第5話 甘い誘惑

 リヒトに案内されて、アイネは中庭にやって来た。二人は木陰にあるガーデンテーブルを挟んで向かい合わせに座る。


 リヒトは王子様らしくキラキラ微笑んでいる。その笑顔に圧倒されながらも、アイネは気を強く持った。


 これ以上、付きまとわれるのは御免だ。もう一度、きっぱり断ろう。


「今朝も申し上げましたが、私は貴方の弟になることはできません」


「どうして? 兄として君の学園生活を最大限サポートするよ?」


「お心遣いは嬉しいのですが、私にはリヒト様の弟は務まりません」


 失礼にならないように、丁重にお断りをする。ここまではっきりと断れば諦めてくれるだろうと思ったが、逃がしてはくれなかった。


 リヒトは、おもむろに手を叩く。直後、ガーデンテーブルにチョコレートが現れた。宝石のような一口大のチョコレートが長方形のガラス皿に一列に並んでいる。


「右からミルクチョコレート、ダークチョコレート、キャラメル、ラズベリー、ピスタチオ。どれでも好きなものをお食べ」


 甘い香りに誘われて、ゴクリと涎を飲み込む。リヒトの顔を見ると、首を傾げながら微笑んだ。


「チョコレートは嫌いかい?」


「いえ……」


 むしろ好きだ。食べ物の中で一番好きと言っても過言ではない。


「安心して。毒は入っていないよ」


 にこりと微笑むリヒト。食べたら駄目だと分かっていながらも、目の前の誘惑には勝てそうにない。アイネは恐る恐るミルクチョコレートに手を伸ばし、口に運んだ。


(美味しい……)


 甘く蕩けるチョコレートを堪能していると、リヒトは嬉しそうにアイネを眺めた。


「チョコレートが好きなのか。琥珀色こはくいろの乙女と一緒だな」


 誰のことを言っているのか分からないが、これ以上話を広げるつもりはない。


 チョコレートは貰ったが、弟になるというのは別だ。お菓子で買収されるほどアイネは軽い女ではない。


「では、私はこれで」


 ベンチから立ち上がると、リヒトにローブを掴まれた。


「まだ話は終わっていないよ」


 逃亡を阻止される。やはりチョコレートだけ貰ってさようなら、というわけにはいかないようだ。アイネは小さく溜息をついてから、椅子に座り直す。


「そもそも、どうして私を弟にしようと思ったんですか? 私は辺境育ちの平民ですよ?」


 理由を尋ねると、リヒトは笑顔を引っ込める。かと思えば、頬を赤らめながら俯いた。様子を伺っていると、蚊の鳴くような声で白状する。


「君は、僕の初恋の人に似ているんだ」


 リヒトは、燃え上がりそうなほどに頬を赤く染めている。青い瞳は僅かに潤んでいた。


(初恋の人に似ている? 男装した私が?)


 理由を聞いても理解しがたい。リヒトは男の人が好きということなのか? そんなこと恐れ多くて聞けるわけがないけど。


「君は、琥珀色の乙女とよく似ている」


「琥珀色の乙女?」


 アイネが繰り返すと、リヒトは小さく頷く。眉を顰めていると、リヒトはチラッとこちらの反応を伺いながら尋ねた。


「少し長くなるけど、聞いてくれるかな?」


 正直聞きたくないけど、嫌と言える空気ではない。リヒトは恥ずかしそうに視線を落としながら続けた。


「琥珀色の乙女と出会ったのは七年前だ。第一王子の誕生日祝いの夜、彼女が庭園に現れたんだ」


 アイネは遮ることなく話に耳を傾ける。


「あの頃の僕は、城の地下に閉じ籠っていたけど、あの日だけは外に出ることを許されたんだ。ちょうど僕が十歳になる日のことだったから、みんなが祝福してくれるに違いないと心躍らせていた。……だけど、パーティーで祝福されるのは第一王子ばかり。僕は誰からも見向きをされなかった」


 それはお気の毒に、と口にしようとしたところ、リヒトは顔を上げてキラキラと瞳を輝かせた。


「そんな時だ。彼女が現れたのは。彼女は腐っていた僕を慰めてくれたんだ。琥珀色に光る花を見せてくれてね」


 既視感のある話が出てきて、アイネは固まる。


 いや、まさかそんなはずはない。勘違いであってくれと願っていると、リヒトは両手を合わせながら、思いを馳せるように目を細めた。


「それだけじゃない。彼女は『お誕生日おめでとう』と言ってくれたんだ。初めてだった。生まれてきたことを誰かに祝福されたのは。あの瞬間、僕は初めて恋に落ちた」


 リヒトは恋する乙女のようにうっとりしている。その一方で、アイネは過去の記憶と結びついて震え上がった。


(それ私だ……。リヒト王子の初恋の相手、紛れもなく私だ……)


 アイネは七年前の記憶を呼び起こす。七年前、アイネは初めてハワード王国を訪れ、王家主催のパーティーに出席した。その時に、泣いていた少年に声をかけた。


 あの時気まぐれで慰めた少年が、まさかハワード王国の第二王子だったなんて。その上、初恋の相手として認識されてしまった。これは一大事だ。


 リヒトは、青い瞳を潤ませながら言葉を続ける。


「もう一度、琥珀色の乙女に会いたい。僕はずっと彼女だけを想っているんだ。七年間、ずっとね」


 七年間という言葉にゾッとする。


 あの時の少年と再会できたのは嬉しい。だけど今は、そんな悠長なことを言っていられない。


「初恋のお相手と会って、どうなさるおつもりですか?」


「お嫁さんにする」


 即答だった。リヒトは青空を閉じ込めたようなキラキラとした瞳をアイネに向けた。


「お嫁さんにして、たくさん可愛がるんだ。あの時は逃げられてしまったけど、今度は逃がさない。どんな手を使っても、繋ぎとめておく」


 綺麗な顔をしながら、とんでもないことを口にする男だ。


 そもそも大国の第二王子が、どこの誰とも知れぬ女と結婚できるはずがない。貴族の結婚など家同士の都合で決められるケースがほとんどだ。大国の第二王子となれば、生まれた瞬間から婚約者が存在している可能性だってある。


「お言葉を返すようで恐縮ですが、素性も知らぬお相手と結婚というのは難しいのではないでしょうか?」


 脳内お花畑の王子様に進言する。するとリヒトは、清々しいほどの笑顔を浮かべた。


「大丈夫。僕には秘策がある。必ず彼女を手に入れて、幸せにしてみせるよ」


 キラキラとした笑顔の背後で、どす黒いオーラが見えた気がした。アイネの本能が、この男は危険だと告げている。


 万が一真実がバレたら、権力や人脈などありとあらゆるカードを使って、婚約を迫ってくるに違いない。そうなれば、魔法学園設立どころの話ではなくなる。


 アイネが慄いていると、リヒトは椅子から立ち上がってにっこり微笑んだ。


「そういうわけだから、君には僕の弟になってほしい」


「どういうわけですか!?」


「勇気を振り絞って初恋の話をしたんだ。君にも琥珀色の乙女を捜す手伝いをしてほしい」


 捜すも何も目の前にいる……なんて絶対に言えない。多分、この男に正体がバレるのが一番マズイ。捕まって、婚約させられて、囲われそうだ。


 そんな中、中庭にいた生徒達がこちらに注目し始めた。


「なんだ? リヒト様が誰かと揉めているぞ」


「あいつ! 今朝の新入生じゃないか!?」


 ギャラリーが集まってきた。リヒトは目立つから学内でもすぐに注目されてしまう。アイネは逃げるに逃げられない状態に追い込まれた。


「アイネ・ブラウン。僕の弟になってくれ」


 目の前に差し出される手、周囲からの好奇の視線、刻一刻と迫る昼休み終了の時間。あらゆる方面から追い詰められていく。


 危機的状況に追い込まれたところで、アイネはさらに厄介な点にも気付いてしまう。


(私が弟になることを拒んだとしても、この男は初恋の相手を捜し続けるはず。万が一、有能な新入生がリヒト様の弟になったら、初恋の相手がアイネ・リデルであることも突き止められてしまうかもしれない。そうなれば、男装して学園に通っていることも芋づる式にバレてしまう……)


 この場でリヒトの誘いを断っても、全てが解決するわけではない。ならばいっそ、自分が弟になって初恋の相手を捜すふりをした方がいい。頑張って捜したけど見つかりませんでした、なんて白々しく言えば諦めてくれるかもしれない。


 彼を騙すことになってしまうのは忍びないけど、背に腹は代えられない。ここは弟という立場を利用させてもらおう。


「分かりました。貴方の弟になりましょう」


 申し出を受け入れた瞬間、リヒトはキラキラと瞳を輝かせた。


「ありがとう、アイネ!」


 勢いのままに手を握られる。突然のことでドキッとしてしまった。リヒトは星を散らしながら微笑む。


「嬉しいなぁ。僕に弟ができるなんて」


 子供のようにはしゃいでいる。無邪気に笑う姿は、ちょっと微笑ましい。


「これからは僕のことをと呼ぶように」


 前言撤回。全然微笑ましくなんかない。


(大国の第二王子をお兄様なんて呼べるはずがないでしょう)


 アイネの気苦労なんて露知らず、ギャラリー達はちらほらと拍手を始める。第二王子が弟を選んだ決定的瞬間を祝福しているのかもしれない。


 まばらな拍手に包まれる中、アイネは途方に暮れていた。

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