第1話 男装令嬢は意思を曲げない

 夢を見た。幼い頃の大切な思い出が夢として蘇った。


 あの日の夢を見たということは、そろそろ覚悟を決めろと天からお達しが下ったのかもしれない。アイネは寝台から起き上がり、琥珀色の髪をかき上げた。


 仕立ての良い紺地のワンピースに着替え、琥珀色の髪を結い上げたアイネは、父の書斎へ向かう。


「お父様、入ってもよろしいでしょうか?」


 ノックしてから声をかけると、「入れ」と端的な声が聞こえた。扉を開けると、書斎机の上に書類を広げて、事務仕事をしている父がいた。


 仕事中だから、あまり時間を取らせるのは忍びない。アイネは単刀直入に伝えた。


「私、フランベル魔法学園に通って魔法の勉強をしてきます。卒業後は、性別問わず誰でも通える魔法学校を設立します」


 父はペンを走らせる手を止める。十秒近く置物のように固まった後、左手で眉間を押さえた。


「働きすぎか? 幻聴が聞こえたようだが……」


 娘の突拍子のない発言に戸惑う父。アイネは書斎机の前に立ち、もう一度はっきり伝えた。


「幻聴ではありません。フランベル魔法学校に通うと申したのです」


 父はゆっくりと顔を上げる。十秒間きっかり見つめ合うと、冷静な声色で指摘された。


「フランベル魔法学園は、魔力を持つ男子のみが通える寄宿学校だ」


「ええ。存じ上げております」


「私はお前のことを、男ではなく女として育てたつもりだ」


「ええ。私も自分のことは女だと自覚しております」


「それなら、どうしてそういう発想に至る?」


「魔法を極めて、ゆくゆくは誰でも通える魔法学校を設立したいからです」


 父は再び黙り込む。あまりに突拍子のない発言に、脳内ですぐに処理できないようだった。


 父が戸惑うのも無理はない。フランベル魔法学園は、大陸で唯一存在する魔法学校で、十五歳~十八歳の魔力を持つ男子のみが通う資格がある。


 大陸の最北端にあるローリエ王国に住まう伯爵令嬢アイネ・リデルは、魔力を持つという条件は満たしているものの、女であることから学園に通う資格はない。


 もちろんアイネだって、そんなことは百も承知だ。だけど、なんの策なく申し出ているわけではない。


「男のふりをして、学園に通おうと思います」


 女には通う資格がない。ならば男に扮して通えばいい。至ってシンプルな解決方法だ。


 アイネの言葉を聞くと、父はようやく娘がとんでもない計画を企てていることに気付く。深いしわの刻まれた顔が、みるみる赤く燃え上がった。


「馬鹿なことを言うな! 許可できるわけがないだろう!」


 ダン、と書斎机に拳が叩きつけられる。大きな物音と怒号が飛んできても、アイネは怯むことはなかった。二つ年下の妹、リリアは「何事?」と書斎を覗き込んだ。


 父から反対されることは想定済みだ。男子のみが通う魔法学園に、おいそれと送り出す親などいない。それでもアイネは引かなかった。


「私は常々思っていたのです。女は魔法教育を受けられないなんておかしいです。女だって魔法省で働いたり、子ども達に魔法を教えたり、魔術騎士団に入団したり、色々な選択肢があっても良いはずでしょう?」


 アイネは聡明さの滲み出るエメラルドグリーンの瞳で父に訴えた。


「フランベル魔法学園に通うというのは、相談ではなく決定事項です」


 きっぱりと言い切る娘を見て、父は再び激怒する。


「何が決定事項だ! 勝手なことを言うな! 男のふりをして学園に通うなんて、絶対に許さないからな。そんなことが世間に知られれば、リデル家の信用は失墜する」


「ええ。家の信用問題に関わることも承知しております。なのでリデル家の子息としてではなく、平民と身分を偽って入学します。それなら家に迷惑をかけることもないでしょう?」


「性別だけでなく身分も偽るつもりか? 笑わせるな! 大体、寮での生活はどうする? 三年間も隠し通せるはずがないだろう!」


「上手くやります。ご心配には及びません」


「無理に決まっているだろう!」


 お互い一歩も引かずに睨みを利かせる。父は領地では頑固者と知られる男だ。説得するのは容易ではない。


 しかしアイネだって負けてはいない。昔からやると決めたら誰に何と言われようとやり遂げる女だ。頑固者の父の血は、しっかりと受け継いでいた。


 怒りで顔を真っ赤にする父と、涼し気な顔で主張するアイネ。妹のリリアは「喧嘩やめよ?」とびくびくしながら仲裁に入った。しかし二人の争いが収まることはなかった。


 結局、アイネの進路を巡る争いは、数ヶ月にも及んだ。そんな長きに渡る争いも、アイネの一言で終止符を打つこととなる。


「これは、今は亡きお母様の願いでもあるのですよ?」


 その言葉で、父の顔色が変わる。


「なんだと?」


「生前、お母様は仰っていました。魔法学園に通えたら、箒で空を飛ぶこともできたのかしら、と」


 アイネの母、アイリは光の魔法使いの加護を受けていたが、魔法を使いこなすことはできなかった。


 使えるのは、手元に光の花を宿すことだけ。その魔法も、子どもを泣きやませる時と、ランプ替わりに手元を照らすくらいしか役に立たなかった。


 アイネの母も、魔法を自由に使えたらと願う女性の一人だ。女性でも通える魔法学園があれば、迷わず通っていたことだろう。


 母の話を引き合いに出すと、父は強く反発できなくなる。父は仕事よりも、妻を優先させる愛妻家だったからだ。


 それだけではない。魔力を持たない父は、光の花を咲かせる母の姿に魅了されて恋に落ちたのだ。母が生きていた頃、こっそり教えてもらった。


 ぐぬぬ……と押し黙る父。アイネは勝ちを確信しながら父を見下ろした。


 しばらく考え込んでいた父だったが、ついに匙を投げられた。


「勝手にしろっ!」


 親子バトルに勝利したアイネは、完璧な笑顔を作ってみせた。


「ええ。勝手にさせていただきますわ」


~❀~❀~


 父を説得してから、すぐに入学準備に取り掛かった。


 フランベル魔法学校に通うには、男のふりをしなければならない。手始めに、腰まで伸ばした琥珀色の髪を切ることにした。


 庭先ではさみを握り、ジャキンと肩まで髪を切り落としたところ、妹のリリアに見つかって全力で止められた。


「お姉様やめてぇぇぇ! 国宝級の美髪が失われるなんて耐えられないわぁぁぁ!」


 短髪にして襟足は刈り上げてしまおうかと考えていたが、妹から泣きながら止められて断念した。頑固者のアイネといえど、妹に泣かれたら強くは出られない。


 結局、中途半端に切り落とされた髪は、リリアに綺麗に切り揃えてもらった。全体は丸みを帯びたショートカットに整え、サイドのおくれ毛だけ肩上まで残した。


 なぜサイドだけ残したのかと尋ねてみると、リリアは「こだわりですの!」と胸を張って答えた。


 アイネは中性的な顔立ちをしていることもあり、多少髪が長くても性別を偽ることは容易い。


 シャープな骨格に、アーモンド形の切れ長の眼もと。エメラルドグリーンの瞳からは聡明さを感じさせた。


 試しに燕尾服に袖を通してみると、美しき令嬢は中性的な美少年へと姿を変えた。


「まあっ、なんて麗しい美少年なの?」


 リリアはじゅるりと涎を啜りながら目を輝かせる。リリアの言う通り、アイネの男装はなかなか様になっていた。


 あとは男らしい喋り方や立ち居振る舞いを習得する必要があったが、それは数日の特訓で身についた。


 問題となるのは体格だ。アイネは一般的な女子より身長が高いものの細身だった。男子と比べたら体つきは頼りない。


 しかし、そんな欠点もローブで身体を隠してしまえばカモフラージュできた。ついでに補正下着を着用すれば、体型もカバーできる。


 その後も粛々と入学準備を進めた。


 学園に提出する入学関連の書類には葡萄農家の息子と記入して提出した。名前は、アイネ・リデルからアイネ・ブラウンと偽って。


 貴族の子息ならまだしも、平民の倅の身元をわざわざ調査するような暇人はいなかったようで、アイネの入学はあっさり認められた。


 長い冬を越えて雪が溶け始めた頃、アイネは屋敷を旅立った。


「行ってきます」


 大きなトランクケースを持ったアイネは、堂々とした佇まいで挨拶する。見送りに来たのは、妹のリリアただ一人だった。


「お姉様、頑張ってくださいね!」


「うん、頑張るよ。家のことはよろしくね」


「はい! お任せください!」


 胸を叩いて返事をするリリアを見て、アイネは小さく微笑んだ。


 結局、父は見送りには来てくれなかった。だけど入学金と三年分の学費、さらには寄付金を学園に支払ってくれたことをアイネは知っている。勝手にしろと言いながらも、必要な援助はしてくれていた。


「ありがとうございます」


 アイネは二階の書斎を見上げる。父への感謝の言葉を告げてから、故郷を旅立った。

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