第2話 学園都市ロッカベリー
長い汽車の旅の末、アイネはハワード王国の西部に位置する学園都市ロッカベリーにやって来た。
汽車から降りたアイネは、都会的な街並みを前にして呆気に取られている。
(人も建物もたくさん……)
雪深い故郷の田舎町とは何もかもが違う。鋪装された大通りには煉瓦造りの建物が並んでいて、黒いローブをまとった若者が出入りしていた。
大通りの先には、高い塔が聳え立つ豪華な建物がある。宮殿にも似たあの建物こそが、アイネが三年間通う学び舎、フランベル魔法学校だ。
学園に通うのは明日からだ。入学前日の今日は、買い物リストに従って必要なものを揃えることにした。
制服、箒、教科書など必要なものを買い揃えたアイネは、両手に荷物を抱えながら学園の裏手の小道を歩く。
(用事も済んだことだし、寮に向かおう)
フランベル魔法の生徒は、学園都市にある寮で生活をしている。寮は魔力属性ごとに振り分けられており、光属性のアイネはルチアーノ寮に入寮予定だ。
(多分、この辺だと思うけど……)
地図を頼りに歩いていると、目の前をもふもふとした黒いものが過った。
「ナーウ」
気だるげな鳴き声に、アイネは素早く反応する。
フラワーショップの塀に、尻尾の長い黒猫がいた。金色の瞳に整った顔立ち。惚れ惚れするような美形猫だ。
「おいで」
警戒心を解くように優しい声で呼んでみたものの、黒猫はこちらを一瞥するばかり。軽やかな身のこなしで塀から飛び降りると、石畳を歩き出した。
左右に揺れる尻尾を眺めていると、黒猫がチラッと振り返る。「ついてこい」と言われているような気がした。アイネは適度に距離を取りながら、黒猫を追いかけた。
黒猫の先導のもと歩いていると、とある屋敷の前で立ち止まった。
「ナウ」
黒猫は振り返ってアイネを呼ぶと、躊躇いなく門を通過して中庭に向かった。
流石に他人様の屋敷に立ち入るわけにはいかない。追跡を諦めかけた時、ある事に気付いた。
屋敷の入り口には、ルチアーノ寮と表札が出されている。どうやら黒猫がアイネを寮まで連れて来たらしい。
アイネは黒猫の後を追い、中庭を覗く。そこには黒猫のほかに、一人の男がいた。
「おかえり、ラーナ」
光を纏ったような金色の髪をした男が、黒猫に手を差し伸べて甘く微笑む。黒猫は男の手の甲に額を擦り付け、目を細めていた。
猫と戯れる姿は、驚くほど絵になる。それは彼の容姿が整っていることが影響していた。
美しく整った鼻梁。くっきりと刻まれた二重ライン。長くて繊細なまつ毛。肌の色は白く滑らかで、右目の下には小さな泣きぼくろがあった。
(綺麗な人。都会にはこんな美形がいるのね)
門の脇から凝視していると、不意に男と目が合った。青空を閉じ込めたような瞳に見つめられ、胸の奥が締め付けられる感覚になる。
(なんだろう。あの瞳、どこかで見たような……)
既視感を覚えながらも、アイネは後退りする。気安く話しかけてはいけない存在のような気がした。
男は何か言おうと唇を動かしたが、言葉を聞く前に軽く会釈をして立ち去った。
屋敷の玄関まで逃げてから、呼吸を整える。追ってこられたらどうしようかと思ったが、その心配はなかった。
(とりあえず、寮に入ろう)
心拍数が正常に戻ったのを確認してから、アイネは扉を押した。
「こんにちは」
扉を開けた瞬間、アイネは足を止める。玄関ホールで筋骨隆々の三人組の男が
男達は床に跪きながら、栗色の髪をした可愛らしい女性に手を差し伸べる。
「エレーナ嬢! 俺と付き合ってくれ!」
「いいや、俺とだ!」
「僕とだ!」
三人から一斉に告白されたことで、女性は苦笑いを浮かべる。
「あはは~、ムリムリ、ごめんね~。私、筋肉質な男よりも華奢な美少年の方が好みなの~。あ、まさにあんな感じの子~」
女性はアイネを指さす。ワンテンポ遅れて、筋骨隆々の男達からギロリと睨まれた。
(なに? 怖いんですけど……)
わけが分からず後退りをした時、アイネを押しのけるようにして赤髪の男が乱入してきた。
「お前ら、エレーナにちょっかいかけんな!」
「ああ? んだよ、このチビ!」
「チビって言うなぁ!」
赤髪の男は、女性の前に飛び出して威嚇する。チビと称されるだけあって、三人組の男と比べると小柄だった。アイネよりは少し背が高いけれど。
睨み合う男達を前にして、エレーナと呼ばれた女性はパンパンと手を叩いて喧嘩を中断させる。
「はいはい。喧嘩しない。こっちは忙しいんだから、散った散ったー」
シッシッと追い払うと、三人組の男は肩を落としながら外に出て行った。男達を見送った後、エレーナは赤髪の男にも視線を向ける。
「ルイスも何しに来たの?」
「えっと、何しに来たんだっけ? ……あ、そうそう! 見ろよ、魔法学園の制服! カッコいいだろ!」
赤髪の男は両手を広げて、服を見せつける。紺地のブレザーに臙脂色のネクタイ、緑色のタータンチェックのスラックス。フランベル魔法学校の制服だ。
グレーの瞳を輝かせる赤髪の男とは対照的に、エレーナは白けたように目を細める。
「はいはい。カッコいい、カッコいい。用件がそれだけならさっさと帰ってねー」
エレーナは男の背中を押して、屋敷から追い出そうとする。赤髪の男は「そんな邪見にすんなよー」と文句を言いながらも屋敷から出て行った。
騒がしい人達がいなくなったところで、エレーナは明るい声でアイネに話しかける。
「ごめんね、騒がしくて。今日から入寮する新入生だよね?」
「はい。アイネ・ブラウンです」
「私はエレーナ。よろしくね」
にこっと微笑む姿は、太陽のように眩しい。先ほどの男達が夢中になるのも分かる。
挨拶を済ませるとエレーナは、屋敷の奥に声をかけた。
「お母さーん! 新入生来たよー!」
「お母さん?」
「うん。ルチアーノ寮は私達親子で管理をしているの。お母さんが寮母で、私がそのお手伝い。あとは今年度から監督生になったリヒト様が生徒達の指導をするんだけど、今はお留守のようね」
「監督生?」
聞き慣れない言葉に首を傾げていると、エレーナが補足をした。
「監督生は生徒達を監督して、罰則を与える権限を持っている人。各寮に一人ずついるの。リヒト様はお優しいから大丈夫だと思うけど、監督生に目を付けられると厄介だから気を付けてね」
要するに生活指導係のようなものか? 目を付けられないためにも、あまり関わらない方が良さそうだ。
監督生のことはさておき、寮に女性がいるのは心強い。男性しかいない環境で生活することを覚悟していたから、女性がいるだけで安心感があった。
しばらくすると、屋敷の奥からふくよかな中年女性がやって来る。目尻にシワを寄せながら朗らかに微笑み、「まあまあ、いらっしゃい」と歓迎してくれた。一目見ただけで人の良さが伝わって来る。
「私は寮母のエマだよ。よろしくね…………って、んん?」
エマは眉を顰めながらアイネに近付く。上から下までじっくりアイネを観察すると、あんぐり口を開けた。
何事かと不思議に思っていると、エマはアイネの腕を引っ張って食堂に連行した。
「どうしたの、お母さん?」
エレーナが後を追ってくる。するとエマは目を丸くしながらアイネを指さした。
「どうしたも、こうしたもないよ。貴方、女の子じゃない」
エマの指摘でアイネは固まる。
(なぜバレた……)
寮に着いて早々にバレるなんて予想外の展開だ。背中に冷たい汗をかきながらも、アイネは冷静を装う。
「違います」
ここで認めるわけにはいかない。男だと言い張ることにした。
「いやいや、上手に男装しているけど女の子でしょう?」
「いいえ、男です」
「嘘おっしゃい! おばちゃんの目は誤魔化せないよ!」
「嘘ではありません」
しばらく同じような押し問答を繰り返したが、アイネがあまりに強情だったせいかエマの方が根負けした。
「認めないつもりね。まあいいわ。どういう経緯でここに来たのかは知らないけど、学園側が入学を認めたのなら、寮母の私がとやかくいう筋合いはないからね」
ひとまず追い出される展開にはならなくて良かった。安堵から小さく溜息をついていると、エレーナがジーっとこちらを見ていることに気付いた。
「……なにか?」
言いたいことは山ほどあるだろう。だけどエレーナが口にしたのはたったの一言だった。
「これからよろしくねっ!」
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