第12話 妄想の羽を広げて

 アイネが魔法学園に入学してひと月が経過した。


 入学したばかりの頃は授業について行けるか心配だったが、今では魔法の勉強が楽しくて仕方がない。錬金術、魔法薬学、魔法医学、飛行術、召喚術など、授業を受けるごとに使える魔法が増えていった。


 放課後は、リヒトに勉強を見てもらうのがルーティンとなっている。今日も銀縁眼鏡をかけたリヒトから勉強を教わっていた。


「いいかい? 魔力は他者にも分け与えることができるが、他属性の魔力は身体が受け付けない。これは魔法医術の基礎となる考え方だから、きちんと覚えておくように」


「分かりました」


 テキストに印をつけようとしたところ、リヒトから至近距離で顔を覗き込まれていることに気付く。整った顔で見つめられると、顔が熱くなる。


「何か?」


「アイネは理解が早いから教え甲斐があるな」


 至近距離でふわりと笑いかけられると、心臓が跳び跳ねる。


「理解が早いのは、リヒト様の教え方が上手いからだと思います」


 こちらの動揺を悟られないように、淡々と答えた。


 意外なことにリヒトはものを教えるのが上手だった。こちらの理解度に応じて話を進めてくれるから躓くことがない。おまけに博識だから授業で聞く内容以上のことを学ぶことができた。


「教え方が上手いなんて、初めて言われたよ……」


 リヒトは目を見開いて驚いている。どうやら自覚はなかったようだ。


「それだけ教え方が上手いのなら、将来は教師になれるのでは?」


 軽々しく口にしてしまったが、リヒトが第二王子であることを思い出す。無責任なことを言ってしまい申し訳なさを感じていたものの、リヒトはまったく気にしていなかった。


「おお、教師か! 琥珀色の乙女の専属教師になるのもいいな!」


 リヒトはキラキラと瞳を輝かせながら拳を握る。もう既に専属教師になっているなんて想像もしていないだろう。


 琥珀色の乙女の話題が出たことで、話題はそちらにシフトする。


「そういえば、琥珀色の乙女の捜索はどうなっている? 手がかりは掴めそうか?」


「いえ、まだ何も……」


 捜索状況を尋ねられて焦ったが、申しわけなさそうに視線を落としてやり過ごすことにした。手がかりを掴めていないと知ると、リヒトはシュンと肩を落とす。


「そうか、まだ見つからないのか」


「申し訳ございません」


「いや、アイネが気に病むことではない」


 リヒトはアイネを責めることはなかった。その代わりに酷くがっかりした姿を見せてくる。


「はあ……早く会いたい……会ってたくさん可愛がりたい」


 悩まし気に溜息をつく。アイネが何とも言えない気持ちになっていると、リヒトは妄想の羽を広げた。


「琥珀色の乙女と再会したら、膝の上に乗せてチョコレートをたくさん食べさせてあげるんだ。僕が一粒ずつ口まで運んであげてね」


 リヒトは両手を合わせながらうっとりと妄想する。一方、アイネは妄想上の自分を想像して顔が熱くなった。


「七年も経っているんですよ? 膝の上に乗るわけないでしょう!」


 リヒトの妄想に登場しているのは、八歳の少女に違いない。だから膝に乗せるなんておかしな発言をしているんだ。


「そうか?」


 アイネから指摘されてもなお、リヒトは不思議そうに首を傾げる。何を思ったのか、机の脇からベッドに移動して腰を下ろした。


「おいで、アイネ」


 両手を伸ばしてアイネを呼ぶ。アイネは怪訝そうに眉を広めたが、呼ばれるままに近付いた。リヒトの前までやって来ると、不意に右手を掴まれて膝の上に乗せられる。


「ほら、乗った」


 リヒトは甘く微笑む。最初は何が起きたのか分からなかったが、膝の上で抱きかかえられていることを認識すると、羞恥心で燃え上がりそうになった。


「離してください!」


「暴れないでくれ。琥珀色の乙女と触れ合う練習だ」


 左手で抱きかかえられ、右手で優しく頭を撫でられる。


「ああ、琥珀色の乙女もこんな抱き心地なのだろうか? 温かくて、柔らかくて、触れているだけで幸せな気分になる」


 こんな子供みたいな扱いを受けて大人しくしていられるわけがない。アイネは肘でリヒトの脇腹を突いた。


「やめてくださいって言っているでしょう!」


 脇腹を突かれたリヒトは、うめき声を上げながら苦しそうに蹲る。


「すまない。そんなに怒らないでくれ」


「怒りますよ! もう出て行ってください!」


 膝の上から降りると、リヒトの腕を引っ張って部屋の外へ追いやる。リヒトはまだ何か言いたそうにしていたが、すぐに扉を閉めた。


 アイネは溜息をつきながら、この一ヶ月の出来事を思い返す。


 リヒトは『琥珀色の乙女を愛でる練習』と称して、あの手この手でアイネに触れてきた。手を握られたり、頭を撫でられたり、背後から抱き寄せられたり……。


 手の繋ぎ方が分からないと照れていた時に比べたら、大きな進歩だ。いや、そんな進歩はしなくてもいいのだけれど。


 リヒトは、アイネ・ブラウンが男だと認識していてもお構いなしで触れてくる。男同士の距離感はよく分からないが、この近さは異常だろう。


 リヒトから触れられるのは嫌な気はしないが、複雑な気分になる。リヒトが想いを寄せているのは、妄想の中にいる七年前のアイネだ。今のアイネではない。


 今の自分が、過去の自分の代用品にさせられているのは良い気がしない。最近は、リヒトが琥珀色の乙女の惚気話をするだけで無性にイライラする始末だ。


(自分で自分に嫉妬しているの? 馬鹿馬鹿しい)


 アイネは深々と溜息をつく。


 そもそもフランベル魔法学校にやって来たのは、魔法を極めてゆくゆくは魔法学校を設立するためだ。恋愛をしに来ているわけではない。


(余計なことは考えずに勉強に集中しよう)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る