第3話 レーネヤナ皇太后

「同胞よ、聞け! われわれは勝った! じつに五千余年を経て初の勝利である! そう、我らが始祖、初代メディウスが伝説の勇者レシに敗れて以降、初となる魔族の勝利である! 

 思い起こすがいい、この永劫にも思われた長きに亘る忌まわしき敗戦の歴史を! だが、それもついに終わった! われわれを脅かし続けてきた勇者一行は完全に潰え、もはや魔族にとっての脅威などどこにもない!

 同胞よ、歓喜に叫べ! 感涙にむせび、打ち震えよ! われわれは今、世界の支配者である! 頂点に君臨する種族であり、そして自由である! この自由は何者にも奪わせはせぬ!

 我ら魔族は未来永劫、不滅なり! 万歳!」


 ワアアアアッッッ―――――――― ―――― ―― ― ………… …… …


                 〇


 勇者討伐の翌日――総勢六千からなるルーゲ島の魔族たちを前に、魔王城ガディリアデウム正面広場においておこなわれた勝利宣言及から、さらに一夜が明けていた。 


 私は城内を歩いていた。向かっている先は一つ、我が母君、レーネヤナ皇太后のもとだ。昨夜は勝利宣言からそのまま中央庭園にて祝賀祭典の運びとなり、終幕は深夜近くであったため、二人でゆっくり話す時間を設けることができなかった。


 父12世と並び、幼少期より私に養育を施してきた母上。私のこれまでの人生を緩急にわけるなら、「急」を担当していたのが父上であり、「緩」を担当していたのが母上だと言えよう。

 王子時代、父上による魔王の後継ぎとしての厳しい修行のさなかにあって、母上の存在、その優しさがどれだけ我が心を慰め、下支えとなってくれたかは筆舌に尽くしがたいものがある。あるいは母上がいなければ、私は途中で心折れ、魔王としての躍進を自ら放擲していたやもしれぬのだ。

 そういう意味においては私が魔王として歴史的快挙を成し遂げるに至ったのは、半分は母上のおかげだと言わなければなるまい。樹木の成長に伴い、枝葉を伐採して整えてきたのが父上なら、ひたすら水をやり続けてくれたのが母上に他ならないのだから。


「母上。13世が参りました」


 まもなく母上の寝室に着くと、扉の前で、そう中へ声をかけた。


「入って良いわよ」


 返事を聞くと私は扉を開け、部屋に入った。


 白を基調としたドレス姿の母上は、窓辺近くに置かれたテーブルにむかって腰かけていた。お茶を楽しもうとしているところだったようで、ガラスのティーポットの中に、琥珀色の液体が見える。折しもティーカップに、ミルク差しのミルクを注いでいた。傍らには従者の娘がいて、運んできたらしいワゴンの上から焼き菓子の入った皿をテーブルに移している。


「勝利宣言、お疲れ様だったわね。さすがに緊張したかしら?」


 母上は視線をティーカップの中へ落としたまま、柔和な微笑を崩さず訊いてくる。長い銀色の巻き髪が、頬のラインの背景となっていた。


「そのようには見えなかったかもしれませんが、まさに。ガチガチでした。立場上、大勢の前で演説する機会というものと無縁ではいられないとはいえ、一向に慣れません。一週間ぶんの変な汗をかいたと申して良いでしょう」

「緊張しいなのは私の血を引いてしまったのね。申し訳なく思うわ、メデュー」


 メデューというのは私の愛称である。この名で私を呼ぶのはかつては母上に加えて祖母上、そしてミレージュラの三人であったが、私が王に即位したのを機にミレージュラの私に対する呼び方は「メデューちゃん」から「魔王ちゃん」に変わった。そして三十年前に祖母上が他界し、現在では母上ただ一人ということになっている。


「父上はいつも堂々としておられ、立派でしたね」

 

 そう言う私の脳裏には、大勢の部下たちの前で威光や威厳を微塵も失することなく演説をおこなう偉大な父上の姿が浮かんでいた。


「そうね……心身ともに強い人だったから」

 

 母上は父上を懐かしむように目を細めている。やはり愛しい人なのだろう。


「でも、あなたの演説だって立派だったわよ、メデュー。緊張でガチガチだったなんて、少しも思えないぐらい。きっと皆も同じ感想を持ったんじゃないかしら」

「それなら良かったです。私のポーカーフェイスもすっかり板に付いたようである」


 母上が世辞を言ったのではないことが私にはなんとなくわかったから、素直に喜ばしかった。

 母上はミルク差しを脇に置き、銀の匙を手に取ると、それをティーカップにそっと突っ込んだ。ゆるゆると、かき回していく。

 父上が選んだだけあり、我が母君レーネヤナはじつに美しい魔族である。むろん往年のような若さこそないが、そのぶん重ねてきた歳月に裏打ちされた底光りするような美貌は、他の追随を寄せ付けぬほどだ。ミレージュラはよく私の容姿が母親似だと言ってくれるが、それは私にとって最高の賛辞の一つに他ならない。

 また、父上の角は両側頭部から生え、大きく湾曲した三日月のような形の巨大なものだったが、母上の角は前髪の生え際から左右斜めに緩く弧を描いている。そして私は母上のほうを受け継いでいた。同じく受け継いだ長い銀色の髪は、私の何よりの誇りだ。


 父12世と並び、私に養育を施した人物、というのは先に述べたとおり。ただ、私に戦術及び魔法並びに魔王学を叩き込んだのが父上だとすると、母上が私に教えてきたものがいったい何だったのか、はっきり言い表すことがむずかしい。


 どう言えばいいだろうか――


 たとえば、そう、ある日のこと。任務に失敗した部下複数名を、私は玉座の間にて思い切りどやしつけたことがあった。他の部下たちの面前で怒鳴り、悪罵を浴びせ、さんざんになじり、魔族としての誇りを疑うような発言を叩きつけ、玉座の間から追い出した。王に即位して以後、父上のやり方を忠実に踏襲していた私にとって、部下に対する態度としてはありがちなものであった。


「メデュー。あなたは本心からあのようなことを申したの?」


 その部下たちが玉座の間から出て行ってしまったあと、隣に座る母上がそっと訊いてきたものだ。


「いや、母上。本心からではありません」


 私はそう答えた。


「そうね。母にもわかります。あなたは本心では少しも怒ってなどいやしなかった」「はい」

「あなたはあの者たちの言い分を理解し、受け止めていた。そうね? 今回の失敗は無理からぬことと、そう腹落ちさせていた」

「そのとおりです。だが、それがどうされたのです?」


 母上の言わんとするところが見えてこず、私は怪訝に思わずにはいられなかった。


「本心では少しも怒っておらず、それどころか相手の言い分を受け止めてあげていながら、どうして表向きはあのような物言いをなさったの?」

「それは……私が魔王だからです。魔王とはかくあるべきと、私は父上からずっと教わってきた。父上の魔王としての背中を見て、これまで育ってきたのです。あの時、父上ならばきっとああしていた。魔王として、です。だから私もそうした――魔王として」

「あなたの先の態度は、12世に準じたものだと言うのね。でも、それは果たして正しいことかしら。あなたは12世ではない。あなたは12世だけではなく私の血も引いた、唯一無二の存在。あなたらしくいればいいのではないかしら」

「私……らしく……」

「12世は暴虐の王――暴君だった。皆の崇敬を集めると同時に、畏怖されてもいた。でも、何もあなたまで暴君にならなくても良いのよ」


 あなたまで暴君にならなくて良いのよ――


 その時、母上の言葉に、胸にぐっと差し迫るものを感じていたのはまぎれもない事実だ。

 だが、それを完全に受け止め、聞き入れるには、私には「器」が足りていなかった。

 私の中の「器」の大半を占める父、12世の存在が、その言葉を外へと押しやってしまった。


「く……口を出さないでいただきたい、母上。これは、私の仕事。私の、魔王としての仕事です。あの時、父上ならばきっとああしたでしょう。それが正解なのです」

「メデュー……」



 ――母上から学んできたものはそういうものだった、と伝えて他人に理解してもらえるかどうか、まったく自信はない。先に言ったように、戦術だの魔法だの魔王学だのとひとことで括れる父上から学んできたこととちがい、母上から学んできたものはコレだと言葉で言い表すことができないのだ。魔王としてかくあるべきとか、父上ならばそうするだろうという態度や姿勢や発言内容を示すにつけ、私に問いかけ、私の本心を炙り出し、正道へと導こうとしてきた――敢えて言語化するならば、そのように表現できるかもしれぬ。しかしそれでじゅうぶんかと言うと、とてもそうは思えない。


 父上からの学びが「広さ」ならば、母上からの学びは「深み」――いや、これもいささか抽象的に過ぎるか……

 

 私が完全に父上の色に染まるのを、食い止めようとしていた――そのような節が、とくに父上亡きあとの母上には見られたように思う。それが奏功したのかどうかはわからぬ。私は結局は魔王であり、そのバックボーンとなっていたのは父、12世の影であった。母上が炙り出した私の本心と、父上の存在に礎を為す魔王としての態度とのあいだで私はかならず揺れ動き、そのつど葛藤を生じさせていたものの、最終的に勝利するのは決まって私の中にある父上であり、魔王としての私だった。


 そう、私はどこまでも「魔王メディウス13世」であったのだ。

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