚えがあったのか、思い起こすのは容易であった。なぜなら、私が前にその顔を見たのはつい先ほど――まださほど時間は経過していない。

 そう、さっきだ。さっき釣りに興じていた魔族たちに声をかけた際、振り返り、私に目を留めた彼らの顔――あれと、まったく同じなのだ。彼らと同じ表情を、今、目の前の魔族たちもしている。すなわち、目を剥き、口を半開きにし、顔をこわばらせているのだ。


「まままッ――魔王陛下ッッッ!」


 その魔族は酒のせいで頬をほんのりと染めながらもそう叫び、口にしかけていたグラスを勢いよくテーブルに戻した。

 そして、その瞬間、店内の騒ぎがぴたと止んだ。先ほどまでの賑わいが嘘のように静まり返り、しんとなった。

 店内にいるすべての魔族たちが、こちらを注視している。テーブルを囲んで酒とつまみと会話を楽しんでいた者たちも、注文品を運ぼうと通路を歩いていた給仕たちも、カウンターのむこうで料理や飲み物の準備といった作業に勤しんでいた店員たちも、皆、こぞってぴたりと動きを止め、まるで蝋人形のように固まったまま、こちらを――否、私を見ている。

 いったいなんだ。なんだと言うのだ。私は無意識に妙な魔法でも使ってしまったのだろうか。そんなふうに思えてきてしまうほど、皆の変化は著しく、極端であった。

 居合わせた魔族たちが一斉に席を立ち、あちこちで椅子の脚が床を叩くガタガタという音が鳴った。彼らは腰を曲げ、深々と頭を下げた。


「え?」と私は戸惑う。


「魔王陛下ッ! このような雑多な場所へ、本日はようこそお越しくださいましたッ!」

 

 慌てて出てきた店主らしき男の魔族が、そう歓迎の声を上げた。


「ああ、いや……べつに……」

「ほっ本日はッ……いったいいかなるご用でございましょうッ!?」

「あ、ああ……じつは野暮用で訪れたついでに立ち寄ってみたのだが、その……私もたまには皆と酒など酌み交わしたいと思ってな」


 過剰なまでに(と私には思える)しゃちほこばった店主の勢いに若干気圧され気味になりながらも、私はそう答えた。勇者を相手取っている時ですら、気圧されるなどという経験は露ほどもしてこなかったものだが、この店主、なかなかやるようである。

 ……などと冗談を言っている場合ではない。


「ま……魔王陛下が……と、当店の酒をご所望……ですと!?」

「う、うむ。皆で、ぜひ……」

「しっ、しかし陛下! 怖れながら当店で取り扱っている酒はごく一般的な、庶民向けの代物ばかりで……たとえば魔王城ガディリアデウムの酒蔵にあるような超高級酒など一つとしてございませんが!」

「い、いや……構わんよ。そもそも私は酒には詳しくないのだし」


 ガディリアデウムの酒蔵にいかなる酒があるのか、それさえ私は把握していないのだ。


「葡萄酒にしても一番古いものでロマーニュ・コンティニャ産の十年ものがせいぜいで、百年ものやら二百年ものやらの古酒などは望むべくもございませんが!?」

「それで構わん……何ならまったく寝かせていない初物の葡萄酒でも良いのだ。私は皆と酒を酌み交わし、ワイワイできればそれで満足なのである」

「は、はッ! さようにございますか! そ、それでは怖れながらご用意させていただきとう存じます! 今しばらくお待ちのほどを!」

 

 上ずった声でそう言うと深々とお辞儀をし、踵を返す。厨房で何事か指示を出したかと思うと、三人の店員がやって来て、私が声をかけた者たちのテーブルの上を片付けだした。一人がテーブル一杯に雑然と並べられていた料理の皿やら酒のグラスやらをいそいそと撤収し、もう一人がゴミを拾い集め、布巾でテーブルを拭いていく。その間にべつの一人が腕を振って他の客たちを追い払うようなしぐさをした。客たちがぞろぞろと場を離れ、壁際まで移動する。


「ささっ、陛下! お席のご用意ができました! どうぞ、おかけになってお待ちください!」


 一人が椅子を引いて言い、他の二人と一緒に頭を下げる。


「う、うむ……」


 皆が固唾を呑むようにして見守る中、私はテーブルまで歩いてゆき、その椅子に腰かけた。

 すでにして違和感を覚えていたことは、否定できない。

 まもなく店主が葡萄酒の瓶を手にやって来た。うしろから従っている女の店員の手にはワイングラスがある。


「たいへんお待たせ致しました、陛下! こちらが当店で取り扱っている葡萄酒の中でも最高級品、ドン・ペロペリョンの十年ものになります! どっしりとした飲みごたえ、濃厚なコクがありながらも後口はフルーツのように爽やか、陛下にふさわしき酒と存じます!」

「そ、そうか……まあ、よくはわからんが、頂戴するとしよう」


 正直なところ、酒の味や質などはどうでも良い。私は皆と杯を酌み交わし、ワイワイできればそれでいいのだ――

 そんな私の本心など露知らず、女の店員が私の前にガチガチになりながらワイングラスを置く。なんだ、手が震えているではないか。そんなに緊張しなくても。続いて店主が傍らに立ち、両手で持った葡萄酒の瓶を仰々しく傾けた。とくとくとく、と濃い紫の液体がワイングラスの内壁を滑るようにして注がれ、揺れながら満たされていく。


「ど――どうぞ、ご賞味ください!」

「う、うむ」


 私はワイングラスのステムをつまみ、口へ運ぶ。縁に口をつけ、くいと傾けた。

 店主が言うところの「最高級品」という葡萄酒が、私の口の隙間からするすると流れ込み、口の中へ広がり、そして喉へ落ちていく。


「お、お口に合いますかどうですか……」

「うむ……旨い……な」

「さ、さようにございますか! 感激の至りにございます!」


 だが、酒の味はさておき、私には先ほどから気にかかって仕方のないことがあった。


「店主よ、訊くが……皆、どうして壁を背にたたずんでいるのだ? さっきまでしていたようにテーブルを囲み、酒と肴を楽しみながら歓談すれば良いではないか」

「めめめ、滅相もございません! 魔王陛下と酒席を共にするなど、我々庶民には怖れ多きことこの上なし、汗顔の至りにございます!」

「いや、しかし……」


 しかし、それでは「遊び」にならないではないか。皆で杯を酌み交わし、ワイワイできてこその「遊び」なのだ。皆が壁を背にたたずみ、緊張の面持ちで見守る中、一人葡萄酒をたしなむなど、それはどう考えても「遊び」ではない。少なくとも私にはそうは思えぬ。いやたとえ広義の遊びに分類されるものなのだとしても、私のやりたいことではない。

 なんなのだ。いったいなんだと言うのだ。ついさっきまで、皆はあんなに楽しそうにしていたではないか。朗らかに、和やかに、酒を酌み交わし、つまみを食べ、大いに笑い合い、大いに語り合っていたではないか。

 それが今はどうだ。店主や店員も含め、皆の全身から醸し出される緊張感。固唾を呑むようにしてこちらの様子を見守るまなざし。あたかも何かを畏怖するかのようにこわばり、引きつった面差し――これではまるで私がこの中の誰かを市中引き回しの刑にでも処さんとしているかのようである。言うまでもなく、私にはそんなつもりは毛頭ないと言うのに。


       〇


 取り立てて進展もないまま、釣りに続く私の試みは終わった。酒場で過ごした時間は大したものではない。何しろ張り詰めた空気の中、まわりを囲まれ、衆人環視に晒されながら酒を飲んでいたところで少しも美味しくはなく、むしろ居心地が悪いことこの上なかったため、そそくさと一杯目を飲み干してしまうとお代わりを注ごうとする店主を制し、店を出てきたのだ。会計しようとすると店主が「いえ、いえ、いえ、陛下からお代など頂けません!」などと言ってきたが、皆の手前、そんなわけにいくか。

 そういう次第で私は財布から1万マリシュ札を十枚抜き取ってレジカウンターに置き、釣りはいらぬと言い残して場をあとにしたのだった。

 帰り道、私は始終頭がぼうっとしていた。足取りもおぼつかなかったが、それに気付いた者は果たしてあったのだろうか。

 そう――私は明らかに酔っていたのだ。どうやら酒に弱いようである。

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