あたしは絶対、普通の女の子になってやるんですからね!

藍条森也

第一部 旅立ちは陰謀と共に

一章 バゲット姫、登場

 「バゲット姫よ! そなたはこれより我がパン王国の領土りょうど拡張のため、世界征服の旅に出発するのじゃ!」

 「いやです!」

 玉座ぎょくざにふんぞり返って大声――しかも、ひどいダミ声――で、そう叫ぶお父さまに向かって、あたしは思いきり言い返してやった。

 お父さまはあたしの声が聞こえなかったみたいに、同じ調子で『命令』を下してくる。

 「バゲット姫よ。そなたも今年で一二になる。もはや、遊びほうけておられる年齢ではない。王族として、我が後継者として、我らがパン王国のさらなる繁栄のため、世界を巡り、城を落とし、領土りょうど拡張を……」

 「だから、いやだって言ってるでしょおっ!」

 あたしは絶叫した。はたで聞いていればケンカを売っているとしか思えないだろう大きな声。

 実際、あたしはケンカを売っている気分だった。いくら、あたしのお父さまで、パン王国の国王さまだからって、いきなり『世界を征服してこい!』なんて無茶もいいとこ。そんなこと、できるわけないじゃない。あたしはあくまで、ごくごく普通の平凡な女の子なんだから。

 「思えばこのわし、パン・ドーロがはじめて国外に出て、修行の旅をしたのも一二のとき。ひとちにはよい時期じゃろう。そなたも王族としての誇りを胸に、その務めを果たし……」

 ああ、もう! だから、いやだって言ってるのに!

 この親父おやじ、全然、人の言うことを聞いていない!

 あたしは玉座ぎょくざの上でふんぞり返るお父さまを思いきりにらみつけてやった。

 お父さまの座る玉座ぎょくざはバカみたいに高い階段の上にある。おかげでにらみつけてやるためには、思いきり見上げないといけない。そのせいで、すっかり首が痛くなった。

 いったい、なにを考えてこんな高い階段の上に玉座ぎょくざを置いたりしたんだろう。そのせいで、普通の声じゃ階段の下まで届かなくて、いつも大声を張りあげている。だから、のどが枯れてそんなダミ声になっちゃうのよ。

 『国王としての威厳いげんたもつ』ためとか言ってるけど、バカみたい。そんなことしなきゃたもてない威厳いげんなら、ない方がまし。あたしは絶対、そんな所にふんぞり返って声を枯らすような暮らしはしませんからね!

 「よいな。出立は明朝みょうちょう。すぐに準備をすませ……」

 「だから、いやだって言ってるでしょ! あたしは征服の旅になんて出ません!」

 「バゲット!」

 お父さまが思いきり叫んだ。臣下や平民たちが『神のいかずち』なんて呼んで怖れる声。たしかにものすごく大きい。耳をつんざくほどだし、床なんてビリビリ震えている。

 だからって、あたしは他の臣下や平民たちみたいに恐れおののいて平身低頭したりはしない。

 だって、あたしは知っている。お父さまは見た目は怖いけど、娘にはものすごく甘いって言うことを。なにしろ、あたしがまだ子供の頃は一日中だって、おウマさんごっこや、人間モグラ叩きごっこに付き合ってくれた。あたしが四つん這いになったお父さまの背中に乗って、お尻をムチで叩いて『はしれー、ウマ!』なんて言うと、嬉しそうに『ヒヒ~ン』と鳴いて走りまわっていたものよ。人間モグラ叩きごっこでも、あたしにピコピコハンマーでポコポコ叩かれて喜んでた。

 で、仕事もなにも手につかなくなって、たまりかねた大臣が呼びにくると『いまは、なによりも大切な仕事をしているところだ。引っ込んでおれ!』なんて『神のいかずち』でどなっていた。

 そんな相手を怖れる理由ってある?

 あるわけないじゃない!

 だから、あたしは余裕でお父さまを見返した。そして、きっぱり、はっきり、言ってやった。

 「なんと言われても、あたしは征服の旅になんて出ません! そんなことしたくないんです」

 「バゲット! そなたはどうして、そうもワガママなのだ! 王族に生まれたからには自分ひとりの思いだけで生きては行けぬ。まして、そなたは、わしの跡継ぎとしてパン王国の国王となる身。国のため、民のため、その身をささげる覚悟ができていい頃だぞ!」

 「あたしは望んで王家に生まれたわけじゃありません! あたしはそんなことより、普通の女の子として暮らしていきたいんです!」

 「王族として生まれたからには普通の娘のごとき人生など望んではならぬ! すべては国と民のためにささげなくてはならぬ! 何度、言えばわかる!」

 「お父さまこそ! 望んで王族に生まれたんじゃないって何度、言えばわかるんです⁉」

 お父さまがあたしをにらむ。あたしはにらみ返す。ふたりの視線が空中でぶつかり合い、バチバチと火花を散らす。

 その様子を、まわりにいる大臣やら将軍やらがハラハラした顔で見守っている。これがたとえば、小難こむずかしい国の政策なんかに関わることだったら彼らも口を出して場をおさめることもできるんだろう。でも、いまのあたしとお父さまのしでかしているのは単なる親子ゲンカの口ゲンカ。よそんちの事情に口をはさむわけにも行かず、オロオロするばかり。ちょっと、かわいそうかも。でも、まわりからよってたかって『王族としての責務せきむ』がどうのなんて、お説教されずにすむのはありがたい。

 あたしは、お父さまに向かって重ねて言った。

 「お父さまがなんとおっしゃっても、あたしはいやです! 征服の旅になんて出ません! それが気に食わないと言うのならどうぞ、廃嫡はいちゃくにでもなんでもしてください。子供なら他に何人もいるんだから、そのうちの誰かに任せればいいでしょう」

 あたしはふんぞり返ってそう言い切った。

 そうよ。あたしなんかよりよっぽど国王にふさわしい息子がいるじゃない……。

 さすがにお父さまも頭に血がのぼったらしい。そろそろ髪の毛の薄くなりはじめた頭から湯気を噴き出し、顔中真っ赤にしてワナワナと震えている。

 ……ちなみに、お父さまは髪の毛のことをかなり気にしている。王としての体面たいめんからか、表面上は気にしていないように振る舞っているけれどその実、各地にコッソリ密偵みっていを送り出して、髪の毛に効く薬を探させたりしている。いつかここぞと言うところで爆弾として使ってやるつもり。

 お父さまは頭から湯気を噴き出したまま叫んだ。

 「ええい、もうよい! そなたとこれ以上、話していてもラチがあかぬ! ブリオッシュ!」

 「はっ」

 お父さまに名前を呼ばれて出てきたのは、夢の王子さまかと見まごうばかりの超絶ちょうぜつ美形のお兄さん。スラリとした長身にすずやかな顔立ち。知性あふれる目元にシャープなフレームのメガネが反則的によく似合う。それでいて、美形にありがちな線の細さは一切ない。

 スリムはスリムだけど、まるでフェンシングの剣みたいな強さと鋭さを感じさせる。ふれればたちまち斬られそう。キッチリとセットしすぎない、適度な乱れを残した髪型が、知的な顔立ちに野性味を加えさせて、それはもう『カッコいい!』の一言。男のくせに『国一番の美人』と呼ばれ、国中の人からキャアキャア言われている。……男女を問わず。

 それが、あたしの執事しつじ兼家庭教師兼ボディガート兼その他色々であるところの上級使用人、その名をブリオッシュ。

 ――げっ、なんで、こいつが!

 あたしは心のなかでうめいた。

 こいつは、見た目は、いま言ったとおりの超美形。あたしもついつい見とれてポッーとなったりしてしまう。でも、あたしは知っている。こいつが、この美しい顔の裏に、とんでもない腹黒はらぐろさを隠した超絶ちょうぜつ陰険いんけん意地悪いじわる根性こんじょうがり口悪くちわる野郎やろうであることを。

 お父さまがブリオッシュに向かって叫ぶ。

 「ブリオッシュ! そなたに命ずる。バゲット姫の旅に同行し、王族としての責務せきむをまっとうさせい!」

 お父さまがそう叫ぶと、ブリオッシュは優雅ゆうがに一礼して見せた――くやしいけど、そんな仕種しぐさがまた、見とれちゃうぐらい格好いい。

 「かしこまりました、陛下。非才なる身の全力を挙げて、バゲット姫の世界征服の旅をサポートいたします」

 えええっ~! うそでしょ。世界征服の旅なんて、それだけでも絶対、いやなのに。よりによってこの腹黒はらぐろ超絶ちょうぜつ陰険いんけん意地悪いじわる根性こんじょうがり口悪くちわる野郎やろうと一緒なんてえっ~!

 「よろしい。出立は明朝みょうちょう。ゆめゆめ遅れるでないぞ。では、さがれ」

 お父さまがそう言って手を振ると……あたしは、居並ぶ将軍たちに腕をつかまれ、玉座ぎょくざの間から引きずり出された。

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