二章 お姫さま×執事=妹×兄

 「いやったらいや! あたしは絶対、いやだからね!」

 王宮のなかの一室。あたしの部屋で、あたしはぷんすか怒りながら絨毯じゅうたんの上を行ったり来たりしていた。

 そんなあたしの隣には、当然のようにブリオッシュが立っている。わざわざティーポットとカップをもって、滝のように高くから――それでいて、しぶきひとつはねないぐらい丁寧ていねいに――紅茶をそそいでいるのが、なんともいやみったらしい。

 執事しつじとはいえ、花も恥じらう乙女の部屋に男が出入りするなんて……とも思うけど、こいつは特別。なにしろ、こいつは、あたしの生まれたときからの執事しつじで、あたしのおしめをかえるのも、お風呂に入れるのも全部ぜんぶ、こいつがやっていた(と、こいつは言っている)。いまさら部屋にいるぐらいでどうこうなんて思わない。

 「やれやれ。なんとも、ご機嫌斜めですね、姫」

 言葉ばかりは気に懸けているように言っているけど……目が笑ってるのよ、目が! あんた絶対、楽しんでるでしょ⁉

 「当たり前でしょ、世界征服の旅に出ろだなんて! 冗談じゃないわ!」

 足首まで埋まるぐらい長い毛のついたふかふかの絨毯じゅうたんも、このときばかりはイバラの森みたいに感じられた。いや、いっそ、本当にイバラの森だったらいいのに。そうしたら足じゅう怪我して、世界征服の旅になんか出なくてすむもんね。

 ……いや、この腹黒はらぐろ超絶ちょうぜつ陰険いんけん意地悪いじわる根性こんじょうがり口悪くちわる野郎やろうのこと。そんなことになれば、

 『ああ、おいたわしや、バゲット姫! かような怪我をなされた姫さまを歩かせるわけにはまいりませぬ』

 とかなんとか言って輿こしに乗せて、それをいいことにあっちこっち引きずりまわすかも知れないけど。

 「まあ、とりあえず落ち着いてください。さあ、紅茶を一杯」

 って、ブリオッシュは紅茶のカップをすすめてくる。あたしは反射的にカップを受けとった。口元に近づけるとかぐわしい香りが鼻をくすぐった。一口、飲む。

 ……おいしい。

 くやしいけど、おいしい。こいつのいれる紅茶は本当に絶品。あたしの全人生を通して、こいつのいれた紅茶よりおいしい飲み物には出会ったことがない。

 「そんなに征服の旅に出るのは、おいやですか。バゲット姫」

 「当たり前でしょ! 誰が征服の旅になんか……」

 と、あたしはぷんすか怒る。

 『征服の旅』と言ったってもちろん、武力で制圧しようとかそんなんじゃない。戦争ばっかりやってた野蛮な前時代とはちがうんだから。

 いまの時代の『征服』って言うのは、契約けいやくをとること。それぞれの都市や町、村には必ずお城があって、そこに領主りょうしゅさまがいる。その領主りょうしゅさまに向かって、

 『我が国の法律はこれこれこの通り。ご契約けいやくくださればこのような統治を行います。ですから、我が国とご契約けいやくなさるのが皆さまの幸福というものです』

 って、説得して、めでたく契約けいやくを取り交わせば、そのお城――及び、そのお城の治める領地りょうち――は、その国の領土りょうどになるってわけ。

 つまりは、『征服の旅』って言うのは『営業してこい』ってことね。

 平和的でけっこうだとは思うけど、あたしがそれをやりたいかどうかは別問題。あたしはそんなことよりやりたいことがある!

 「あたしは望んで王族に生まれたんじゃない! あたしは王女として、王宮の奥にかしこまってお勉強やら習い事やらするより、普通の女の子として友だちと遊んだり、女子会したり、ボーイフレンドを作ったりして過ごしたいの! それなのに征服の旅なんかに出て、二度とない青春を塗りつぶされるなんてまっぴらごめんよ!」

 「そんなに、おいやですか?」

 と、ブリオッシュ。あたしは大地も割れよとばかりにうなずく。

 「絶対にいや!」

 「わかりました」

 って、ブリオッシュ。それからきっぱりと言った。

 「ならば、なおさら出発しましょう」

 「なんで、そうなるのよ!」

 「あるじのいやがることを無理やりやらせる。執事しつじの喜び、これにまさるものはありません」

 この根性こんじょうがりィッ!

 「いやよ、絶対、いや! あたしは絶対、行かないからね! どうしてもって言うならハンストして死んでやる!」

 あたしが叫ぶとブリオッシュは大げさな身振りでなげいて見せた。その仕種しぐさがまた、嫌味いやみなぐらいに決まっている。

 実はこいつ、あたしの執事しつじやら家庭教師やらをやるかたわら、王立劇場で看板役者として出演してもいる。一体、いつそんな時間があるのか不思議なんだけど……。

 だいたい、おかしいのよね。こいつ、いつでもあたしの側にいて、どこに隠れてもすぐに見つけられるし、どこに逃げても必ず先回りされている。もしかしたらこいつ、二、三人いるのかも……。

 って、それはないわよね。いくらなんでもこんな腹黒はらぐろ超絶ちょうぜつ陰険いんけん意地悪いじわる口悪くちわる野郎やろうがこの世にふたりもいるわけない。

 いや、でも、もし、本当にいたら……。

 ……やめよう。想像するには恐ろしすぎる展開だ。

 とにかく、こいつは役者としても大人気。『ブリオッシュ出演!』の報が流れるやいなや、国中の女の子――と、ある種の趣味しゅみの男たち――が、殺到して、一〇万人収容を誇る王立劇場でも入りきれなくなるぐらい。

 『ブリオッシュ出演の日は国中から女の姿が消える』

 とまで言われている。

 ブリオッシュは劇場で鍛えた朗々ろうろうとよく通る声で――これがまた、すこぶる付きの美声だったりする。たとえるなら、天界のかね調しらべって感じ――うったえて見せた。

 「ああ、なんと言うことだ。我らが姫さまが、かような身勝手な人物になられたとは。姫の食べるものも、お召し物も、そのすべては民の働き。民が汗水流して働き、おさめた税金によって買われているもの。それらを汗ひとつかかずに受けとっておきながら、国民のためにお返しひとつする気がないとは」

 ……うっ。

 それを言われると……。

 「で、でもでも、王族として生まれたのは、あたしの意思じゃないんだし……あたしは普通の家の子がよかったの! それに、跡継ぎなら兄さまがなればいいじゃない! 一〇以上も年上だし、男だし、第一子なんだし……」

 ん?

 兄さま?

 そう。実はこいつ、なにを隠そう――いや、誰も隠してないけど――あたしの実のお兄さま。と言っても、同じなのはお父さまだけで、お母さまはちがう。

 なんでも、お父さまがまだ若い頃にメイドに手をつけて産ませた子供だそうだ。そのせいで正規な王族としては認められていなくて、王位継承けいしょうけんもない。でも、お父さまの血を引いているのはたしかだし、なによりも第一子。と言うわけで、産まれたときから王家に次ぐくらいの貴族の地位を与えられて、王宮で生活している。

 おまけに超優秀。子供の頃から文武両道で、飛び級で進学を重ね、わずか一二歳でパン王国の最高学府、真の秀才しか入ることが許されないと言われるロイヤル学問王宮院に入学。しかも、同時にパン王国最高の騎士養成所、金剛こんごう騎士きしアカデミーにも在籍。そのどちらもぶっちぎりの首席で卒業してのけた。

 それだけでもメチャクチャすごいけど、さらにとんでもないのは、あまりの出来の良さに自信をなくしてノイローゼになった講師が多数……という事実。おかげでロイヤル学問王宮院も、金剛こんごう騎士きしアカデミーも一時、講師不足になって存続が危ぶまれたとかなんとか……。

 優秀すぎるのも、はた迷惑なものなのかも……。

 それはともかく、こんなメチャクチャ優秀なお兄さまがいるんだから、あたしみたいに普通で、平凡で、どこにでもいる『ただの女の子』が、王位を継がなくてもいいはずでしょ。兄さまが継げばいいのよ!

 「そうよ。兄さまが次の国王になればいいのよ。兄さまが一声あげたら、国中の女の子が味方になるんだし。王位を得るなんて簡単でしょ」

 「なにを言っている。そんなことができないのは、わかっているだろう」

 兄さまの口調がかわった。あたしと兄さまは形式上『主人と使用人』だから、人前では、あたしは『ブリオッシュ』と呼ぶし、兄さまもあくまで使用人としてふるまう。でも、ふたりのときはやっぱり『兄妹きょうだい』。あたしも『兄さま』と呼ぶし、兄さまも普通に妹相手の口調になる。でもでも、ふたりきりのときでも使用人口調になるときがあって、それは決まってあたしをイジめて喜ぶとき……。

 「おれは決して、王にはなれないんだよ」

 うっ。そりゃあ、兄さまはお手つきの子として、王族としては認められていないし、王宮暮らしでも、いろいろと差別されてつらい目にあったらしいけど……。

 「自分が王になったら、執事しつじとして仕える主人をイジることができなくなる。おれの楽しみがなくなるじゃないか」

 そっちかい!

 こいつに同情したのはあたしの人生、最大のまちがいだったわ!

 「まあ、そう深刻しんこくになるなって。お前は実際、王に向いていると思うぞ。なんだかんだ言っても、やるべきことはきちんとやるし、思いやりもある。不正を許さない正義感だし、なにより、誰に対しても公平な態度で接することができる。それらはいずれも王としての得がたい資質だ。お前なら、きっと立派な王になれる。そう思えばこそ、親父おやじどのに旅に出すことを進言したんだ」

 「兄さまがそそのかしたの⁉ ひどい! あたしが王女なんていやがってることは知ってるのに。あたしをイジめて、そんなに楽しいの⁉」

 「イジめるなんて人聞きの悪い。すべては妹の成長を望む兄の愛。我ながら立派なものだと思うぞ」

 ああ、もう!

 やっぱりこいつ、腹黒はらぐろ超絶ちょうぜつ陰険いんけん意地悪いじわる根性こんじょうがり口悪くちわる野郎やろう

 「とにかく! あたしはいやなの! 絶対、ぜったい、征服の旅になんか出ませんからね!」

 あたしはそう叫んで兄さまを部屋から追い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る