二章 お姫さま×執事=妹×兄
「いやったらいや! あたしは絶対、いやだからね!」
王宮のなかの一室。あたしの部屋で、あたしはぷんすか怒りながら
そんなあたしの隣には、当然のようにブリオッシュが立っている。わざわざティーポットとカップをもって、滝のように高くから――それでいて、しぶきひとつはねないぐらい
「やれやれ。なんとも、ご機嫌斜めですね、姫」
言葉ばかりは気に懸けているように言っているけど……目が笑ってるのよ、目が! あんた絶対、楽しんでるでしょ⁉
「当たり前でしょ、世界征服の旅に出ろだなんて! 冗談じゃないわ!」
足首まで埋まるぐらい長い毛のついたふかふかの
……いや、この
『ああ、おいたわしや、バゲット姫! かような怪我をなされた姫さまを歩かせるわけにはまいりませぬ』
とかなんとか言って
「まあ、とりあえず落ち着いてください。さあ、紅茶を一杯」
って、ブリオッシュは紅茶のカップをすすめてくる。あたしは反射的にカップを受けとった。口元に近づけるとかぐわしい香りが鼻をくすぐった。一口、飲む。
……おいしい。
くやしいけど、おいしい。こいつのいれる紅茶は本当に絶品。あたしの全人生を通して、こいつのいれた紅茶よりおいしい飲み物には出会ったことがない。
「そんなに征服の旅に出るのは、おいやですか。バゲット姫」
「当たり前でしょ! 誰が征服の旅になんか……」
と、あたしはぷんすか怒る。
『征服の旅』と言ったってもちろん、武力で制圧しようとかそんなんじゃない。戦争ばっかりやってた野蛮な前時代とはちがうんだから。
いまの時代の『征服』って言うのは、
『我が国の法律はこれこれこの通り。ご
って、説得して、めでたく
つまりは、『征服の旅』って言うのは『営業してこい』ってことね。
平和的でけっこうだとは思うけど、あたしがそれをやりたいかどうかは別問題。あたしはそんなことよりやりたいことがある!
「あたしは望んで王族に生まれたんじゃない! あたしは王女として、王宮の奥にかしこまってお勉強やら習い事やらするより、普通の女の子として友だちと遊んだり、女子会したり、ボーイフレンドを作ったりして過ごしたいの! それなのに征服の旅なんかに出て、二度とない青春を塗りつぶされるなんてまっぴらごめんよ!」
「そんなに、おいやですか?」
と、ブリオッシュ。あたしは大地も割れよとばかりにうなずく。
「絶対にいや!」
「わかりました」
って、ブリオッシュ。それからきっぱりと言った。
「ならば、なおさら出発しましょう」
「なんで、そうなるのよ!」
「
この
「いやよ、絶対、いや! あたしは絶対、行かないからね! どうしてもって言うならハンストして死んでやる!」
あたしが叫ぶとブリオッシュは大げさな身振りで
実はこいつ、あたしの
だいたい、おかしいのよね。こいつ、いつでもあたしの側にいて、どこに隠れてもすぐに見つけられるし、どこに逃げても必ず先回りされている。もしかしたらこいつ、二、三人いるのかも……。
って、それはないわよね。いくらなんでもこんな
いや、でも、もし、本当にいたら……。
……やめよう。想像するには恐ろしすぎる展開だ。
とにかく、こいつは役者としても大人気。『ブリオッシュ出演!』の報が流れるやいなや、国中の女の子――と、ある種の
『ブリオッシュ出演の日は国中から女の姿が消える』
とまで言われている。
ブリオッシュは劇場で鍛えた
「ああ、なんと言うことだ。我らが姫さまが、かような身勝手な人物になられたとは。姫の食べるものも、お召し物も、そのすべては民の働き。民が汗水流して働き、おさめた税金によって買われているもの。それらを汗ひとつかかずに受けとっておきながら、国民のためにお返しひとつする気がないとは」
……うっ。
それを言われると……。
「で、でもでも、王族として生まれたのは、あたしの意思じゃないんだし……あたしは普通の家の子がよかったの! それに、跡継ぎなら兄さまがなればいいじゃない! 一〇以上も年上だし、男だし、第一子なんだし……」
ん?
兄さま?
そう。実はこいつ、なにを隠そう――いや、誰も隠してないけど――あたしの実のお兄さま。と言っても、同じなのはお父さまだけで、お母さまはちがう。
なんでも、お父さまがまだ若い頃にメイドに手をつけて産ませた子供だそうだ。そのせいで正規な王族としては認められていなくて、王位
おまけに超優秀。子供の頃から文武両道で、飛び級で進学を重ね、わずか一二歳でパン王国の最高学府、真の秀才しか入ることが許されないと言われるロイヤル学問王宮院に入学。しかも、同時にパン王国最高の騎士養成所、
それだけでもメチャクチャすごいけど、さらにとんでもないのは、あまりの出来の良さに自信をなくしてノイローゼになった講師が多数……という事実。おかげでロイヤル学問王宮院も、
優秀すぎるのも、はた迷惑なものなのかも……。
それはともかく、こんなメチャクチャ優秀なお兄さまがいるんだから、あたしみたいに普通で、平凡で、どこにでもいる『ただの女の子』が、王位を継がなくてもいいはずでしょ。兄さまが継げばいいのよ!
「そうよ。兄さまが次の国王になればいいのよ。兄さまが一声あげたら、国中の女の子が味方になるんだし。王位を得るなんて簡単でしょ」
「なにを言っている。そんなことができないのは、わかっているだろう」
兄さまの口調がかわった。あたしと兄さまは形式上『主人と使用人』だから、人前では、あたしは『ブリオッシュ』と呼ぶし、兄さまもあくまで使用人としてふるまう。でも、ふたりのときはやっぱり『
「おれは決して、王にはなれないんだよ」
うっ。そりゃあ、兄さまはお手つきの子として、王族としては認められていないし、王宮暮らしでも、いろいろと差別されてつらい目にあったらしいけど……。
「自分が王になったら、
そっちかい!
こいつに同情したのはあたしの人生、最大のまちがいだったわ!
「まあ、そう
「兄さまがそそのかしたの⁉ ひどい! あたしが王女なんていやがってることは知ってるのに。あたしをイジめて、そんなに楽しいの⁉」
「イジめるなんて人聞きの悪い。すべては妹の成長を望む兄の愛。我ながら立派なものだと思うぞ」
ああ、もう!
やっぱりこいつ、
「とにかく! あたしはいやなの! 絶対、ぜったい、征服の旅になんか出ませんからね!」
あたしはそう叫んで兄さまを部屋から追い出した。
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