第19話 闇の魔法使いノエル

 気が付いた時、アイネは石造りの神殿で立ち尽くしていた。


(ここはどこ? さっきまで裏路地で倒れていたのに)


 白い柱の隙間から外の様子を伺うと、四方が湖に囲まれていることに気付く。目を凝らしても陸は見えない。まるで水の上に浮かぶ神殿のようだ。


 こんな場所をアイネは知らない。少なくとも学園都市ではなさそうだ。


 困惑していると、背後から足音が聞こえてきた。振り返ると、長い黒髪を携えた長身の男が立っていた。


 闇の魔法使いノエルだ。身構えていると、ノエルは赤い目を細めてにやりと笑った。


『そう警戒するな。取って食ったりはしない』


 今すぐ逃げ出したいのに足が動かない。赤い瞳に見据えられると、動くことができなかった。


 ノエルは困惑するアイネの反応を楽しむかのように笑うと、神殿内にある階段に腰を下ろした。


『ここはどこだ、という顔をしているな』


 返事ができずにいると、ノエルは薄ら笑いを浮かべながら説明した。


『ここは精神世界だ。簡単に言えば、アイネ・リデルの夢の中だな』


 どうして私の名前を? 口にしたつもりはなかったが、ノエルは理由を明かした。


『そんなの心を読めば分かる。俺を誰だと思ってるんだ?』


 闇魔法で心まで読まれるとは思わなかった。とはいえ、心が読めるのなら先ほど母が現れた理由も分かる。


「心を読んで、死者の幻影を私達に見せていたんですか?」


『そうだ。結構効いただろう? 死者の中でも、一番会いたい人物を厳選したからな』


 ようやく言葉を発せたと思ったら、ノエルは即座に肯定した。くっくっくっと肩を震わせながら笑っている。罪悪感なんて微塵も抱いていないようだ。


 怖くて仕方ない。だけど、ここで弱気な態度を見せたら付け込まれる。アイネは拳を強く握りながら、ノエルを見据えた。


「貴方の目的はなんですか? ノエル寮の生徒から魔力を奪ったり、光属性のエレーナまで狙ったり、それに私の夢の中にまで入って来るなんて。そもそも貴方はとっくの昔に死んだはずでしょう?」


『落ち着け。そう一気に尋ねるな』


 ノエルは、黒髪を掻き上げると、にやりと不敵に微笑んだ。


『順番に答えよう。まず私が現世に留まっていられる理由は闇魔法のおかげだ。そういう魔法を私は習得している』


 そう言えば、ライアンが言っていた。ノエルは死後も現世を彷徨って、器を捜していると。ただの噂話かと思ったが、まさか本当だったなんて。


『もっとも現世に留まり続けるには、闇の魔力を外から調達してくる必要があるがな』


 外から調達と聞いてピンとくる。ノエル寮の生徒を襲ったのは、現世に留まり続けるためだったのだろう。だけど、それだけでは納得できないこともある。


「それならエレーナは? 光属性の魔法使いまで襲ったのは何故です?」


 他属性の魔力は身体が受け付けない。闇の魔法使いのノエルは、光属性の魔力は体内には取り込めないから、必要はないはずだ。


 疑問をぶつけると、ノエルは糸のように目を細めた。。


『単純な話だ。光の魔力が欲しいからだ』


 ノエルはローブの中に手を入れると、占術で使う水晶玉を取り出した。水晶玉の中には琥珀色のもやが閉じ込められている。


『この水晶の中に、光の魔力を貯めている。昨日奪った女の魔力もここに入っているぞ』


「なぜそんなことを?」


 アイネが尋ねると、ノエルはうっとりしながら水晶玉に頬擦りをした。


『光の魔力に触れていると、ルチアーノを感じられるんだ。ルチアーノの温もりも、匂いも、味も、全部思い出す』


 意味が分からない。ルチアーノとは、光の魔法使いルチアーノのことか?


『そうだ。私のもっとも愛する人だ』


 またしても心を読まれてしまった。ノエルは水晶玉をうっとり見つめながら、言葉を続ける。


『ルチアーノを愛する気持ちは、何千年経とうと変わらない。肉体が滅びても、私が覚えている限り、ルチアーノは生き続ける』


 ノエルは熱の籠った瞳で、水晶にキスをした。


『愛してるよ、ルチアーノ。これからもずっと一緒だ』


 おぞましいものを目にして息を飲んでいると、ノエルは水晶を抱き寄せたままアイネに視線を向けた。


『お前の中に入った理由は、ルチアーノの代わりになってほしいからだ』


「代わり?」


『ああ、お前は私のことが見える。その上、ルチアーノと同じ光属性だ』


「だったら何なんです?」


 ノエルは不敵な笑みを浮かべながらアイネに手を伸ばした。


『ルチアーノの代わりにお前を愛でてやる。お前に触れたら、もっとルチアーノのことを思い出せそうだ』


 抱き寄せられそうになり、咄嗟に目を瞑る。しかし、触れる感触は伝わってこなかった。恐る恐る目を開けると、目の前に立つノエルは悩まし気に溜息をついた。


『やはり精神世界でも触れることは叶わないか。器がほしいな』


 どうやら今のノエルでは触れることはできないようだ。肉体を持たない亡霊だからかもしれない。


 最初は怖くて仕方がなかったが、ノエルの企みに気付いた瞬間、別の感情が浮かび上がってきた。


(ルチアーノの代わりに愛でてやる? それって過去の想い人の代用品にさせられようとしているってこと?)


 あまりに身勝手な企みを知って、恐怖よりも怒りが沸き上がった。同時にあの男の顔も過る。過去に出会った少女を、琥珀色の乙女と神格化して七年間も思い続けている男のことだ。


 あの男だって同じだ。男装したアイネに琥珀色の乙女の面影を重ねて、代用品として愛でているに過ぎない。


 それだけではない。初恋の相手が目の前にいるというのに、まるで気付いていない間抜けっぷりだ。そう考えると、無性に腹が立った。


「どいつもこいつも、過去の恋をいつまでも引き摺って……」


 伯爵令嬢には相応しくない言葉遣いであることは分かっている。だけど男装をしている今なら許されるような気がした。


 アイネはエメラルドグリーンの瞳でノエルを見据える。あの男への想いと一緒に、怒りをぶつけた。


「思い出を美化するな! 今を見ろ!」


 怒りを爆発させて叫んだ瞬間、眩しいほどの光に包まれる。その瞬間、ノエルは両腕で目を覆った。


「ああああぁぁっ……。身体が焼かれるようだ」


 光が消えると、アイネは肩を上下させながら息をする。怒りのあまり魔力の出力調整を見誤った。今ので魔力をほとんど使い果たしてしまった。


 ノエルはゆっくり顔を上げる。反撃されると思いきや、ノエルは恍惚とした表情でアイネを見つめる。


「光の浄化魔法か? 懐かしい。ルチアーノにもよくこうして叱られたな」


 ノエルは頬を赤らめながらうっとりしている。その光景を見て、アイネはゾッとした。


(効いてない?)


 意図せずに浄化魔法が発動できたようだが、効果があるようには思えない。だけどノエルの闇の魔力は先ほどよりも明らかに薄れていた。


 ノエルは息を荒くしながら、アイネに詰め寄る。


「どうした? これで終わりか? ルチアーノはこんなものではなかったぞ? 殺す勢いで浄化してきたからな。ああ、思い出しただけでもゾクゾクする」


 両手を抱えながら身震いするノエルを見て、アイネは「ひぃ」と悲鳴を上げた。


(なんだこの男、気持ち悪い……)


 逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていると、ふとノエルが表情を消して神殿の外を見上げた。


「ん? 妙な魔力を感じるな。光と闇が混合している?」


 突然のことで呆けていると、ノエルは神殿を飛び出す。


「悪いな。用事ができたからこれで失礼する」


 引き留める間もなく、ノエルは空に向かって飛び立った。


(なんだったんだ……)


 アイネはノエルの背を見つめながら、立ち尽くしていた。

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