第8話 『馴れ初め』


「天音ちゃん大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫、なんというかこの世の神秘を見ちゃったって感じ」


 珍しく意味がわからないことを天音ちゃんが言ってる、可愛い。

 私の水着姿を見てからこんな調子だから、多分原因はそれだ。


 水着姿をまじまじと見られたのは恥ずかしいけれど、普段天音ちゃんが着ないワンピース姿を見ることができたし、満足。


「天音ちゃん、恥ずかしがってたのに凄い大切そうに持ってるよね?」


「だって、恋歌が私に似合うって言ってくれたやつだもん」


 思い出したのか、真っ赤になる天音ちゃん。

 さっき「水着デートしよう」って言ってたから、その時にあのワンピースを着てくれると嬉しいな、と微かな期待をしつつも恥ずかしくてとても面と向かっては言えない。


「遅くなっちゃったね、でもお買い物楽しかったよ、ありがとう天音ちゃん」


「私も楽しかったよ、また明日ね」


 いつもやっている事だけれど、改めて考えると恋人みたいなやり取りをしてお互いの家に入る。


「おかえりなさ〜い、恋ちゃん」


「ただいま、ママ」


「あら?お買い物してきたの?天音ちゃんと?」


「そうなの、今日はラジオだけだったから久しぶりにお買い物してきた」


 良かったね〜と楽しそうに言うママ。

 隣り同士ということもあって、両親同士も仲がとても良い。お誕生日には両家族でお祝いもしてくれたりする。


「何買ったの?」


「えっとね、もうすぐ夏だから海…かプールに行こうと思って水着と新しい夏服買ってきたの」


「ま〜、いいわね〜!青春ね〜」


 ママは私たちのことになるといつもこんな調子だ。

 多分ママとパパも学生の頃は恋愛もしたんだろうなと思うと、いつもは本人たちも恥ずかしくて言わないのか私からも聞くことがなかったけれど、無性に馴れ初めが知りたくなった。


「ママってさ」


「…?なあに?」


「どうやってパパと出逢ったの?」


「あら?恋ちゃんからそんなこと聞いてくるの珍しい、ご飯…の前にちょっとだけ話そっか!紅茶、用意してくるね」


 そう言ってママは鼻歌を歌いながらリビングに行ってしまった。その姿はまるで誰かに恋する乙女のようでなんだか羨ましい。



 私も荷物を部屋に置いてリビングに行くと、ママはまだ鼻歌を歌って楽しそうにしていた。


「気恥ずかしいけど、なんだかワクワクする、座って座って!」


「お邪魔します」


「も〜、堅いな〜!でも恋ちゃんが私たちの馴れ初めのこと聞いて来てくれてちょっと嬉しいかも」


 嬉しい?なんだかよくわからないけど、私はママが話す馴れ初めに耳を傾ける。


「パパと出逢ったのはね、高校3年の夏休み前…借りてた本を返しに行ったら偶然パパが図書室にいてね」


「うん」


「図書委員のくせに、サボって本に齧り付いてる姿が妙にかっこよくてつい話しかけたの」


「それって、もしかして…?」


「そ!一目惚れ、それで『良かったらこの後寄り道しませんか?』って言ってご飯食べに行ったの」


 一目惚れ、か…まさか2人がそんな出逢い方をしてたなんて。


「それで近くのファミレスでご飯食べながら色々話したの、この小説が面白いだとか、先生の愚痴とかね?」


「そしたら思った以上に話が弾んじゃって〜!」


 なんか、いいな…。

 それまで全くお互いを知ってる訳でもないのに、ママはパパに話しかけて…それから仲良くなっていったのかな?


「もしかして、それで告白したり?」


「そ〜なの〜!…って言いたいところだけど、違うの」


「違う…?」


「そう、その日は連絡先だけ交換して別れたんだ…」


 そこまで話すとママは昔を懐かしむようで、それでいてどこか寂しいような表情を紅茶のカップに向けた。


「……なんか、ごめんね」


「な、なんで謝るの!?別に暗い話じゃないよ?今こうしてラブラブカップルでしょ!?」


「……確かに」


「それで夏休みはあったりする訳でもなくて、暇な時に電話したりするだけだったんだけど、夏休み明けからは昼休みに学食行ったり、友達止まりではあったんだけどね」


「一目惚れだったのに、告白しようとか思わなかった?」


「そう、そこからが面白い話なの!」


 急にテンション高めに凄むママ。

 まるで物語の語り部みたいな迫力で話を続ける。


「暫くは友達として過ごしてたんだけど、急にパパから『恋人のフリをして』って頼まれてね」


「恋人の…フリ?」


 その言葉に私は全身が硬直していく感覚に襲われた。

 まるで「百合営業」を突然誘われた私みたい、いったいパパはなんのつもりでそんなことを言ったんだろう。


「そう、実はパパ、夏休み前からある子にずっとプロポーズされてたみたいでね」


「プロポーズ…」


「なんでフリ?と思ったんだけど、本人としては長いこと一緒にいたわけじゃないし、付き合っても同じ気持ちになれなかったら申し訳ないってことだったの」


「………」


「不器用でしょ?でもそういうところ優しくて素敵よね」


「そう、だね」


「それでその子に私たちが付き合ってるって嘘をついて、何とかその子は諦めたみたいでそれ以降は無くなったの」


「それからは2人はどうなったの?」


 一目惚れした人から恋人のフリをしようと言われて、フリをしなくて良くなってからママはどんな気持ちでパパと過ごしたんだろう。


「その後はほんっと〜にしんどかったよ。同じ気持ちになれないのかもって思うと告白もできないし、どうやって友達でいればいいのかもわかんなくって…」


「……それからはなんだか関係もぎこちなくなっちゃって、周りから見たら普通に見えたかもしれないけど、少しずつ喧嘩するようにもなってね」


「辛いね…」


「それでついに関わるのはやめようとなって半分玉砕…これが私の初恋」


「でも結局付き合って今になるんだよね?」


「そう、それからは学校でも顔を合わせないし、連絡を取らなくなったんだけど、受験が始まるって頃にパパから連絡があったの『最初に寄り道したファミレスで会おうって』」

 そこまで話すと、ママはどこか不満そうな顔をした。


「正直、なんで今更って思ったけど、やっぱり未練はあってね?最後に1度だけ会いに行ったの」


 なんだか私が思ったよりも重たい内容で、聞かなければ良かったかもと後悔の気持ちが湧いてくる。

 でもママはそんなの構わないと言わんばかりに続ける。


「最後だし想ってることぶわ〜ってぶちまけてほんとに終わりにしようって…」


「だけどね、パパはファミレスですっごい頭を下げて謝ってきたの」


「……?」

 謝った?確かに途中で関係は悪化したけれど、パパの行動は全て間違っていた訳ではないのに。


「なんでって聞いたら『喧嘩別れしてから、1人でいる時間が虚しく感じた』らしくてそれで私のことが大切な人だったんだって気づいたって」


「大切な人…」


「都合がいいのはわかってたけど、また友達からやり直したいって言われて…」


「それからはもう前以上に気持ちを共有するようになって、大学は別々で遠距離だったんだけど、指輪を買って本格的に付き合って今って感じ!!!」


 話し終えてから『ひゃ〜』と言いながら顔を真っ赤にするママを背景にママが話した馴れ初めを反芻する。


 一目惚れから友達になって、途中で関係は悪くなったけど、それまでの関わりがあったからまた繋がることが出来た。それって奇跡みたいだ。


 どれだけ親密な友達でも、お互いの行動1つで2度と修復できないこともあるのに、ママとパパはやり直して結婚までした。


「私も、そんな…大切な関係になれるかな?」

 ふと思った言葉が口から漏れてしまった。


「できるよ、恋ちゃんなら!」


 どうするのが正解かわからないし不安だったけれど、ママと話せてよかった。


 踏み込むのが怖くて進めなかったけれど、天音ちゃんに私を好きになってもらうために私なりに百合営業をしていこう、そう決心できた。


「ありがとうママ!私、頑張ってみる!」


 ***


「そろそろ隠れてないで出てきたら?」


「……う、だって恥ずいじゃん、娘に馴れ初め聞かれるなんて」


「ふふ、相変わらず初なんだから」


「て、ていうかあの子…いつの間に好きな子できた?」


「さあ?いつからでしょうね?」


「だ、大丈夫かなぁ?あの子気負いやすいし…」


「大丈夫ですよ、なんたって私たちの娘ですもの」

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