第8話 作戦会議

 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。小鳥のさえずりに耳を傾けていると、ゆっくりと意識が覚醒していった。


 目が覚めて、最初に思い浮かんだのはリヒトのことだ。


 リヒトは底抜けに明るい。まるでよく晴れた空のようだ。そんな一面を知ったからこそ、過去のイメージとはどうにも結びつかなかった。


 七年前のリヒトは、なぜ泣いていたのか? もしかしたら、表向きに見せている姿とは違った一面も持っているのかもしれない。


(いや、考え過ぎね。きっとパーティーで第一王子ばかりチヤホヤされて拗ねていたんでしょうね)


 今更考えていても仕方のないことだ。それよりも今抱えている問題に向き合った方が良い。


 寝返りを打つと、柔らかいものが頬に触れる。ふわふわとした心地よい感触。リヒトの使い魔の黒猫、ラーナだ。


 入学前日に出会った黒猫がリヒトの使い魔であることは、昨日の夕食時に教えてもらった。賢くて聞き分けの良い猫だとリヒトが絶賛していた。


 最初は素っ気ない態度を取られてしまったが、今ではすっかり打ち解けている。昨夜はラーナが扉をカリカリしながら訪ねて来たから一夜を共にした。


 もふもふとした毛並みに触れながら微睡んでいると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「アイネ、おはよう」


 リヒトの声だ。わざわざ起こしに来たのか?


「まだ寝てるのかい? 入るよ?」


 ベッドの上で微睡んでいたが、「入る」という言葉を聞いて飛び起きた。


「勝手に入って来ないでください!」


 アイネは開きかけた扉を閉める。危機一髪。侵入を阻止できた。


 今部屋に入って来られるのはマズい。アイネが着ているのは薄手の寝間着だ。補正下着だって付けていない。こんな状態で対面したら、女であることがバレてしまう。


「どうした? そんなに慌てて。話があるんだが」


「話なら後で伺います。今は入らないでください」


 明確に拒絶をすると、リヒトは扉の向こう側で溜息をついた。


「……分かった。支度が済んだら僕の部屋に来てくれ。それならいいだろう?」


「構いません」


 引き下がってくれたようで安心した。リヒトが去ったのを確認した後、アイネは大急ぎで身支度を整えた。


 寝起きの令嬢からの男装令嬢に早変わりする様子を、ラーナが欠伸あくびをしながら見守っていた。


~❀~❀~


「失礼します」


 身支度を済ませてからリヒトの部屋に向かう。中に入ると、リヒトはベッドに腰掛けて爽やかに微笑んだ。


「おはよう、アイネ」


 窓から差し込んだ光が、金色の髪に差して煌めいている。髪を耳にかける動作も優雅だった。挨拶を忘れて見入っていると、リヒトが本題に入った。


「ここに呼び出したのは他でもない。今後の方針を相談しようと思ってね」


「今後の方針?」


「ああ、琥珀色の乙女を捜す計画についてだ」


 琥珀色の乙女と聞いて、ドッと気が重くなった。今すぐ退出したいが、逃げられる雰囲気ではない。渋々作戦会議に付き合うことにした。


「朝食はバルコニーに用意してある、食べながらじっくり話そう」


「バルコニーに?」


 通常、食事は一階の食堂でとることになっている。わざわざバルコニーまで運んでいるのは監督生権限だろうか? 色々思うところもあったが、案内されるままにバルコニーに出た。


 白いガーデンテーブルには、美味しそうな朝食が並んでいる。焼きたてのクロワッサン、ふわふわのオムレツ、こんがり焼いたベーコン、具沢山のスープ。寮母であるエマの手料理だ。


 エマは料理が上手い。入寮初日に夕食を頂いた時から、すっかり胃袋を掴まれてしまった。今日の朝食も期待できそうだ。


「いただこうか」


「はい、いただきます」


 両手を合わせてから、アイネは食事を始めた。


 予想していた通り、今日の朝食も百点満点だ。美味しい朝食に感動していると、リヒトは紅茶を一口含んでから真剣な面持ちで話を切り出す。


「琥珀色の乙女の捜索の件だけど、アイネには新入生に聞き込みをしてほしい」


 ごくり、とスープを飲み込んでから、フォークを置いて話を聞く姿勢になる。


「えっと……琥珀色の乙女を知っている者がいないか聞き込みをするということですか?」


「そうだ。二、三年生と教師には既に聞き込みをしている。残念ながら手掛かりは掴めなかったけどね」


 リヒトは溜息をつきながら肩を落とす。その一方で、アイネは何の情報も得られていないことに安堵した。


 アイネの故郷のローリエ王国は辺境の地だ。魔力を持つ男子でも、学園に通っているものは少ない。知り合いがいる可能性は極めて低かった。


 さらにアイネは、デビュタント※を済ませていない。幼い頃に数回、父の付き添いでパーティーに顔を出しことはあるが、正式に招待されたことはなかった。(※社交界デビュー)


 ハワード王国主催のパーティーにも、父のおまけとして特別に入れてもらったに過ぎない。公の場に出ていないのだから、リヒトが手掛かりを掴めていないのも頷ける。


「分かりました。新入生に聞き込みをしてみます」


 白々しく引き受ける。実際には聞き込みなんてするつもりはないが。


「ありがとう、助かるよ。ちなみにアイネは姉妹はいないのか?」


「いませんね」


 即答する。実際には妹が一人いるが、そんなことを口にしたら面倒なことになるだけだ。


「そうか……。琥珀色の乙女と似ているから、もしやとも思ったが……」


「私は平民です。姉妹がいたとしても、王家主催のパーティーに参加できるはずがありません」


「それもそうか……」


 肩を落とすリヒトを見ていると胸が痛む。だけどこればっかりは仕方がない。


 リヒトは縋るように手を合わせながら、アイネに訴えた。


「できるだけ、早く捜してほしい。そうでないと困るんだ」


「困る?」


 一体何が困るというのか? 首を傾げていると、リヒトは気まずそうに視線を落とした。


「実は昨日、琥珀色の乙女が夢に出てきたんだ」


「はい?」


 想像の斜め上をゆく話題を出されて、アイネは眉を顰める。リヒトは頬を赤らめながら話を続けた。


「昨日、琥珀色の乙女の話をしたせいだと思う。彼女への想いが高まってしまったから夢の中にまで現れたんだ」


 自分は一体、何を聞かされているんだ? 呆れ顔を浮かべるアイネだったが、リヒトの話はここで終わりではなかった。


「夢に出てきた彼女は、紺色のドレスに身を包み、琥珀色の髪を結い上げて、聡明さが滲み出る美しい女性に成長していたよ」


 幼い頃に一度しか会ったことがないのに、成長した姿が夢に出て来るなんて恐ろしい妄想力だ。


「多分、アイネが琥珀色の乙女によく似ているからだろうね。とてもリアリティのある夢だったよ」


 人を妄想の材料にしないでいただきたい。呆れていると、リヒトはチラっとこちらを一瞥してから恥ずかしそうに続きを語った。


「夢に出て来てくれたこと自体は嬉しいんだ。成長した彼女と会えるのは願ってもないことだからね。ただ、その内容がちょっとよろしくなくて……」


 リヒトは落ち着きなく視線を泳がせる。


 続きを聞くのが怖い。逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていると、とんでもない内容を明かされた。


「夢に出てきた彼女は、僕を誘惑してきたんだ。背中に手を回して、耳元で甘い言葉を囁いてね」


「はああ!?」


 思わず叫んでしまった。この男はなんて夢を見ているんだ。


「僕だって女性には紳士的に振舞いたい。だけど妖艶に誘惑されたら我慢できなくて……」


 リヒトは恥ずかしそうに両手で顔を覆う。


「駄目だ! これ以上は言えない!」


 アイネは顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせる。夢の中で大胆に振舞う自分を想像すると、恥ずかしさやら怒りやらで頭に血が昇った。


「ああ、思い出しただけでドキドキしてくる。今夜も彼女が夢に出てきたらどうしよう。毎晩夢の中で誘惑されたら、おかしくなってしまいそうだ」


 今まさにおかしな妄想をされていると思うと恥ずかしさで燃え上がりそうになる。アイネはプルプルと震えながら、椅子から立ち上がった。


「そんな話は聞きたくありません!」


 ダン、とテーブルを叩きながら吐き捨てると、アイネは部屋から逃亡した。リヒトは「どうした急に!」と呼び止めたが、振り返ることはなかった。


 廊下に出ると、ラーナが足もとに擦り寄ってくる。


「ナーウ」


 アイネはラーナを抱えて自室に飛び込んだ。

 部屋に入ると、扉に背を預けながらへにゃへにゃと崩れ落ちる。


「もう、信じられない……」


 腕の中にいるラーナは、心配そうにアイネの顔を覗き込んでいた。

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