第4話 母上に遊びについて相談をする

「あなたもお茶を飲む?」


 ティーカップの紅茶を一口啜り、頬を緩めてから、母上はそう訊いてきた。


「いえ、私は結構です。それより母上、相談したいことが」


 従者の娘がぺこりとお辞儀をし、茶器を乗せたワゴンを押して部屋を出て行く。

 母上はティーカップをゆっくりとテーブルへ戻した。


「相談? 何かしら」

「かつて我らの始祖である初代メディウスは力により全地上を支配したのち、暗黒の楽園『エヴィリピア』創設に着手しました。エヴィリピアは魔族の楽園であり、他種族にとっては恐怖と絶望の支配する闇の世界……そしてそれこそ魔族の目指す先であり我らメディウス一族の責務であり続けたことは、母上におかれましてもご存じのはず」

「もちろん、知っているわ。それが代々メディウス一族の夢であり続けたことも、12世の悲願であったこともね」

「しかし、正直なところ私はそんなものに興味はないのです。なので創設するつもりはないのですが、ルギ=アンテとミレージュラに話したところ、ミレージュラはともかくルギ=アンテの反応が思わしくなかった。これについてどう思われますか、母上」


 母上は、少し間を置いてから、ふっと口元を緩めた。


「どう思うもこう思うもないわ。あなた自身の心の声に耳を澄ませ、したいようになさい。まわりがどうとか、ご先祖様がどうであったかとか、魔族の歴史がどうであったかとか、そんなものは気にしなくていいの。過去や常識に縛られることはない。あなたのしたいようにするのよ、メデュー」


 そのひとことで、私は自分の心がぱっと晴れるのを感じた。


「やはり、そうですか。さすがは母上である。自ら意思表示をしたものの、幹部の賛同が得られぬとなるとつい迷いが生じてしまっていたが、今ので吹っ切れました。私はやはり自分のやりたいようにやっていこうと思います」

「そうなさい。あなたはもう自由の身なのだから」

「ところで母上、もう一つ相談したいことがあります。じつのところ、そちらのほうが肝心なのですが……」

「あら。世界を支配下に置く魔王陛下にずいぶんと頼られたものだわね」


 どこかいたずらっぽい口調で母上は言った。


「じつは私はかねがね遊びたいと思っていたのです。勇者一行を倒した暁には、かならずや遊ぼうと、心に決めておりました。全地上を魔族の領地として取り戻した今、その夢を果たそうと考えているのです」

「素晴らしい考えだわ、メデュー」


 母上は満足げにそう言って、ティーカップに口を付けた。


「ところがいざ実行に移そうとなると、どうもぴんとこない。おそらく魔王としての道一筋に驀進し続けてきた弊害かと思うのですが、今一つイメージが掴めないのです」


 思えば私が最初に「遊び」なるものを知ったのは、二百年近く前のこと――父上に連れられ、初めて野外における魔法訓練をおこなった時のことだ。王子時代の私は父上の許可なく城の外を出歩くことを禁じられていたため、外出自体もそれが初めてだったと言って良い。

  まず目にしたのは山で竜狩りをする魔族たちの姿だった。それから川で泳いだり水をかけ合ったりする者たちを見かけた。べつの場所では釣りをする者たちの姿もあった。平原できゃあきゃあ声を上げながら追いかけっこをする子供たちもいた。切り株を挟んで向かい合い、盤上でさまざまな形をした駒のようなものを動かし合っている者たちもあった。

 興味を引かれた私は、彼らは何をしているのですかと父上に尋ねたものだ。

 しかし、父上の答えはこういうものだった――

「おまえが知る必要はない、ジュニアよ。おまえは次期魔王としての己の研鑽にのみ目を向けていればいいのだ。夾雑物にかまけるでないわ」

 だが、彼らが何をしていたのかどうしても知りたかった私は、あとになってこっそり母上の寝室へ赴き、教えてもらったのである。


 母上は言った――彼らがしているのは「遊び」だと。彼らは「遊んで」いるのだと。


 遊び、と、なかば恍惚となったようにつぶやいたのを、はっきり覚えている。それこそ私が遊びというものに強い憧れを抱くようになった瞬間であった。


「イメージが掴めない、か……」


 ティーカップをテーブルに戻してから、母上がそうぽつりと言った。


「正確にはイメージが掴めないのではなく、遊びそのものを頭に思い描くことはできるが、それをおこなっている私自身をイメージすることができない、とでも言ったほうがいいかもしれません」


 父上が勇者一行に敗れ、魔王に即位して行動の自由が得られてからは、野山のみならず町へも足を運ぶようになっていた。そしてそこでもさまざまな遊びの場面を目にしてきた。テーブルを囲んでカードゲームをする者たち。酒場で杯を酌み交わし、歓談する者たち。広場でボールを蹴り合う子供たち。そのたびに遊びへの憧憬の念を募らせていたのはまぎれもない事実だ。 


「何をして遊びたいとか、そういうのはあるのかしら?」

「それも、ぱっと思い浮かぶものがないのです。とても一つには絞れないゆえ、遊びならば何でも試みてみたい、というのが本心でしょうか」

「何でも試みてみる。良いことだわ」

「私がかつて外で見てきた記憶にある限り、彼らはたいてい複数名や集団で遊びをおこなっていました。遊びというのは一人でやるようなものではないようですね」

「一人でやる遊びというのもあるけれど、やはり大勢で一緒に遊んだほうが楽しいのではないかしら」

「なるほど……私はかねがね皆でワイワイ遊ぶということに憧れていたのです。遊びの内容に関わらず、じつに楽しそうである。ただ問題なのは、共に事を為す同志が私の身近にいないということなのです」

「同志……」


 母上はぽつりとつぶやいて、それからぷっと吹き出した。手の甲を口元に当てて、くすくす笑いだす。


「母上。私は何かおかしなことを言いましたでしょうか?」

「いいえ、ちっとも」


 答えながらも、母上は相変わらず口元を緩ませたままだ。慈愛に満ちた目で、私をまっすぐ見た。


「メデュー、とりあえず町へ足を運んでみてはどうかしら。いつかあなたが見てきたように、遊びに興じている魔族たちがきっといるはずよ」

「さすがは母上。今、私の目の前に、一つの道が拓かれました。明日にでもさっそく町へ出向き、同志たちと共に遊んでこようと思います」

「同志、ね」


 母上はまた、頬を緩める。


 この時、私はなぜ母上が「同志」という単語に反応し、おかしそうにするのかが、まだわかっていなかった。同志――共に事を為す者たちを指す言葉として、もっともよく使われる単語の一つであるはずだし、そこになぜおかしみを見出しているのかがさっぱりわからない。


 だが、母上には母上なりに思うところや感じるものがあるのだろう。深く考えるのは今はやめにして、計画を実行に移すこととしよう。

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