男装令嬢は魔法を極めたいだけなのに、初恋をこじらせた監督生に捕まりそうです

南 コウ

プロローグ

「貴方、泣いているの?」


 星が瞬く夜、王宮庭園のガゼボで黒いローブを被った人物がうずくまっていた。ベンチの上で膝を抱え、しゃくり上げるように身体を震わせている。


 顔は見えないけれど、背格好からして十歳前後だろうか? 八歳になるアイネよりも少し年上に見える。


「泣いてなどいない」


 返ってきたのは少年の声だ。泣いていたことを指摘されたのが不服だったのか、ムキになって否定した。


「そう……」


 泣いているのは明白だったが、それ以上指摘するのはやめておいた。


 穏やかな風が通り抜ける。庭園の草木が揺れ、アイネの琥珀色の髪もふわりと広がった。


「隣、座ってもいいかしら?」


 少年の隣を指さして尋ねたものの返事はない。断られなかったのだから合意と判断し、アイネはベンチに腰掛けた。


 先ほどまでの喧騒が幻だったかのように、ここだけはしんと静まり返っている。世界から二人だけが切り離されたようだ。


 しばらくは言葉を発することなく星空を見上げていたが、退屈になって少年に話しかけてみた。


「どうしてこんな所にいるの? 今日は王太子殿下のお誕生日祝いなのでしょう? とても楽しいバーティ―だって聞いたけど」


「楽しいものか。こんなパーティー最悪だ。部屋に閉じ籠っていれば良かった」


「あら、何かあったの?」


 アイネが尋ねると、少年は言葉に詰まらせながらも事情を明かした。


「みんな、お兄様のことしか見ていない。僕のことなんて、いないもののように、扱うんだ」


 再び涙が込み上げてきたのか、最後の方は声が震えていた。少年は膝に額を預けながら、消えそうな声で呟く。


「僕だって、今日、誕生日なのに……」


 泣きながら蹲る少年は、泣き虫の妹とよく似ている。アイネは妹を泣き止ませる時と同じように、彼を慰めてみることにした。


「ねえ、こっちを見て」


 少年は顔を上げる。アイネはベンチから飛び降りて、ガゼボの中央に立った。


「なんだ?」


「いいから、見てて」


 アイネは胸の前で手を組み、目を閉じる。精神を研ぎ澄ますと、胸の奥で温かい熱が宿った。


 熱が溜まったタイミングで、花びらを散らすように両手を開く。その瞬間、眩い光に包まれた。


 少年は眩しさから目を背ける。明るさに目が慣れてきた頃に、視線を戻した。


 光の花が咲いている――。


 マーガレットのような形をした琥珀色の花が、アイネの頭上で輝いている。光の花は、真っ暗だった庭園を明るく照らした。


 夜露に濡れた薔薇、水音を立てる噴水、夜風に揺れるブランコ。暗闇に包まれていた庭園に光が差した。得意げに微笑むアイネの顔も、はっきりと見える。


「凄い……。光魔法か?」


「そう。よく分かったね」


「分かるよ。僕だって光の魔法使いの加護を受けているから」


「そうなの?」


 目の前の少年も魔力を宿しているのは意外だった。隣に座っている時は、ほとんど魔力を感じなかったから。


「魔力があるなら、貴方だってできるんじゃないの?」


「無理だ。僕は魔力も弱いし、中途半端だから」


「そう。貴方ができないって言うのなら、できないのでしょうね」


 光の花は、次第に散ってゆく。花びら一枚一枚が地面に落ち、最後にはすべて消えていった。


 庭園は再び暗闇に包まれる。それでも少年の心に宿った光は、消えることはなかった。


「こんなに凄い魔法が使えるなんて、君は将来優秀な魔法使いになるに違いない」


 少年は熱の籠った口調で伝える。しかしアイネは、眉を下げながら首を左右に振った。


「無理ね」


「どうして?」


「貴方だって知っているでしょう? 女の子は魔法学園には通えないの。だから魔法の勉強をすることはできない。私が使えるのは、お母様から教わったこの魔法だけ。今も、これからも、ね」


 悲壮感を滲ませながら俯いた後、無理やり笑顔を作って心の内を明かした。


「私は、貴方が羨ましい。男の子なら魔法学園に通えるものね。魔法学園に通ったら、素敵な魔法がたくさん使えるはずよ。箒で空を飛ぶ魔法も、傷を癒す魔法も、チョコレートをたくさん作る魔法も」


「最後のは、どうだろう?」


 少年は、ふふっと吹き出すように笑った。アイネは目を細めながら、言葉を続ける。


「貴方も、今はあまり幸せじゃないのかもしれないけど、この先はきっと素敵な未来が待っているわ。学園でたくさんお勉強をしたら、幸せになれる魔法も使えるはずよ」


 少年を鼓舞する言葉を伝えているはずなのに、アイネの表情は憂いを帯びていた。


 少年は膝を抱えていた腕を解く。ベンチから脚を降ろすと、ゆっくり立ち上がってアイネの正面にやってきた。


 身長はアイネよりも少し高い。握りこぶし二つ分くらいだろうか?


 アイネは目の前の少年を見上げる。ローブを被っているからはっきりとした顔までは分からないが、青空を閉じ込めたような美しい瞳をしていることだけは分かった。


 見惚れていると、少年はアイネの手を取る。両手を包みこむように触れられて、胸の奥が狭まる感覚になった。ぬくもりを感じていると、少年は強い口調で訴える。


「君だって使えるよ。幸せになる魔法」


 思いがけない言葉をかけられて、アイネは目を丸くする。青空のような澄んだ瞳から目が離せなくなった。


「君だって、魔法の勉強をする権利がある。無理なんて言うな」


 励まされているのだろうか? だけど、そんなものは慰めにもならない。


「無理よ。私は魔法学園には通えないのだから。お母様が言っていたわ。女は結婚して家庭を守るものだから、魔法なんて学ぶ必要はない。そういう呪いにかかっているの。大昔からね」


 諦めたように視線を落とすアイネを見て、少年は手を握る力を強めた。


「そんな呪い、さっさと解いてしまえばいい」


 アイネは顔を上げる。青空のような澄んだ瞳から目が離せなくなった。


 閉ざされていた扉が開いたような気がした。小さな檻の中で膝を抱えていたところを、彼に救い出された。


 開かれた扉からは眩しいほどの光が差している。あまりの眩しさに目を細めながらも、アイネは立ち上がって扉の外へ駆け出した。


 呪いが解かれた瞬間だった――。


「ふふふっ」


 アイネは肩を震わせながら小さく笑う。


「私ったら、一体何に捕らわれていたのかしらね」


 心が軽い。今ならどこへだって行けそうな気がした。


 アイネは握られていた手を解く。くるりと踵を返すと、庭園を走り出した。


 黄色いドレスの裾が揺れる。薔薇のトンネルの前まで走ると、アイネは立ち止まって振り返った。


「ありがとう。貴方のおかげで呪いが解けたみたい」


 アイネが逃げ出してしまったことに驚いているのか、少年は呆然と立ち尽くしている。その姿がおかしくてクスクスと笑った。


 すると宮殿から聞き慣れた声が聞こえてくる。


「おーい、どこにいるんだー」


 お父様の声だ。大人達の話が退屈過ぎて、こっそり抜け出してきたのがバレてしまったらしい。


「私、戻らないと」


「ああ、ちょっと」


 少年の呼び止めに応じることなく、アイネは走り出す。ドレスの裾に引っかからないように走っていると、大事なことを言いそびれていたことに気付いた。


 アイネは大きく手を振りながら、よく通る声で叫んだ。


「お誕生日おめでとう」

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