第11話 繋がり

  「いらっしゃいませ」の声に迎えられて乗倉が平寿司に入って来たのは、空木との電話を終えて、四十分程経っていた。

 小上がりの二人を見て、乗倉は遠慮したのかカウンター席に座ろうとした。

 「ノリ、もう話は終わったからこっちで飲もう。巌ちゃん、以前ここで会った乗倉だよ。奥秩父の事件の第一発見者で、最初の容疑者だ」

「まだ呆けていないから、ちゃんと覚えているよ。こっちで一緒に飲みましょう」

 小さく頭を下げた乗倉は、空木の横に座り、ビールを注文した。空木と石山田は、芋焼酎の水割りを飲み始めていた。

 「ノリ、さっき電話で言っていた、不思議な話ってどんな話なんだ」

「今日、昭和記念総合病院の薬剤部長に会ったんですけど、その時先週の殺人事件の話になって、あの事件の被害者の男は、病院から金を脅し取った男らしいと言っていたんです。だからばちが当たったんだと言っていました。そんなめぐり合わせがあるのか、と考えると不思議でしょ」

 空木は眉間に皺を寄せた。

「‥‥あの事件の被害者というのは、倉渕のことだな。立川駅で藤江先生をバッグで殴った男だ。ノリにも話したけど、俺が中野坂上まで行って探した男だよ。その男が、病院から金を脅し取っていたのか。藤江先生は、その事を知っていたんだろうか‥‥」空木は石山田の顔を見た。

 石山田の目が鋭くなり、刑事の顔になった。

 「その事を藤江が、知っていたのかどうか、倉渕の存在を以前から知っていたとしたら、知っていて知らないと言っていたとしたら、それこそ不思議だな。怪しい。もう一度聴取する必要があるな」石山田はそう言うと、「ちょっと電話する」と言ってスマホを手に店の外に出た。

「空木さんが捜し出した男だったんですか‥‥。その男の事を、先生が知っていたかどうかが問題、という事ですか」

「殺害された倉渕を、先生は立川駅でも、俺が捜し出して名前を先生に教えた時も、知らない男だと言っていたんだ。それが嘘だとしたら、何故嘘をついたのか分からないが、警察は疑うだろう」

「疑うって、容疑者という事ですか。僕は拙いことを言ったんでしょうか」乗倉は顔を曇らせた。

「お前が悪いことなんかある訳がないだろう。例え、ノリが今日話さなくても、警察はそれくらいの事は調べ上げるよ」

 石山田が戻ってきて、焼酎の水割りを飲んだ。

 「今、課長に連絡したら昭和記念総合病院の事務部長からも、ある事でごねられて、金を慰謝料として渡した男が、倉渕良介だったということを掴んだそうだ。どうやら以前、採血の時、血管を傷つけて内出血したことで、ごねられたそうで、結局金でカタをつけたという事のようだ」

「それで藤江先生は、その倉渕という男を知っていたんですか」

 乗倉が心配そうに聞いた。

「本人から確認を取った訳ではないから何とも言えないが、患者からのクレームや、訴訟問題への対応は、医療部長を兼務している藤江には伝えられるそうだ。倉渕のクレームの時もその対応に入って、顔を会わせた筈だと、事務部長が言っていたということだから、知っていたと考えるべきだろう。明日また聴取に行くことになる」

 立川駅の事件の時、藤江は全く知らない人間だと言った。空木は、あの時を思い返してみた。

 中央線の電車で席を譲ってくれた藤江が、立川駅の上りエスカレーターで倉渕にバッグで殴られ転倒した。鉄道警察での聴取では、倉渕のことを知らない男と言っていた。車内で藤江は、倉渕の隣に座っていた筈だが‥‥、もしかしたら藤江は、車内に乗って来た倉渕を直ぐに認識したのではないだろうか。しかし倉渕は藤江を認識していなかった。横に座られた藤江は、直ぐにでも倉渕から離れたかったから、即座に席を立って大松道子に席を譲ったのではないだろうか。そうとは知らない倉渕は、恥をかかされたと思って、立川駅で藤江を殴った。

 しかし、何故藤江は、倉渕を知らないと言ったのか、考えられることは、病院とゴタゴタを起こすような男と、二度と関わりたくないと思ったからなのか。だから空木が倉渕を捜し出しても、警察沙汰にはしたくなかったのではないだろうか。名前を聞いたのは、病院でゴタゴタを起こした倉渕良介という名前を確認するためだった。それにしてもその倉渕が、立川駅の事件の犯人として捕まることが、それ程嫌だったのは何故だ。藤江にとって都合の悪いことでもあるのだろうか。

 「巌ちゃん、病院から倉渕に渡した慰謝料は、誰の発案だったのか聞き出したら、何か見えて来るかも知れないよ。まさか、殺人までやっているとは思えないが‥‥」

 また、石山田の携帯が鳴った。

 「課長からだ」画面を見た石山田が呟いた。

 店の外に出て行った石山田は、直ぐに戻ってきて空木に言った。

 「浜寺の部屋のガサ入れは、明日の午前九時スタートだそうだ」


 翌日の金曜日の午前九時、雨は止んでいた。

 空木と、国分寺署の石山田たちは、奥秩父署の仲澤らとともに、国分寺市南町のマンション『グランメゾン サウスタウン』のエントランスに入った。

 空木が送信した浜寺の写真との照合結果によって、サングラスとマスクを着けているものの、顔の輪郭がほぼ一致したとのことによる家宅捜索許可だった。

 石山田が、エントランス左のメールボックスの402を確認していたが、浜寺の名前は出ていなかった。エレベーターで四階に上がり、402号室のドアホンを仲澤が二度、三度と押したが、反応は無かった。

 早朝から国分寺署の先遣隊が、マンション付近で浜寺の部屋を見張っていて、外出はしていないと思われたが、不在だった。

 仲澤は、プリンス製薬で確認していた浜寺の会社携帯に電話を入れた。数回のコール音の後、電話は繋がった。

 「‥‥‥」

 浜寺は電話には出たが、初めて見る電話番号のためか、無言だった。

「浜寺雅行さんですね。奥秩父署の仲澤と申します。今あなたはどちらにいらっしゃいますか。浜寺さんの部屋の捜索許可状が出ました。立ち会っていただきたいのでお戻りください」

「‥‥‥」浜寺は無言のままだった。

「浜寺さん聞いていますか。戻れないようでしたら、管理会社の立会いの下に捜索を始めますからご承知下さい」

 浜寺は、一言も発しないまま電話を切った。

 管理会社の社員が到着するまでには、もうしばらく時間が掛かりそうだった。

 「浜寺は戻って来るんですか」石山田が仲澤に聞いた。

「分かりません。戻ってくるようには言いましたが、返事が無いまま切られました。戻らなかったら重要参考人として手配することになります」

「戻って来ないということは、逃げた‥‥」空木は独り言を呟き、考えた。

 浜寺は逃げる準備をしていたんだろうか。

 独り言が、石山田の耳に入ったらしかった。

 「健ちゃん、そんなに簡単に逃げ切れるもんじゃないよ。ところで、上高地の件で安曇野署の板長刑事から連絡があった。貸テントで二泊三日のテント泊は間違いなかった。金曜日の午後から、日曜日の昼過ぎに返却されるまで貸し出していたそうだが、土曜日の所在は分からない。特に変わったところは無かったが、テントの返却時にテント張り用の細いロープが一本足りなかったことが、管理帳に書かれていたそうだ」石山田は手帳を見ながら空木に伝えた。


 漸く、管理会社の社員によって、402号室のドアが開けられた。

 部屋は2DKの間取りで、部屋の一つはリビングとしてテレビとテーブルが置かれ、もう一部屋は寝室として使われていた。そのリビングとして使われている部屋に入って、空木は固まった。先崎文恵の写真が何十枚も所狭しと、貼られていたのだ。会社で机に向かっている写真、携帯電話を掛けている写真。どこで撮ったのか、スカート姿、パンツ姿などのカジュアルな服装の写真の数々、スーパーで買い物をしている写真、山で撮った写真もあった。引き延ばされた写真など大小さまざまな大きさの写真が、壁一面に貼られている異様な部屋だ。

 「‥‥仲澤さん、この写真は先崎文恵ですね」

 空木が仲澤に同意を求めるように聞くと、仲澤は言葉も無く頷いた。仲澤も空木同様この異様な光景に、言葉を無くしているようだった。

 「巌ちゃん、浜寺のストーカー行為の相手は、この女性だよ。先崎文恵だったんだ」

 これが、浜寺雅行と初めて面会した時、自分に向けられた異様な敵意を感じた理由だったのではないか。真っ先に先崎文恵と自分との関係を聞いてきたのも、嫉妬心に近い敵意だったのだろうと空木は想像した。

 石山田も、部屋一面の写真を見て呆然としていた。

 「先崎文恵って誰なんだ」

「浜寺と同じ会社の女性で、雁坂峠で殺害された、長谷辺さんの婚約者と言ってもいい女性だよ」

 呆然と写真を見ていた石山田が、写真に顔を近づけて言った。

「この女性、倉渕のパソコンの写真ホルダーにも入っていたと思う」 

 隣の部屋に行っていた仲澤が、空木を呼んだ。

 「このザックを見て下さい」

 空木は押し入れから出されたザックを見た。寝室に使われている部屋の押し入れは、山具の置き場所に使われていた。

 「これは、六十リッターのミライ社製のザックですね」

 空木は、押し入れの中を覗き込んだ。

「‥‥デウテル社製の四十リッターのザックは無いですね」

 その時、クローゼットの中の物入れを捜索していた捜査員から、仲澤に声が掛かった。

 「係長、これを見て下さい」

 そこには何本ものサバイバルナイフが、一本ずつ丁寧に断熱シートに包まれて並べられていた。

「全て押収してくれ、詳しい分析に回そう」

「仲澤さん、浜寺はサバイバルナイフの収集マニアかも知れないですね。もしかしたら、犯行に使われたナイフも、捨ててないかも知れないですよ」

 マニアは自分の集めた物を、そんなに簡単に捨てることは出来ないだろうと、空木は想像していた。

 一人の捜査員が、また仲澤に声を掛けた。

 「係長、屑箱にこんな物が捨ててありましたが、もしかしたら国分寺署の方に‥‥」

 捜査員は、丸められた手紙のような物を、引き延ばして仲澤に渡した。受け取った仲澤は、それを読んで、「石山田刑事、これを‥‥」と言って石山田に渡した。手紙を見た石山田の眼が、鋭く光ったように空木には見えた。

 「‥‥倉渕と浜寺が繋がった」呟いた石山田は、周囲を気にしながら、その手紙を空木に見せた。

 それは、倉渕から浜寺への、悪意のメッセージのように読めた。

 「先崎文恵へのストーカー行為について話したい。下記に電話がなければ、全て会社にばらす」と自筆で書かれ、はっきり倉渕良介の名前を出した上で、携帯電話の番号であろうと思われる番号が、書かれていた。

 しばらくすると、今度は国分寺署の捜査員が、石山田に声を掛けた。

 「係長、クローゼットから、こんなバッグが出てきました」

 捜査員は、黒い小型のバッグを石山田に見せた。手に取った石山田は、「健ちゃん、これは立川競輪場のロゴマークじゃないか」そう言って、バッグのロゴを空木に見せた。

 空木は「出てきたね。倉渕のバッグだよ」そう言って石山田を見た。

 石山田はしゃがみ込んで、バッグを空けた。中からは、スマホ、レコーダー、手帳、タオル、ペンライト、小型のカメラ、名刺入れ、そして何枚かの写真が出てきた。

 「名刺は、倉渕の名刺だ。スマホも倉渕のかも知れないな。写真は、壁の写真の女性と同じ女性の写真と、男がマンションを見ていたり、入って行くところを写した写真が何枚もある。この写っている男は、浜寺のようだな。浜寺は、バッグも中身も処分してなかったのか」

「巌ちゃん、浜寺は犯行の後、上高地に戻る時、バッグが邪魔で駅のコインロッカーにでも預けていて、処分出来なかったのかも知れないよ。捜査のスピードにかなり慌てたんだろう」

「そうかも知れない。いずれにしろこのバッグが出てきた以上、逮捕状の請求だ」

 二人が話している横から、写真を覗き込んでいた仲澤が、「おや」と言って、一枚の写真を手に取った。それは、浜寺と思われる男が、マンションに入って行くところを写した写真だった。そして一人の捜査員を呼んだ。

 「おい、このマンションだが、俺たちがガサ入れで行った立川のマンションじゃないか」

「確かにそうですね。立川の長谷辺保のマンションですね。このエントランス、覚えがあります」

「石山田刑事、何故浜寺は、長谷辺保のマンションに行ったんですかね」仲澤は写真を手にしたまま問いかけた。

「‥‥‥」石山田は、立ち上がって考え込んだ。何故行ったのかも分からないが、その写真が何故バッグの中に入っているのかも謎だった。

 聞いていた空木が、口をはさんだ。

「巌ちゃん、口を挿んで申し訳ないけど、俺の推理を聞いてくれないか」

 空木の言葉に仲澤も顔を向けた。

 「浜寺が先崎文恵のストーカーだったということは、これで明らかだ。ということは、浜寺は先崎さんと長谷辺さんの休日のデートを何度も見ている筈だ。浜寺は何を思ったのか、先崎さんと付き合っている長谷辺さんがどういう男なのか確かめたかった。それは、恐らくねたみ、嫉妬からではないかと思う。もしかしたら、その時既に浜寺は、長谷辺さんに殺意を抱いていたかも知れない。一方の、不倫調査をしていた倉渕は、ストーカー行為で浜寺を脅せないか考えていたから、手当たり次第に尾行していた。そんな矢先に、長谷辺さんが山で殺害されたことを知り、もしかしたら浜寺が、殺したのではないかと疑った。倉渕はストーカー行為で浜寺を脅すと同時に、確信はないものの、長谷辺さん殺害でも脅せると踏んだのではないだろうか。そのための写真が、長谷辺さんのマンションに入る写真と、犯行当日に、ザックを背負って南町のマンションに帰って来た時の写真だと思う。幸か不幸か、それがドンピシャ当たってしまった。浜寺は慌てただろうね」

 空木は、改めてマスクをしてザックを背負った男が、マンションに入って行くところを写した写真を二人に見せた。

 「‥‥脅された浜寺は、あそこの公園に倉渕を呼び出して殺したということか」

「それも、上高地でテント泊をして、涸沢でアリバイの写真を撮ってから、国分寺まで来て、また最低でも松本まで戻れる時間。しかも暗がりで殺人が出来る時間を考えた」

「‥‥長谷辺さんを殺し、そしてその事で脅してきた倉渕も殺した。健ちゃんの言う通り、二つの事件は繋がっていたという推理か‥‥」

 「長谷辺殺害の動機は、嫉妬心ということですか‥‥」仲澤は、空木の推理には釈然としないようだった。

 「私の推理は、今話した通りですが、この部屋の壁に貼られた写真の異様さを見ると、普通の嫉妬心では理解できないものが存在しているじゃないかと思います」

 空木はそう言って、もう一度、玄関からクローゼット、そして押し入れを見て回った。

 仲澤は、押収品の指示、指紋採取の確認をしてから、奥秩父署に連絡を入れた。

 十本以上のサバイバルナイフの分析依頼と、浜寺の緊急手配について、刑事課長の野田と相談していた。

 石山田も指紋と押収品の確認を済ませた後、捜査本部の浦島刑事課長に連絡を入れ、逮捕状の請求と、浜寺の携帯電話のGPSでの追跡、更に先崎文恵の周辺の警戒に当たることも依頼をした。

 その際課長からは、倉渕と一緒に浜寺の不倫調査に当たっていた、大滝と言う調査員からの聴取内容が伝えられた。大滝の聴取からは、ストーカー行為の相手の女性の名前は知らないが、西国分寺駅付近に住んでいること、そして倉渕が、競輪を始め、ギャンブルに入れ込んで金に困っていたらしく、大滝も数万円貸していたという話が聞けたということだった。

 部屋を見て回っていた空木が、腕組みをしながら二人に声を掛けた。

 「仲澤さん、巌ちゃん、登山靴が見当たらないことからすると、浜寺はどこかの山へ行こうとしているのか、もう既に山に入っているのかだと思います。探し出すには時間が掛かりそうですね」

「石山田刑事、逮捕状が出たら、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)で追跡していただけませんか。我々も重要参考人として手配しますから情報を下さい」

「分かりました。マイカーなのか、プリンス製薬の車か、レンタカーなのか分かりませんが、直ぐに調べます」

「車じゃなかったら厄介だね」空木が水を差すかのように口をはさんだ。

「‥‥車での移動じゃなかったら、立ち寄りそうな所を捜すしかない。どこの山に行ったのかは見当がつきそうもない」

「巌ちゃん、先崎文恵の近辺も要注意じゃないか」

「それはもう、本部に要請している」

「石山田刑事、空木さん、我々は奥秩父署に戻ってナイフの分析を急ぎます」

 空木は、仲澤から石山田に顔を向けた。

 「巌ちゃん、藤江先生に会いに行くのかい」

「今更だけどな。お灸をすえてこなくちゃいけないだろう」

「‥‥そうか。きついお灸を頼むよ。倉渕の所在を調べた俺の身にもなれって言って来てくれよ」

「わかった。それから浜寺の行方は、仲澤刑事たちと俺たちで突き止める。健ちゃんには、これまでの協力に感謝するよ。ありがとう」

 石山田の改まった言葉に、空木は戸惑い、照れて頭を掻いた。

 「空木さん、我々も大変感謝しています。空木さんの協力がなかったら、お宮入りだったかも知れません。ありがとうございました」

 仲澤は深々と頭を下げた。

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