第6話 エスコート予行練習①
「アイネ、迎えに来たぞ!」
終礼が終わると、リヒトが教室に飛び込んできた。アイネは「出た!」と叫びそうになるの何とか堪えた。
「リヒト様、何も教室まで迎えに来なくても……」
「早く弟に会いたくて、待ちきれなかったんだ」
リヒトは星を散らしながら微笑む。乾いた笑いを浮かべていると、リヒトはちょんとアイネの額を突いた。
「そんなことより、ダメじゃないか。昼に言ったことをもう忘れたのかい?」
「はい?」
「お兄様。そう呼ぶように言ったよね?」
アイネはひくっと口の端を引き攣らせる。
「いくらリヒト様の頼みでもそれはちょっと……」
大国の第二王子をお兄様なんて呼べるはずがない。下手をすれば不敬罪で投獄されそうだ。
「遠慮することはない。お兄様と呼んでごらん?」
「受け入れられません」
「お兄様」
「いやです」
「お兄様」
「勘弁してください」
頑なにお兄様呼びを受け入れないアイネを見て、リヒトは肩を落とす。
「まあ、呼び方は追々矯正していけばいいか。それより、行こう」
「行こうって、どこにですか?」
アイネが尋ねると、リヒトは紳士的に微笑んだ。
「学園都市を案内しよう」
学園都市ロッカベリーは、フランベル魔法学園を囲むように円形状に形成されている。町の入り口は駅のみで、周囲は高い外壁に囲まれていた。
外部の人間は入校証明書を持っていなければ、ロッカベリーに出入りすることすらできない。生徒も長期休暇以外は町の外に出ることを禁じられていた。まさに閉ざされた学園都市だ。
ロッカベリーには各寮のほか、生活に必要なものを揃えられるショップがある。レストランやカフェもあるようだが、昨日は必要なものを買い揃えるので手いっぱいで町の探索はできなかった。
町を案内してもらえるのは有り難いが、相手がリヒトなら話が変わってくる。
「リヒト様もお忙しいでしょう? 案内など不要ですよ」
「そういうわけにはいかない。弟の面倒を見ることはお兄様の重大な役目だ。それに……」
「それに?」
「琥珀色の乙女をエスコートする時の練習にもなる」
頬を赤らめるリヒトを見て、アイネは呆れたように目を細めた。
(練習じゃなくて、本番なんですよ……)
~❀~❀~
結局、リヒトに学園都市を案内してもらうことになった。二人は学園から駅まで続く大通りを歩く。通り沿いには魔法関連のショップが軒を連ねていた。
箒屋、魔装具屋、魔法薬屋など、故郷では見たことのない店ばかり。目を輝かせているアイネを前にして、リヒトは穏やかに微笑んだ。
「おいで。面白いものを見せてあげよう」
「はい」
リヒトの先導のもと、アイネは石畳の大通りを歩いた。
最初にやって来たのは、甘い匂いが漂うお菓子屋だ。パステルカラーのアイシングクッキーや虹色のロリポップ、くまの形をしたマフィンなど可愛らしいお菓子が並んでいた。妹のリリアが見たら、感激のあまり叫び出しそうだ。
「ここは魔法菓子屋だ。面白いお菓子がたくさん売っている」
「興味深いですね……!」
アイネは引き寄せられるようにお菓子の入った籠を覗く。魔法というからには何か効果があるのかもしれない。目の前にあったアイシングクッキーの説明書きを読んでみた。
【忘却クッキー。直近の記憶を忘却させるクッキー。影響を及ぼす範囲には個人差あり】
想像以上にとんでもない代物だった。その隣にあるマフィンの説明書きにも目を通す。
【恋するマフィン。食べさせた相手を惚れさせるマフィン。持続時間には個人差あり】
こんな恐ろしいものが平然と売っているなんて。忘却クッキーとセットで使ったらと想像するとゾッとした。
「ああ、ここのマフィンは人気なんだ。持続時間が短いのが欠点だけどね」
「まさかこれで琥珀色の乙女を……」
身の危険を感じてゾゾッと両手を抱えていると、リヒトはにっこり微笑む。
「こんなものに頼らなくても、僕は彼女を夢中にさせることができる」
自信過剰とも取れる発言を聞いて、アイネは白けたように目を細める。
このルックスだ。女なら誰でも夢中にさせられるとでも思っているに違いない。
「それよりも、こっちのお菓子の方が面白いよ」
リヒトが手に取ったのは、キャンディーの缶だ。アイネは商品名を読み上げる。
「ピクシーキャンディ?」
聞いたことがない。一体どんなお菓子なのだろうか?
「せっかくだからアイネにも見せてあげよう」
食べるではなく、見せるとはどういうことか? 立ち尽くしているうちにも、リヒトはキャンディの缶をレジに運んだ。
会計待ちの間、アイネはもう一度忘却クッキーに視線を向ける。
(怪しげなクッキーだけど、これは使えるかもしれない)
万が一秘密がバレても、忘却クッキーを使えば隠蔽できる。記憶操作をすることには抵抗があるが、いざとなったら悠長なことは言っていられない。使う機会がないことを願いながら、アイネは忘却クッキーをレジに運んだ。
魔法菓子屋を出たところで、リヒトはピクシーキャンディの蓋に手をかける。
「いいかい? 開けるよ」
やけに勿体ぶってくる。一体何が始まるのかと不安になってきた。
リヒトがパカンと蓋を開けた瞬間、耳を突くような高音ボイスが響き渡った。
「ピギャアアアア! ヤメロー!」
缶の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれたピクシー型のキャンディーが一斉に騒ぎ始める。キンキンと響く声に耐えられず、アイネは耳を塞いだ。
「うるさっ」
「ふふっ、驚いただろう? 僕も初めて見た時は衝撃的だった」
「これ、生きているんですか?」
「いや、キャンディーに喋る魔法をかけているだけだ」
こんなおかしなキャンディーがあるなんて知らなかった。大騒ぎするピクシーをまじまじと観察していると、リヒトが指で一つ摘まんだ。危機を察したピクシーは抵抗する。
「クウナ! オレナンテクッテモウマクナイゾ!」
キャンディーは動くことはないけど、言葉で抵抗している。大騒ぎするピクシーを見て、リヒトはにやりと笑った。
「食うなって言われると、余計に食べたくなるなぁ」
「ヤメテクレ! タスケテ!」
「抵抗しても無駄だよ。僕は君を食べるって決めたんだ」
「タベナイデクレ! コノトオリ!」
「駄目だ。大人しく食べられなさい」
「ピギャアアアア!」
リヒトは、ピクシーを口に放り込む。舌の上でキャンディーを転がすと、にやりと意地悪く微笑んだ。
「美味しい」
「趣味の悪い遊びはやめていただけます?」
冷え切った眼差しで指摘すると、リヒトは吹き出すように笑い始めた。
「あっはっは! そんな冷たい目で見ないでくれよ」
キャンディーを口に含みながら笑う姿からは王子様の気品は感じられない。悪戯に成功して笑う悪ガキのようだ。
「ほら、アイネも食べてごらん」
「ええー……」
リヒトは缶を差し出す。アイネは渋りながらも手を伸ばす。すると再びピクシーが騒ぎ出した。
「オマエモクウキカ! コノヒトデナシ」
キャンディーに人でなし呼ばわりされた。腹が立ったから、口の中に放り込んでやった。
「どうだい?」
「……味は、まあまあ美味しいです。後味は悪いですけど」
キャンディーそのものは、葡萄味で美味しい。カラフルなキャンディーだからフルーツの味になっているのだろう。
「いつだったか、授業中にピクシーキャンディを開けたクラスメイトがいてね、大目玉を食らっていたよ」
「でしょうね」
授業中にこんなに騒がしいキャンディーを開けたら怒られるに決まっている。その時の惨状を想像すると、ちょっと笑えてきた。
「あ、いま笑ったね」
リヒトは目を細めながら嬉しそうに指摘する。アイネは慌てて表情を引き締めた。
するとリヒトは鞄からメモ帳を取り出して、ぶつぶつ言いながらペンを走らせる。
「ピクシーキャンディはウケがいい。琥珀色の乙女をエスコートする時も使わせてもらおう」
「ピクシーを虐めるのは、やめておいた方がいいかと」
さりげなく助言しておいた。何の意味もなさない助言だけど。それでもリヒトは素直に聞き入れて、「ピクシーを虐めない」とメモした。
こんなに真剣にエスコートの計画を立てているなんて、生真面目な性格なのかもしれない。いつぞややって来るエスコートの日が待ち遠しくて仕方がないようだ。
リヒトの気持ちを考えると、困ったような嬉しいような複雑な気分になる。
「よし、次に行こう」
リヒトはピクシーキャンディの蓋を閉じて鞄にしまうと歩き出した。アイネもその背中を追いかけた。
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