第3話 支流
ずっとここにいてもあれだし、とりあえずこの辺を案内してあげるよ。
青ざめる私にそう言い、ニイっと口元に笑みを浮かべながら手をひく河童さん。
やっぱり河童だからなのか、手はひんやりすべすべで滑らかな触り心地だった。
「ねえ、河童さん。ここはいったいなんなの? そこら中にシャボン玉みたいなのが浮いてるけど」
歩きながら、この世界のことについて河童さんに聞いてみる。
「うーん、なんなのって言われてもねえ……。僕の生まれ育った街としか言いようがないっていうか。あ、でも少女みたいにニンゲンが入り込んでくることはよくあるよ」
「えっ、そうなの?」
どうやらこの場所には私以外にも人間が訪れてきたことがあるようだ。
よかった、私だけじゃなかったんだ。
知らないところに一人だけ、しかも他は異種族しかいないと思っていたので、幾分か不安が和らぐ。
「なんでなのかは誰もわからないんだけどね。特に
助かった、てね。
「助かった?」
その時、ずくんと頭の奥が痛んだ。
さっきの時と同じ痛み方だ。ズキズキと右の方が侵食されていくような。
ピタッと足を止めた私は、咄嗟に右手で頭を押さえる。
すると河童さんも気づいたようで、髪で隠れてほとんど見えない目を大きく開いて心配してくれた。
それでも治るどころかひどくなる頭痛についにしゃがみ込むと、河童さんはどこからか取り出した布切れにひょうたんの水を染み込ませ始める。
薄く開いた目でそれを見た私は、痛みも忘れてはっと動きを止めた。
手は頭に置いたまま、私の目はじっと布に染み込んでいく水を追っている。
……あれ、私何か忘れてる?
左手を口元に当て、背中に冷や汗が流れるのを感じる。
なんだろう、これ。思い出さなければいけないような、思い出したくないような。
私は何を忘れているのだ。いったい、何を……。
「お、河童じゃねえか! こんなところで珍しいな!」
「いやああああ!?」
「うおおっ!?」
考え込む私と、布を額に押し当てようとする河童さんのわずかな隙間に突然現れた毛むくじゃらの小さな子。
思わず悲鳴を上げてしまった私が怖かったのか、座り込む河童さんの後ろに隠れてしまう。
しかし、よく見ればその子は頭に皿こそないものの、髪や服は河童さんにそっくりな容姿をしている。
「あ、もしかしてお子さん?」
「はあ? 断じて違うね! 確かによく似ているとは言われるけど! こいつは子どもみたいに見えるけど、本当は少女よりも全然年上だし。……ていうか、僕で驚かなかったのにこいつには驚くんだね、少女……」
「だって急に現れたから」
恨めしそうな視線を向けてきながら、病人がいるんだから静かにしてなさいと後ろの子を叱る河童さん。
本人は否定しているが、その光景はどう考えても悪さをして叱る親と叱られる子どもの図にしか見えない。
叱られた子は「へいへい」と適当な返事をすると、つまらなさそうに口をとんがらせ前に出てくる。
河童さん同様、髪で隠れて見えない目をこちらに向け、何やらクンクン匂いを嗅ぎ始めた。
「お前、もしかしてニンゲン?」
「え、ああ、うん」
河童さんにもらった湿った布をおでこに当てながら、ぶっきらぼうな口調で聞かれた質問に答える。
「名前は? 俺は芝天狗ってんだ」
「私は……」
「あー!」
突然の大声に私の自己紹介は打ち切られる。
「うわっ、びっくりした! なんだよお前ら、揃いも揃って大声出すのが好きなのかよ!」
芝天狗くんは大きく肩を揺らして飛び上がりながら、必死な顔で私たちに抗議してくる。
それをものともしない天狗さんは、何かを思い出したかのように私の方を向いた。
「そうだ、僕も聞いてなかったよ、少女の名前!」
「え? あ、言ってなかったっけ?」
「言ってないよ! どうりでずっと少女呼びしてたわけだ」
そういえば、ずっとその変な呼び方をされていたような。
あまり気にしていなかったので今の今まで全く気づかなかった。
「さ、教えてよ、少女の名前」
にこりと口元だけ持ち上げながら笑う河童さんの謎の圧を感じながら、隣に大人しく座っている芝天狗くんに目をやる。
すると、どうやら彼も早く私の名前が聞きたいらしく、子ども特有のキラキラした瞳をこちらに向けていた。
そんな期待をされるほどの名前じゃないのだけれど……。
二匹の妖怪に挟まれて身動き一つ取れなくなった私は、なんとなく気恥ずかしくなりながら答えた。
「……私の名前はユミよ」
「へえ、ユミ。ユミか。いい名前だね」
「あ、ありがとう」
「なんか聞いたことある名前な気がするな、その名前」
「まあ、ユミなんて名前珍しくもなんともないからね。今まで来た人の中にいたんじゃないかしら」
「そうだっけか?」
こてんと小首を傾げる芝天狗くんの頭を撫でながら、私はふわふわの草が生えている地面から腰を浮かす。
河童さんには心配されたけれど、いつの間にか頭痛はおさまっていたので大丈夫だと言っておいた。
「じゃあ、そろそろ進もうか」
「俺のお気に入りの場所にも連れてってやるよ!」
「ふふ、ありがとう」
再び歩き始めた私たちは、エメラルドグリーンの透き通った川を越え、鮮やかな色の森に入っていく。
先ほどはひょうたんから出てくる水で何かを思い出しそうだったのに、今はもう何も感じなくなっていた。
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