第20話 想いが交わる時

 意識が覚醒していく。ゆっくりと目を開けると、すぐ傍にリヒトの美しい顔があった。どうやら抱きかかえられているようだ。


 リヒトの表情は、いつも見ているような明るさはない。青色の瞳は光が失われ、口元には不敵な笑みを浮かべている。冷酷無慈悲な王かと錯覚するほどの恐ろしい表情だった。


「悪夢の中で悶え苦しめ。心ごと壊してやる」


 リヒトの視線の先を追うと、ルイスとライアンがいた。二人は宙に浮いた状態で、首を押さえながら悶えていた。


「いいぞ、もっと苦しめ」


 ぼんやりとしていた意識が一瞬で覚醒した。


(一体何がどうしてこうなった?)


 アイネが意識を失っている間に、とんでもない事態に陥ってしまったようだ。


 リヒトからは光の魔力は感じられない。その代わりに悍ましいオーラを感じた。ノエルが発していた闇の魔力と同じだ。


 わけが分からずに呆けていると、リヒトの背後で浮遊していたノエルが歓喜する。


『素晴らしい! 光と闇の二属性持ちか! まさに私とルチアーノの愛の結晶』


 二属性持ち? そんな話は初めて聞いた。二属性の魔力を持つ魔法使いがいること自体、初めて知ったくらいだ。


 ノエルは恍惚とした表情を浮かべながら、リヒトに手を伸ばす。


『あれこそ私の器にふさわしい。欲しい。あの男が欲しい! 光の魔力が枯渇した今なら、手に入れることができる!』


 すごく嫌な予感がする。このままではリヒトが乗っ取られてしまいそうだ。


(リヒト様がノエルの器になるなんて絶対駄目だ)


 頭を回転させてノエルから守る方法を探す。すると、一つの解決策を見出した。


(ああ、簡単なことだ)


 今のアイネには光の魔力で満ちている。ノエルを浄化する時にほとんど使い果たしたと思ったのに。理由はよく分からないが、これならリヒトを守ることができる。


「アイネを危険に晒したことを後悔させてやる」


 苦しむルイス達を見て、リヒトは嘲笑う。こっちに意識を向けてほしくて、アイネはリヒトのネクタイを勢いよく引っ張った。


「リヒト様、黙って」


「アイネ、起きて……んっ!?」


 リヒトは驚いた顔でアイネを見下ろす。何か言いかけていたリヒトの口を、自らの唇を押し付けて黙らせた。


 魔力は生まれながらのもので、他属性の魔力は身体が受け付けない。ならばリヒトの体内に光の魔力を送り込めば、ノエルは器として乗っ取ることができないはずだ。先ほどのノエルの発言からも、この方法が有効だと推測していた。


 だけど上手くいく保証なんてない。他者に魔力供給なんてしたことがないし、授業でも教わっていない。キスだって初めてだ。上手くできているのかも、よく分からない。


 身体が熱くて仕方がない。恥ずかしくて逃げ出したいけど、ここで逃げたら取り返しのつかないことになる。リヒトをノエルに渡したくない。


(リヒト様には、まだ伝えていないことがたくさんあるんだから)


 唇を重ねていると、リヒトへの想いが溢れ出す。愛おしさも憎らしさも全部ぶつけてやりたかった。


――七年間、一途に想い続けてくれてありがとう


――そんなに好きなのになんで気付かないの?


――私はここにいる


――思い出の中の私じゃなくて、今の私を愛してよ


 涙が滲んでくる。こんなこと本人には絶対に言えない。言ったら全部壊れてしまうから。


 息苦しくなって離れた途端、驚くべきことが起こった。リヒトから強く唇を押し付けられた。


「んんっ……」


 熱いものがねじ込まれる。身を強張らせていると、苦くて甘いものが流れ込んできた。


 リヒトの魔力だ。でもそれだけではない。魔力を通じて、リヒトの記憶まで流れ込んできた。


――呪われしノエルの子が生まれるなんて王家の恥だ


――あいつが生まれたせいでお母様は死んだ


――光と闇の二属性? そんなの聞いたことがない


――呪われた子、生まれてこなければ良かった


――城の地下に監禁しておけ。人前に出すのは危険だ


 過去にリヒトが受けた言葉だ。悪意に満ちた言葉が脳内を支配していく。目を閉じると、金色の髪をした少年が蹲っている幻影が見えた。


――僕は、いらない子。生まれて来なければ良かった


 幼き日のリヒトの声だ。泣いているのか、声は震えている。


 そんなこと言わないでほしい。否定しようとした瞬間、聞き覚えのある声が響いた。


――お誕生日おめでとう


 幼き日のアイネの声が反響する。王宮庭園で向き合う二人の幻影も見えた。その瞬間、リヒトから流れる魔力が甘く変わる。


――僕は君に救われた


――君がいたから、僕は生き続けても良いと思えたんだ


――君のことを考えるだけで幸せな気持ちになる


――早く会いたい。会って、ありがとうって伝えたい


――再会したら必ず幸せにするよ


 甘くて、熱くて、ほろ苦い。まるでホットチョコレートを口の中に流し込まれているようだ。これ以上交わっていたら溺れてしまいそうだ。アイネはリヒトの胸を押して、唇を離した。


 顔を上げると、リヒトが泣きそうな顔でこちらを見下ろしていることに気付く。浅い呼吸を繰り返していると、リヒトは優しい声色で告げた。


「僕は馬鹿だ。初恋の人がこんなに近くにいたのに気付かないなんて」


 やっと気付いてもらえた。嬉しくて涙が溢れ出す。


 本当はバレてはいけないのに。退学になるかもしれないのに……。それでも、気付いてもらえたことは嬉しかった。


 リヒトから感じる闇の魔力は先ほどよりも薄れている。代わりに温かな光の魔力を感じた。魔力供給は上手くいったようだ。


 リヒトは切なげなに目を細める。


「魔力を通じてアイネの記憶も伝わってきた。七年前のことも、お母様を亡くしたことも、男のふりをして学園にやって来たことも……」


 記憶が伝わっていたのは、こちら側だけではなかった。全部筒抜けになっていたなんて恥ずかしい。真っ赤になっているアイネを見下ろしながら、リヒトは困ったように笑った。


「口移しで魔力共有をすると、お互いの記憶や感情がダイレクトに伝わってしまう弊害があるんだ。だから通常はこんな方法はとらない」


「私、そんなの、知らなくて……」


「そうだね、これはまだ教えていなかったね」


 アイネはまたしても自らの勉強不足を呪った。とはいえ、デメリットを知っていたとしても、あの場ではこうするしかなかったけど。


「もう、離してください……」


 身をよじらせて逃れようとしたが、離してはくれなかった。


「駄目だ。やっと見つけたんだ。もう二度と離したりはしない」


「リヒト様が好きなのは、過去に一度会っただけの琥珀色の乙女でしょう? 私じゃない」


「そんなことはない」


 リヒトは愛おしいものを見つめるように穏やかに微笑む。


「七年間恋焦がれていた人と、今好きになりかけている人が同一人物だったなんて、これほど嬉しいことはない。これでもう、何も悩む必要はない」


 リヒトはアイネの額に顔を寄せながら、甘い声で囁く。


「これからは思い出の中の君ではなく、今の君を愛することにするよ。それが願いなんだろう?」


 その言葉を聞いた瞬間、恥ずかしくて燃え上がりそうになった。今の気持ちも全部筒抜けになっていたようだ。

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