第二話 すね毛を剃っただけなのに
すね毛を剃ろうと思った。特に夏はたくさん剃りたい。
別にあってもなくても体感温度は変わらないのだが。僕は冷房のある場所でしか活動しないし。とにかく夏は体毛を沢山剃るのだ。僕の毛は深い。
夜中に虫が這っていると思って足に手をあてると、冷房の風が僕のすね毛をそよがせている。しばらくして、また例のそよぎが来た。足に手をあてると、爪先で摘まめるくらいの黒い虫が挟まっている。夏の風物詩である。ティッシュで虫を包み、僕は舌打ちをした。
確信の持てない未来ほど、不安をあおるものはない。
つまるところ寝られないのだ。僕は、すね毛のついでにわき毛と陰毛も剃ることにした。
仕事のストレスで全身の毛を剃ったのが三年前の夏。当時の僕はまだ若かった。
三軒茶屋駅から歩いて十分のアパートで、僕はT字のカミソリで全身を剃る。電気代を払い忘れていたので、月光が照明だった。
無駄なものをそぎ落すことに躍起だった。それは今でも変わらない。それが六畳一間の世田谷のアパートから実家近くの銭湯に変わっただけだ。
平日昼間の銭湯は意外と人がいる。仕事の中休みで銭湯に行くと、人生の合間に仕事をしている仲間がいて居心地がいい。風呂が人生にとって無駄かと聞かれたら僕は必要だと答えるだろう。湯舟は悩みを溶かして俗世から解放してくれる。人生の快適さは大方において優先されるべきなのだから。
洗い場の隅に座り、僕は足にボディソープを塗りたくる。すね毛がある分、泡立ちは存分にいい。
ジレットの二枚刃が足の曲線をすべりながらすね毛をこそげ落していく。毛が挟まったカミソリは剃り味が極端に落ちるので、湯を溜めた洗面器に付けながら何度も何度も足をなでる。
排水溝に向かって、無駄が流れていく。社会性を持った僕は下水に詰まらないようにすね毛を拾って近くのごみ箱に入れる。ごみ箱に溜まった毛を見ていると、僕は昨年金沢二十一世紀美術館で見た「ヘラルボニー」の活動を思い出した。
ヘラルボニーは、知的障害のある人が習慣的に繰り返す日常の行動を録音した福祉実験ユニットだった。
「ん~」「さんね」「な~い」「し~んかんせ~ん」
おそらく言葉として意味を持たない単語を日常的に繰り返す自閉症のお兄ちゃんの生活音を録音した作品を僕は聞いた。ヘッドフォンの奥で、家の中では愛しさを覚える家族の癖が、家の外では社会から切り離されかねない異質な音に変わっていくのが分かった。
しかし、彼にとってはこのリズムが心地よく、毎日自然と口ずさんでしまうらしい。音源に添付された説明を読んで、僕は少しだけ理解してしまった。
彼のうたは、日常の延長線上にある衝撃だった。拒否反応よりもまず先に、一つの特性として受け入れてしまえた。むしろ、平然と恋愛して結婚している同期よりも近くすらあった。おそらく彼が自分と触れ合わない距離にいるからだろう。もし、彼が僕の兄弟であれば、また違った感情が湧くのかもしれない。
僕も、自閉症の彼のように、行うと落ち着く癖がある。僕と彼の違いは、それを公共の場で自制できるかどうかだろうが。僕は文章を書いたり、夜中に部屋の中を歩き回ったり踊ったりすることだった。
自閉症の子たちの癖には、ペットボトルのキャップを集めたり、独特のリズムを延々と取り続ける習慣もあった。
どれも彼ら、彼女らが日常的に感じている不安や嵐と戦い、平静を取り戻すための武器でありゆりかごだった。
それらは彼らにとっては必要なもので、周りからすれば必要かどうか判断しかねる行為だと思う。
それでも、彼らにとっては自分の身体からは削ぎ落せないものだ。
そして、ここからが本題になる。
彼らの生活を垣間見てから、僕の価値観を変えることが出来たか。
結論を言うと、認知は出来た。
懺悔したい。僕はまだ、自分に関わる他人の無駄を赦せないところがある。
僕はいまだに、自分の身体から、周りから、無駄を削ぎ落とし続けている。
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