第2話 私は遊びたいのである

 静かであった。まるでつい今さっきまでそこで展開されていた激しい死闘が、夢ででもあったかのように。


 荒れ地にたたずみ、はるか先に岩山を背にして聳える魔王城ガディリアデウムを眺めるとも眺めていた私のもとへ、ルギ=アンテが歩み寄ってくる。

 ミレージュラも、上空から浮遊して近付いてきて、すぐうしろへふわっと降り立った。


「おまえたちも片が付いたようだな。ご苦労であった」

 

 私は正面を向いたまま言った。


「貴様が勇者を葬り去るよりは早かったさ、13世。手こずるようなら応戦してやるつもりだったんだが、その必要はなかったか」


 隆々とした腕を胸の前で組みながら、ルギ=アンテが持ち前の低く響く声を出す。


 皮肉めいた物言いはルギ=アンテの十八番だ。悪意からでないのはわかっている。父上に対してさえそうであった――幼かった私は、それを、近くで幾度となく目にしてきたものだ。

 ルギ=アンテは先述のように肉弾戦では私と互角以上の実力者であり、それだけに肉体の発達ぶりは目覚ましい。上背もあり、彼と話す時には私は見上げる格好となる。朱色の肌をしたホムン種の魔族で、筋骨隆々とした裸の上半身にグレーのマントを羽織り、垂れた眉と厚い唇が印象的だ。魔族特有の角は太く大きく、水牛のそれを髣髴とさせる。


「んーっ? その言い方ってなんかフェアじゃないなー。魔王ちゃんは勇者と戦士の二人を相手にしてたんだよー?」


 ミレージュラのフォローが入る。

 ミレージュラは膨大な魔力を有するダークエルフの女王である。この私と同じく、若き王。私にとってはいわゆる幼馴染みという間柄であり、幼き時分よりよく二人で魔法の習熟度を競い合ってきたものだ。魔法の扱い全般において、その右に出る者はほとんどおるまい。

 彼女は黒を基調とした三分丈のドレスに身を包んでいるが、ややもすると地味なその服装を吹き飛ばすほど華美で愛らしい風貌をしている。雪のように白い肌はさながら陶器を髣髴とさせ、長いまつ毛に縁取られた大きな目から覗く瞳の輝きは、さしずめ黒曜石の如き。血色のよい唇が、全体の印象をきゅっと引き締めている。


「ふん。言われんでもわかっているさ、ミレージュラ」


 ルギ=アンテが、悠然とした笑みを湛えながら言う。その視線を、私に向けた。


「代々俺たち魔族を統べてきた王族、メディウス……その中でも歴代最強と名高い初代を超えるとされる戦いの天才児、か。確かに今回の勝利も、こいつのその圧倒的な力があればこそ為し得たものだ。それは認めてやらねばなるまい」

「まさかルギ=アンテから褒められる日が来るとはな」


 私は驚きつつも笑う。


「父上を褒めた場面さえ見たことがなかったが」

「先代の強さがしょせんそこまでだったということだ。奴は結局、勇者たちには勝てなかった。それがすべてを物語っていると言えよう。貴様の実力は先代を上回っている」

「しかし、先の戦争における勇者一行との決戦の際、父上はお一人で戦われたのだろう? おまえも、当時のダークエルフの女王も、他の重要拠点に配備されていたと聞く。今回のように二人の協力があれば……」

「プライドゆえか、歴代の王たちの前例に倣ったのだろうが、一人で勝てるという過信もまた敗因に他ならん。俺たちに協力を要請した貴様の柔軟性は歴代の王たちにはなかったものだ。そこにも勝因があるならば、それもまた実力の一つと評価できよう」

「そうか……」


 とはいえ私とて、ルギ=アンテとミレージュラに決戦への参加を要請することに、まったく迷いや抵抗がなかったわけではない。それをもたらしていたのは偏に、私の中に根深く潜む、亡き父上の影であった。

 歴史的に見て魔王が決戦の場において部下や盟友に参戦を求めた記録がないのも事実であるし、迷うさなかに「貴様はそれでも魔族の王か」と、そう父上からどやされる心地がしたものだ。

 また、二人をガディリアデウムへ呼び寄せたことで、本来彼らに守らせるべきだった重要拠点が陥落させられてしまったことも確かだ。


 しかし最終的な勝利こそすべてであると、私はそう考えていた。


 そして、私はそれほど二人の実力を買っていたのだ。三人ならば勝てる――そう信じていたからこそ、歴史を覆してでも彼らに参戦を求めたのだ。


「父上の崩御から、早や八十年……墓前に、いい報告ができそうだ」


 私が遠い目をして言うと、ルギ=アンテが「くく」と、乾いた笑い声を立てた。


「墓前に報告、だと。墓場でまで12世に怒鳴られるつもりか、13世よ。奴はそんなものなど望むまい。さっさと暗黒の楽園、『エヴィリピア』創設に着手せよと叱咤されるのがオチだぞ」

「……確かに、そうかもしれぬな」


 言われてみれば、父上はそういうお方だった。生ぬるいやり取りや、人間めいた感傷を持ち込むことをひどく嫌われていた。

 墓前への勝利の報告――なるほど、およそ父上が望みそうもないことだ。


「それでさあ、魔王ちゃん。これからどうすんのよー?」


 ミレージュラが訊いてくる。


「これから……」

「愚門はよせ」

 

 ルギ=アンテがせせら笑った。


「勇者を討ち取った以上、魔王としてこいつのすべきことなど一つしかない。今言った暗黒の楽園、『エヴィリピア』の創設だ。魔族による全地上の徹底的な支配と統一――六千年前、初代メディウスがそうしたようにな」

「やっぱ、そうかあ。魔王ちゃんこれでしばらくゆっくりできるのかと思ったんねんけど、そうもいかないんやなあ。大変だねえ王族ってさー」

「ふん、貴様も王ではないか」


 ルギ=アンテが呆れ交じりに言う。


「そりゃそーだけど、ダークエルフの王制は世襲じゃないもんよ。百年ごとに一番強い魔力の持ち主が王になる。寿命千年超えの身にゃあ百年なんてすぐやさかい、気楽なもんだべさあ。にゃっははは」


 時折、ミレージュラの話し言葉の中に、標準語と異なる言い回しやイントネーションが混ざることがあるのだが、これは彼女の故郷に由来するものらしい。生まれ故郷の「方言」なる、その地方特有の言語表現なのだそうだ。


「まあ、13世がこれから忙しくなるのはまちがいない。暗黒の楽園の創設を――」

「いや」


 ぽつりと私が口にした否定の言葉で、ルギ=アンテとミレージュラの視線がこちらに向けられた。黙ったまま、続く言葉を待っている。


「私は『エヴィリピア』を創設しようとは思わぬ。勇者一行を討ち取り、われわれ魔族にとっての脅威は失せた。それでじゅうぶんではないか」

「なん……だと……」

 

 ルギ=アンテが顔をこわばらせる。


「貴様、それは本気か」

「勇者討伐後のことについては、私とて常々頭を巡らせていたのだ。確かに、かつて初代はその圧倒的な力をもってこの地を支配し、暗黒の楽園を築いた。それこそメディウス王朝の始まりに他ならず、またメディウス一族の念願であり全魔族の願いでもあるのかもしれぬ。勇者に勝利したのが私でなければ……たとえば父上なら、おまえの言うように即刻、『エヴィリピア』の創設に着手したことだろう」

「当然だ。それこそ魔王としての務め、責務だ。それも歴史に裏打ちされた役目なのだ。勇者に勝っただけで終わったと思うのはまちがいだぞ」

「いや、ルギ=アンテ。終わったのだ」


 私は、はっきり言った。


「もう、争いはいい。勇者一行が敗れ去った以上、人間たちも魔族に歯向かったりはせぬさ。地上の支配権をわれわれが握っているのは自明の理であり、これは何者にも覆せぬ。この上何を望もうか」

「ば、馬鹿な……せっかく戦争に勝ったというのに……五千年来の悲願を果たしたというのに、その先へ進まないと言うつもりか!」

「ああ、そうだ。恐怖と絶望による全地上の支配になど、私は興味はないのである。私には他にやりたいことがあるのだ」

「やりたいことだと……なんだ、それは」

「うむ……遊びたいのである」



「………………」

「………………」



 ふとうしろを向くと、ルギ=アンテとミレージュラが揃って固まっている。硬直魔法でもかけられたか、と思ったが、そんなものが近くで発動した気配はなかった。


 まもなくルギ=アンテの硬直が解けた。続いてミレージュラのほうも解けたようだ。


「そうか……そうだったな」


 ルギ=アンテが、ぽつりとつぶやく。


「なあに?」とミレージュラ。

「いや……歴代最強という戦闘能力の高さにばかり目が向いていて、つい忘れてしまっていたが……こいつは貴様と同じでまだ三百歳余り。人間で言うならせいぜい十代なかばをやっと過ぎたといった年齢だ。ちょうど遊びたい盛りと言えば、確かにそうかもしれん」

「そっかー……お父様が早く勇者一行にやられちゃったから、即位が早かったんだもんね、魔王ちゃん。一番遊びたい時期を魔王としてのお仕事に費やしてきたから、いざ戦いが終わったら、そういう欲求がドーンと、かあ……なるほどねえ」

「いや、しかし、魔王が遊びたい、だと。そんな話は聞いたことがない……魔族史にも、そんな記録はなかった」

「父上や先祖がどうだろうと、私は遊びたいのである」


 私は強く言った。


「遊ぶ――それが、私のしたいことである。ずっと、やりたいことだったのである。勇者一行を打ち倒した以上、思う存分、遊んでやるぞ」

「いいねっ! 楽しんでね、魔王ちゃん!」


 ミレージュラはそう言ってくれたが、ルギ=アンテの、まるで何かとんでもなく苦いものでも口に入れてしまったかのようにゆがめられた顔は、始終、そのままであった。

 だが、それは大した問題ではない。私は遊びたいのだ。皆でワイワイ遊んで、人生を楽しみたいのだ。


 せっかく、人間たちとの殺伐とした争いが終わったのだから。

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