第15話 忍び寄る影

 エレーナがゴーストに襲われたのは、霧の濃い夜のことだった。日中に買いそびれた食材を買いに行こうと外出していたところを狙われたらしい。


 路地裏で倒れていたところをイグニス寮の生徒に発見され、寮まで運ばれてきた。地面に伏していたエレーナは譫言のように「ゴーストが……」と繰り返していたそうだ。


 顔面蒼白になったエレーナを見て、寮母のエマが悲鳴を上げる。


「エレーナ! しっかりして! エレーナ!」


「エマさん、落ち着いて! とにかく部屋に運びましょう!」


 イグニス寮の生徒に宥められながら、エマはエレーナと共に部屋に向かった。事情を知ったアイネも、エレーナの部屋に直行する。


 エレーナを部屋に運ぶと、ルチアーノ寮の上級生が慌ただしく動き回る。


「リヒト様はどこにいる?」


「定例会議に出席しています」


「くそっ……。タイミングが悪い……」


「今すぐ呼びに行ってきます!」


「おい! 魔法医が来るまで下手な事するなよ! 切り傷や打ち身とはわけが違うんだ。下手に手出しをすると悪化する可能性がある」


 上級生からの指示にアイネは「はい……」と小さく返事をした。今はリヒトや魔法医が来るまで大人しく待つしかなさそうだ。


 エマと共にエレーナの容態を看ていると、大きな音を立てて扉が開く。


「エレーナ!」


 部屋に飛び込んできたのはルイスだった。今にも泣き出しそうな顔でエレーナのベッドに駆け寄る。


「ルイス、どうしてここに?」


「先輩に聞いたんだ。エレーナがゴーストに襲われたって」


 エレーナを運んできたのはイグニス寮の生徒だったから、情報が伝わったのだろう。ルイスはエレーナの手を握る。


「待ってろ、エレーナ。俺が助けてやるから」


 次の瞬間、ルイスはエレーナにキスをした。突然の出来事にアイネもエマも呆気に取られる。


「ルイス! こんな時に何をしてるの?」


 アイネは慌ててルイスを引き剥がす。ルイスは口元を拭いながら、泣きそうな顔で叫んだ。


「エレーナはゴーストに魔力を奪われたんだ! だから俺の魔力を送り込んだ!」


 そういえば、他者への魔力供給の方法についてはルイスと話したことがある。口移しで魔力供給ができる。その情報をもとに実践したのだろう。


 納得しかけたところ、エマが震えながらエレーナを指さす。


「大丈夫なのかい? エレーナは光属性、ルイスは炎属性じゃ……」


 エマの言葉で重大な事実に気付く。他属性の魔力は体が受け付けない。以前リヒトからそう教わった。


「うぅ……あぁっ……!」


 エレーナに視線を向けると、胸を掻きむしりながら苦しそうに身をよじらせている。他属性の魔力が送り込まれて、体が拒否反応を示しているようだ。


 エレーナが急変したのを見て、ルイスは青ざめる。


「そんな……俺のせいでエレーナが……」


「馬鹿! 悪化させてどうする! 部外者は出て行け!」


 ルイスは上級生に後ろ襟を掴まれて、部屋の外に放り出される。閉め出しを食らった後も、エレーナの名前を繰り返し叫んでいたが、上級生から「帰れ!」と怒鳴られると静かになった。


 それから間もなく、リヒトと学園常駐の魔法医がやって来て治療にあたった。診察をしたところ、魔力を奪われたのは本当だったようで、すぐに光の魔力を供給することになった。


 もちろん、口移しなどという方法はとらない。専用の器具を使ってルチアーノ寮の生徒達から魔力を抜き取って、エレーナに供給した。


 懸命な治療の甲斐もあり、明け方にはエレーナは意識を取り戻した。緊張感が走っていたルチアーノ寮に、安堵の溜息が漏れる。


 目を覚ましたエレーナは、ベッドに横たわりながら、か細い声でアイネに伝えた。


「眠っている間、ルイスの泣き声が聞こえたの。あの子、まだ泣いていると思う。だから伝えてあげて。私はもう大丈夫だって……」


 力なく笑うエレーナを見て、アイネは頷いた。


「うん。ちゃんと伝えておくよ。あの馬鹿にも」


 エレーナと約束をする一方で、魔法医とリヒトが部屋の隅で声を潜めながら会話をしていることに気付いた。


「いままで狙われていたのはノエルの子だけだったのに、他属性の子にも危害が及ぶなんて……」


「これは早急に対策を立てないといけませんね」


 穏やかに見えていた学園都市に、良くないものが忍び寄っているような気がした。

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