呪いをかけてお姫様

犀利

開幕

「お願いがあるんだ」


 そう言って僕の双子の妹は、いつだって寂しそうに笑う。記憶の中で、いつも寂しそうにこちらを見据えている。手に持った刃物をそのまま自分の首元へとあてがうのを見て、僕はたまらず彼女の、翆の元へと駆け寄った。

 これから彼女が何をするのか知っていた。それがお願いなどという可愛らしいものでも、約束なんて殊勝なものでないことも、知っていた。


「私のこと、ずっと好きでいてほしいんだ」


 灰色の思い出の中で、飛沫と彼女の瞳だけが赤く、鋭く、光っていた。向けられた視線には、懇願と恍惚の色が混ざりあっていたように思う。

 きっとこれは罰だ。彼女を拒絶した罰。これは、彼女が自分自身を殺すことで僕に掛けた、最初で最後の――


「永遠に、愛してる」


 呪い、なのだろうと思う。


 *


 "それ"はふとしたときに現れて、僕にしつこく話しかけてくる。僕が何の反応も示さないのを見ると毎回寂しそうに、どこか熱を帯びたような声を、耳元に小さく零すのだ。


「なあ、本当は見えているんだろう?」


 僕は知っている。彼女は、僕があえて無視していると知っていることを。

 僕は知っている。彼女は、僕の中の後悔に似た感情が作りだした、ただの幻覚にすぎないということも。


 彼女の日を拝めない白い肌も、絹のような白い髪も、あの日のあの瞬間のまま所々が、特に体の左側が鮮やかな血糊で赤くにじんでしまっていた。あの日以来現れる彼女はいつも同じ姿で、どこにも怪我などしていないのに血に塗れた肌で、髪で、真っ赤な瞳で僕を覗き込む。


 彼女が見せるのは、決まってあの日の回想だった。どこか遠くの第三者が見ているような視点で、回想は始まる。飛び散る赤に、倒れこむ二人。彼は笑っていて、彼女も笑っていた。二人の表情は自嘲するようにも、はたまた互いを嘲笑しているようにも見える。彼女は彼に何かを伝え、彼も彼女に何かを伝えていた。僕はその幻覚を振り払おうとはしない。何も見えない、聞こえないふりをする。そうして眼前に現れた彼女のことも、知らないふりをする。


「……ちゃん。かずくん!」


 はっとした。友人の、悠斗ゆうとの声だ。教室の中にいることさえ、忘れていた。傍らを見ると、彼女はまだこちらを見ていた。机に腰掛け、表情の読めない顔面をこちらに向けていた。それをやはり無視して、僕は答える。


「ごめん、ぼーっとしてた。どうかした?」

「……最近かずくんなんか変だよ? 大丈夫……な、わけ、ないよね」

「……」

「やっぱり、すいちゃん……有力な情報とかも、ないんだよね」


 世間での彼女、大碓おおうす翆は「行方不明」という扱いらしい。らしい、というよりも、そうなるようにした。死体は見つからない。絶対に。

 目の前の彼には僕が、行方不明の妹の事を気にかけているように見えているのかもしれない。本当は行方など知れているのに、目の前にいると言ってしまってもいいくらいなのに。そう考えると、ばかばかしいなあ、と思えてきてしまう。わざわざ事実を隠して怯えている自分自身が、馬鹿らしくて仕方がない。

 いや、違うかな。聡い彼の事だ、何も知らないふりをして、気遣うふりをして、本当は全て気づいているのかもしれない。そんな風に疑いだしたらきりがなくなってしまうが、彼は注意しておくに越したことはない人物だろう。今後気をつけねばなるまい、と心に決めて返事をする。


「大丈夫だよ、ありがと、悠くん」


 ふわりと笑みを浮かべてみせる。それが自然だったかそうでないかは分からないが、とりあえず悠斗は納得したようだった。困ったことがあればいつでも頼ってね、と言い残して、授業に備えるため自身の教室に戻っていった。


 ――気をつけなきゃ、ね。


 息をつく。深呼吸をする。目の前の幻影に怯えてはいけない、自分のしたことに怯えてはいけない。隠し通すのなら、全てを騙さなければいけない。勿論、自分の事さえも。

 いつも通りの、愛想のいい、生徒会長でいなければならない。優等生の大碓かずらでいなければなるまい。何もなかった。何も見ていない。何も、変わってなどいない。そうして僕はいつも通り、一日を終える。


 会長としての仕事を終えるころには、校内には悠斗と自分しか残っていなかった。夕方だと言うのに日はまだ僕たちを刺していて、単純に帰路につくには眩しすぎる気がして、翆の日傘を取り出した。


「かずくん、日傘なんて差すタイプだったっけ」

「……翆が、遺していったものだから」

「そ、っか。……あはは、柄でもないね。傘だけに。なんちゃって」

 それはだろう、と言いかけて、馬鹿馬鹿しいな、と無視しようとしたが、やはり思い直して答えた。彼なりの気遣いかもしれないと思ったのだ。


「もしかして悠くん、気遣ってくれた?」

「ぜーんぜんっ。さ、帰ろ帰ろ。お仕事頑張ったしさ、早く帰って休まないと! かずくん体弱いじゃない。体に障るよ」


 暮れなずむ空が落とす影のせいか、彼の笑顔が寂しそうに見えた。うん、とだけ答えて道を違う。また明日、と言うと彼はまたね、と返した。

 家に着く頃には、もう日は落ちきっていた。誰もいない家のドアを静かに開けて、誰に言うでもなくただいま、と呟く。声はどこからも返らない。

 明かりをつけて居間に入ると、大理石で縁取られた大きな姿見の中の自分と目が合った。黒い髪、青い瞳。翆とよく似た顔のパーツの一つ一つ。なんだか気まずいような気持ちになって、そそくさと目を逸らした。


 ――ああ、ここで大碓翆は死んだのだ。


 毎日こうやって、事実を再確認する。いつか気が狂ってしまいそうだった。鏡に向かってお前は誰だと問いかけ続けると気が狂うと言うし、白い部屋の中に閉じ込められると発狂するとも言う。要するに単純で単調な作業の繰り返しは人を狂わせるのだろう。もうとっくに狂っているかもしれない僕は、翆が死んだと毎日確認しなければ、あの幻覚を認めてしまいそうになる。仕方のない行為なのだ、と自分に言い聞かせつつ、僕は狂っていない、と反芻する。


 あの日の赤色は、もうここにはない。

 ただただ無彩色の無機物達だけがそこにいた。

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