一〇章 地下の大学者

 連れて行かれた先はなんと、地下の大空洞。巨大なトンネルが途中でいくつにも枝分かれした巨大な空間で、見ているとなかに吸い込まれていきそう。

 壁も天井も一面がむき出しの冷たい岩で囲まれていて、地面にはもちろん、毛布ひとつしかれていない。天井からは地下水がポタポタとたれる音。

 ひええ、こんな暗い場所でこんな音を聞かされたら気が狂ってしまいそう。

 冗談じゃないわよ、こんな場所なら牢屋の方が百倍マシ! こんなひどいところに閉じ込められなくちゃならない、どんな悪いことをあたしがしたって言うのよ!

 「町長に襲いかかったことかな」と、兄さま。

 あれは、町長が戦争だの皆殺しだの言うからでしょうがあっ!

 「さあ、ここからはお前たちだけで行け」

 あたしたちを連れきた衛兵えいへい隊長がそう言った。

 「この奥にズンダ博士がひとりでいる。変わり者だが、お前たちなら話も合うだろう。いいなぐさめとなるはずだ」

 なによ、なぐさめって。

 だいたい、ズンダ博士って何者なのよ?

 隊長はあたしの問いに答えることなく、去って行った。

 あたしの目の前で重々しい扉が閉められる。ゴ~ンと、扉を閉めた後の音の余韻が洞窟内に響き渡る。

 それが静まった後には……所々かけられたランプの暗い光だけがともる薄暗い空間。ひんやりとした地下の空気が体を包む。聞こえるものと言ったらポタポタとたれる地下水の音だけ。

 ゾワッとあたしの体を恐怖が走り抜ける。

 ちょ、ちょっとお、これ、マジで怖いんですけど!

 兄さま、兄さまはどこ行ったのよ⁉

 こんなときは、かわいい妹を抱きしめて『大丈夫。おれが守ってやる。心配するな』とか言うのが兄の役目ってものでしょお!

 あたしはあたりをキョロキョロ見回した。兄さまの姿は……ない。ぶわっ、と、涙があふれてきた。そのときだ。

 「ふむ」

 兄さまの声!

 あたしは声のした方に文字通り、飛んでいった。すると、兄さまは壁際に立って、壁面へきめんをジッと見つめていた。

 この腹黒はらぐろ超絶ちょうぜつ陰険いんけん根性こんじょうがり口悪くちわる野郎やろう! かわいい妹を放ったらかしにしておいて、なにやってんのよ⁉

 あたしは素早く兄さまの隣に並ぶと、服のすそをギュッとつかんだ。さあ、もう絶対、逃がさないんだからね!

 「ちょっと、兄さま! こんなときぐらい、兄らしく、妹をなぐさめるとかしたらどうなのよ⁉」

 兄さまはあたしの叫びになんて耳もかさず、一心に壁面へきめんを見つめつづけている。そして、感心した口調で言った。

 「これは、なんとも見事なものだ」

 「へっ?」

 言われてはじめて、あたしは気付いた。洞窟の壁一面に見事な彫り物がされていることに。人に動物、木々や建物、さらには、何がなにやらわからない記号にいたるまで、それこそ隙間もないほどビッシリと壁一面を埋め尽くしている。

 「なにこれ……。すごい」

 あたしでさえ思わず恐怖も不安も忘れ、壁一面の彫り物に見入ってしまった。

 兄さまは感服したように口にした。

 「どうやら、この町の歴史を描いた絵物語のようだ」

 「この町の歴史を?」

 「そうだ。り、さいをうがち、見事に表現されている。特筆とくひつすべきは文字ひとつ使わず、すべてを絵で表現していることだ。これなら、言葉がわからなくても町の歴史が一目でわかる」

 「言葉がわからなくてもって……なんで、そんなことをする必要があるの?」

 町の人たち、あるいは町を訪れた人たちに見せるためのものなら、そんな必要ないはずだよね?

 「おそらく、何百年、何千年と言った後の人々に伝えるためのものだろう」

 「何千年⁉」

 あたしは飛びあがった。そんなずっと先にまで伝えようだなんて……。

 「まったくもって見事だな。その一語に尽きる。これだけの物を彫るには五年や一〇年ではきかないだろう。ズンダ博士とやらがこれを彫ったと言うなら、もう何十年もここに住んでいることになるな」

 何十年もって……ズンダ博士って、そんなに長い間、こんなところに閉じ込められているって言うの? いったい、なにをしでかしたのよ?

 「なんじゃ、騒々そうぞうしい」

 いきなり……場違いなほど呑気のんきな声がした。あたしはびっくりして飛びあがった。暗い洞窟の向こう側。淡いランプの明かりに照らされた暗闇のなかから、ひとりの小柄な人影が現れた。真っ白な長い髪に胸まで届く白いひげ。昔見た山水画さんすいがのなかにえがかれた仙人せんにんみたいな姿のおじいさんだった。

 「あなたがズンダ博士ですか?」

 兄さまが尋ねた。

 おじいさんは偉そうにうなずいた。

 「さよう。わしこそは世界一の碩学せきがく、ズンダ博士じゃ」

 碩学せきがく? 碩学せきがくって『物知り』って意味よね? 世界一の物知りって……にぎり山さんもそう言っていたけど、この国の人って『世界一』を名乗るのが趣味しゅみなわけ?

 「ほうほう。お前さんたちはどうやら、一般人のようじゃな。衛兵えいへい以外のものがここに来るなどはじめてのことじゃ。で、お前さんたちはいったい、どこの誰なのかね?」

 「あ、あたしはバゲット、こちらはブリオッシュと言います。あたしたちは……」

 あたしはここにいたるまでの経緯けいいを簡単に説明した。ズンダ博士はうんうんとうなずいたあと、吐き捨てるように言った。

 「戦争に反対したものを送り込むとは、あの小僧こぞうっ子らしい単純さじゃな」

 「小僧こぞうっ子って……。あの六〇代のおじさんが?」

 「ふん。六〇代がなんじゃ。わしは今年で一二〇歳じゃ」

 「一二〇歳⁉」

 うそでしょおっ⁉

 人間ってそんなに長生きできるものなの?

 「ふん。年齢がなんじゃ。人間、気合いさえあればいくつになっても若々しくいられるのじゃ」

 そ、そう言うものなの?

 でも、たしかにこのおじいさん、髪やひげこそ真っ白だけど、背筋はピンとしてるし、肌もツヤツヤ。声も張りがあって元気いっぱい。もしかしたら、本当にそういうものなのかも……。

 「そして、アズ・キーの家庭教師を務めていた身。そのわしから見れば、アズ・キーなぞ、ほんの小僧こぞうっ子じゃわい」

 ズンダ博士はそう言い捨てて、偉そうにふんぞり返った。

 「どうせ、同じく戦争に反対したものなら、わしと気が合うとか思ったのじゃろう。あやつらしい、あさはかさよ」

 「同じく、と申されるところを見ると、あなたも戦争に反対なされたのですか?」と、兄さま。

 「当たり前じゃい。あんなくだらないものはないからの。反対して以来、ずっとここにおる」

 戦争に反対して以来? ずっと? 自分の家庭教師だった人を? しかも、こんなお年寄りを? そんな理由でこんなところにずっと閉じ込めておくなんて!

 あのアズ・キーのやつ! 人のよさそうな顔してなんてひどい奴よ!

 あたしはズンダ博士につめよった。

 「ズンダ博士、お願いがあります!」

 「なんじゃ、いきなり?」

 「戦争に反対したと言うなら、あたしたちと思いは同じ。なんとしても戦争をやめさせましょう。そのために協力してください!」

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