○第三章 <風人>

 僕らが、柚木さんの家に乗り込む数日前。

 

 寿円先生から柚木さんが転校すると聞いて、教室の中はどよめいた。

 その中で一番動揺していたのは、僕でも、ましてや瞬でもなかった。

「う、そ? え、そんな、私、こんなことになるなんて、こんな、大事になるなんて……」

 顔を白くさせ、白崎さんは唇を震わせている。

 寿円先生が、学校のゲームブームを作るきっかけとなったのが、瞬と柚木さんだと知っていたのは、白崎さんから聞いていたからだ。

 確かに、瞬は柚木さんがゲームが上手いと触れ回った。それがブームを作るきっかけだったのは、事実だろう。

 でも寿円先生は、瞬と柚木さんが原因となったのか確認した時、二人にこう聞いたのだ。

『始業式の日に学校にゲーム機を持ち込んだ』のか? って

 ……瞬がクラスのグループチャットに連絡したのは、柚木さんがゲームが上手いっていうことだけだ。

 つまり、始業式の日にゲーム機を学校に持ち込んだことは、一言も他の人には言っていない。

 だからそれを知っているのは、あの日校舎裏にいた、僕、柚木さん、瞬。

 そして、白崎さんの四人だけ。

 僕と瞬は寿円先生にその話はしていないし、柚木さんも自分からは話していない。

 そうなると先生に柚木さんがゲーム機を学校に持ち込んだと告げ口したのは、残る白崎さんということになる。

 でも、白崎さんのことは責めづらい。

 校則違反があったことを先生に伝えるのも別に悪いことではないし、彼女の瞬への恋心を知っているこちらとしては、白崎さんがそういう行動に出てしまう気持ちもわからなくはなかった。

 それに白崎さんは、まさか柚木さんが転校するところまで話が広がるとは、想像も出来なかっただろう。僕も、かなり驚いている。

 ……白崎さんがもう少し冷静だったら、いや、それなら瞬が彼女の気持ちに気づいてたらこんなことにはならなかったのか? でも、それならもっと僕が瞬と柚木さんを引き離していればよかったのかな? それなら白崎さんだって、先生に話すのを思いとどまったかもしれないのに。僕がもっと――

 一瞬、頭の中が誰が悪いのか? ということを考え始めそうになったけれど、僕はそれを頭を振って吹き飛ばした。

 ……今は悪者探しより、どうやったら皆が望んでいることを叶えられるのか、何をすれば皆が笑顔になってくれるのか? を考えるのが先だ。

 そもそもきっと、この世には悪者なんていやしない。

 主役と脇役がいて、自分が観る主役の立ち位置によって見方が変わるだけだ。

 僕は脇役でもいいけれど、自分がヒーローになりたい人だっているし、ヒロインになりたい人だっている。ただそれだけの差なのだろう。

 1時間目の授業が終わり、僕はすぐに瞬に話しかけた。

「柚木さんの転校、どう思う?」

「いやー、びっくりしたぜ。律の家って、そんなに厳しいのかな? ゲーム機持ってきたぐらいで、転校させられちゃうもんなの?」

「どうだろう? ただ、柚木さんにとってゲームはとても大切なものだとは聞いているけどね」

「そうだよなぁ。そうじゃなきゃ、あんなに上手くなれないだろうし。本当に転校しちゃうなら、寂しくなるな。律のプレイ見るの、俺好きだったし」

「まだ、柚木さんと一緒にいたい?」

「あったりまえじゃん! あいつ、絶対将来eスポーツ選手になるって。今のうちに仲良くしておいて、サインもらおうぜ。それで、俺と風人で応援するんだ。あ、律のファン一号は俺で、二号がお前な」

「流石にその連番は、柚木さんのお父さんとお母さんに譲ってあげたら?」

「早いものがちだろ? こういうの。それに、あいつが親に怒られるきっかけを作ったのは、俺だしな。このままサヨナラは、やっぱ嫌だろ?」

 2時間目の授業が終わり、白崎さんに話しかけると、彼女は泣きそうな顔になる。

「ご、めんな、さい。私――」

「大丈夫。謝らなくて。それに、白崎さんが本当に謝りたいのは、僕じゃないでしょ?」

「……うん。私、ちゃんと、謝りたい。こんなの、違うよ。私、間違ってた。柚木さんも瞬くんも、自分の好きなゲームに、ただまっすぐに向き合ってただけなのに」

「間違っていたかどうかは、まだ結論は出てないよ。失敗や成功だって、見方次第で変わるしね」

「どうして? どうして弓取くんは、そんなに前向きになれるの?」

「後ろ向きだと、助けた相手の笑顔が見れないからね」

「……許してくれるかな? 柚木さん。私が、ちゃんと柚木さんの前に立って、謝ったら」

「それを決めるのは柚木さんだよ。でも、僕の見立てでは、ちゃんと対等に目を合わせていれば、大丈夫な気はするけどね」

「うん、そうだよね。私も、許してもらえないかもしれないけど、自分で間違ったと思っていることを、そのままにしておくのは、嫌だよ」

 二人の話を聞いて、僕の行動方針は決まった。

 柚木さんの、転校を止める。

 そのために重要な要素は、やっぱり彼女とその両親が結んだ、『約束』だろう。

 ……今のところわかっている『約束』は、この二つかな?

 

 ①:学校の校則は守ること

 ②:ゲームを自由にプレイする代わりに、学校の成績は落とさないこと

 

 ②の方は、問題ない。柚木さんは授業中も積極的に手は上げる方だし、わからないことはちゃんと寿円先生に聞いている。

 となると、柚木さんの転校の話が出たきっかけは①が原因だ。

 しかし、実際柚木さんは学校の校則を破ってしまっている。

 その事実は、変えられないし、変えようがない。

 事実として、柚木さんは悪いことをしてしまった。だから彼女の両親は、彼女を転校させようとしている。

 その両親を説得出来ない限り、柚木さんが転校する、という話は絶対なくならない。

 ……でも、普通に考えてたんじゃ、絶対説得なんて無理だ。

 だから僕は、何か考え方や、ものの見方を変えないといけない。

 当たり前のルールや常識を、疑わないといけない。

 それから3時間目に4時間目、そして給食の時間に掃除中。僕はずっと悩み続けていた。

 どうやったら皆の望みを叶えられる? どうやったら皆が笑顔になれる?

 きっと、何かこれだ! みたいな、素晴らしい考えは出てこない。

 出せる人は、それこそヒーローだとか、そういう役割の主役や主人公なんだろう。

 だけど今回の場合、瞬はそういう役割は向いていない。

 あいつが得意なのはひたすらまっすぐ、何かをぶち抜くような、そういう突破力だからだ。

 ……そもそも今回の場合、あいつもルール破ってるからなぁ。

 柚木さんの両親を説得することも必要だけど、実はもう一つ、大きな問題があった。それは――

 ……僕、柚木さんの家知らないんだよねぇ。

 説得する方法を思いついたとしても、会話出来ないのならそれは意味がない。

 柚木さんの両親と話をするために、何が必要で、どんな問題がありそうなのかを、頭の中でイメージする。

 ……そうなると、最初に説得が必要なのは寿円先生か。そっちの説得方法も考えないと。

 そんなことに思いを巡らせている間に、終わり会が終了していた。僕は自分の荷物をランドセルに入れて、教室を出る。

 と、後ろから瞬に呼び止められた。

「行くのか? 職員室」

「うん、そうだよ」

「俺も行くぜ。律だけ転校させられるなんて、ちょっとやり過ぎだしな」

「……私も、ついていっていいかな?」

「白崎も? どうして?」

「もう一度、私もちゃんと柚木さんと話したいから。だから、チャンスが欲しいの」

「なら、皆で行こうよ」

 そう言って僕らは、職員室へと向かった。扉をノックして、中に入る。

「失礼します。十円先生いますか?」

「誰が十円か。流石に職員室では普通に呼びなさい」

「すみません。でも、急ぎ柚木さんのことで相談したいことがありまして」

 僕の後ろに瞬と白崎さんがいるのを見て、寿円先生が立ち上がる。

「場所を移しましょうか」

 そう言って先生は、壁にかけられていた各教室の鍵を眺めて、コンピュータ室の鍵を手に取った。

 コンピュータ室は職員室と同じ二階にあるのでそこまで移動する必要もないし、この時間帯は誰も使う予定がない。

 コンピュータ室の鍵を開けた先生に促されて、僕らは教室に入る。

 教室の電源を入れると、四十台ほどあるディスプレイの画面が光を反射した。その画面にはもちろん、僕らの姿も映っている。

「先生。助けてください」

「あら? 今回は素直に助けを求めるのね、風人くん」

「僕一人じゃ、無理だと思ったので。柚木さんの転校を止めるのは」

「どうして、柚木さんの転校を止めたいと思ったのかしら?」

「なんだよ。友達と一緒にいたいと思うのは、普通だろ? ケチケチすんなよ、十円先生」

「転校は、柚木さんの親御さんが決定したことよ。相手の家族の問題に、部外者が口を出す権利はないわ」

 珍しくピシャリと、先生が瞬の意見を跳ね返す。

 僕の親友はそうした寿円先生の反応が想定外だったのか、面食らったような反応になる。

 しかし僕にとっては、想定内の反応だ。先生の立場で、そう簡単に僕らを柚木さんと引き合わせることなんて出来ないだろう。

「でも、先生の受け持っているクラスの生徒にも問題があるなら、考えないといけませんよね?」

 そう言った僕の目線に気づいて、白崎さんが口を開く。

「……私、謝りたいんです。直接、柚木さんに」

「そういうこと」

 寿円先生はそう言って、仕方なさそうに眉を寄せる。

 先生は、柚木さんがゲーム機を学校に持ってきたと、白崎さんが告げ口したということを知っている。

『ただ誰かに何かを教えたいだけなら塾の先生にでもなっている』といつも言っている先生が、柚木さんを転校させて心残りがある生徒を、問題をそのまま放っておくことはないだろう。

 それが二人いるのであれば、なおさらだ。

「俺だって律に謝りたいぜ、先生! もし律が転校させられるんなら、俺があいつに転校初日に余計なこと言ったせいだからな。律の親にも、ちゃんと説明したいんだ!」

「……そう。そういうことなら、柚木さんのご両親に確認してみましょうか。瞬くんと白崎さんの二人が柚木さんと会えないかどうか」

「……え?」

 何故だろう。おかしい。途中までは、僕が考えていた通り話が進んでいた。それなのに――

「あら? どうしたのかしら、風人くん」

「なんで、僕は柚木さんのご両親と会えないんですか?」

「だって、柚木さんに謝りたいのは、瞬くんと白崎さんだけでしょ?」

「それは、そう、ですけど。でも、どうせ会うんだったら、僕が一人増えたって同じじゃないですか?」

「同じじゃないわ。今回はこちら側が無理を言ってお話する時間を作ってもらうのよ? それなのに、特に理由がない人を連れてはいけません」

 その言葉に、僕は若干苛ついた。

 寿円先生なら、僕がやろうとしていることぐらい、気づいていそうなものなのに。

 せっかく柚木さんの両親を説得する方法も色々考えたのに、僕がその場にいないのであれば、全て無駄になってしまう。

 瞬は柚木さんと一緒にルールを破っているし、白崎さんは告げ口をしたという気まずさで、柚木さんの両親を説得するのに適していない。

 ……柚木さんの両親と会う場面には、絶対僕が必要なのに!

「……頼ってもいいって、言ってたじゃないですか」

「言ったわよ? でも、こうも言ったわよね? 無理なら無理、出来ないならここまでしか出来ません、って正直に言いなさい、って」

「だから、言ってるじゃないですか! 僕らだけじゃ、瞬と白崎さんが柚木さんのご両親と――」

「瞬くんと白崎さんは会えるように頼んでみるって、さっき先生、そう言ったわよ」

 その言葉に。

 僕は一瞬、何も言えなくなる。

 確かに、先生はそう言っていた。だったら、何も問題なさそうだ。

 ……いや、そんなわけあるか。

 だってそれでは、柚木さんはきっとこの学校にはいられない。

 でも、それを止めたいと思っている瞬と白崎さんは彼女の両親と話せるかもしれなくて。

 いや、でもそれだと足りないんだ。それじゃ皆の望みは叶えられないし、笑顔になれない。

 なんだ? 何が足りないんだ? その輪の中に、何が足りない?

 

「風人くんは、どう思っているの?」

 

「………………え? ぼ、く?」

「そうよ。先生、風人くんが瞬くんと白崎さんのやりたいことを手助けしてあげたい、って話は聞いたわ。でも、あなたがどうしたいと思っているのか、風人くんの意思を聞いていないの」

 その言葉に、僕はハッとなった。

 顔をあげると、寿円先生が僕の言葉を、じっと待ってくれている。まるで花壇から、新しい芽が出るのを見守っているかのように。

 それで僕は、前に先生に言われた言葉を思い出していた。

 ……確かに、なかなか口に出し辛くなっちゃったみたいですよ、先生。

「先生」

「はい、どうしたの?」

「……見たいんです」

「何を、かしら?」

「皆の望みが叶うところを。皆が、笑顔でいるところを」

「誰が、見たいのかしら?」

「僕です」

 ……ああ、そうか。

「僕は、一緒にいたいんです。他の誰でもない。僕が、僕がまだ、柚木さんと一緒にいたい。あの似ているようで正反対のあの子と、僕は一緒にいたい。一緒にいて、もっとゲームの話したり、他の話をしたりして。瞬や白崎さんと同じ、僕の普通で当たり前になって欲しいんです」

 そう言うと、瞬が口笛を吹いてゲラゲラ笑い始めた。

「いやいや、すげーや律のやつ。あの風人に、ワガママ言わせやがった」

「……いいなぁ、柚木さん。私も、いつか――」

「へ? いや、これはそういうアレじゃ――」

「まぁ、その感情がどういう方向を向いているのは置いておいて、あなたの中にも、そういう自分がいるっていうのは、わかったかしら? 風人くん」

「……はい、十円先生」

「誰が十円か。五百円ぐらいあるわ」

「いえ、本当は百万円ぐらいはあるんじゃないですか?」

「バカね。一億あったって足りないわよ。先生、あなたたちの将来を預かってるんですから」

「……ちょっと、カッコつけすぎじゃありませんか?」

 そう言うが、寿円先生は軽く笑うだけだった。

「ひとまず、柚木さんのご両親には娘さんとどうしても話がしたいクラスメイトが3人いる、って言ってみるわ。でも、先生が出来るのはそこまでよ。会ってくれるかどうかは、もう相手次第なんだから」

「えー、やっぱり十円先生じゃん。そこは絶対に律と話をさせてやる、ぐらい言ってくれよなー」

「これでも相当危ない橋渡ってるのよ? 先生。転校先の調整してる時に他の生徒と接触させようだなんて、見つかったら厳重注意じゃすまないわ」

「……それなら、どうしてそこまで私たちに協力してくれるんですか?」

「言ってるでしょ? ただ誰かに何かを教えたいだけなら塾の先生にでもなっている、って。どういう結末になっても、この経験は確実にあなたたちの将来の財産になるわ」

「大丈夫ですよ。この結末は、柚木さんは転校せずにこの学校に残る、で決まりですから」

「あら、随分自信があるのね。ご両親を説得する方法は、もう考えているのかしら?」

「まぁ、ルール破らせたり常識ぶっ壊させたら、風人の右に出るものはいねーからなぁ」

「あ、あんまり無茶して、柚木さんを困らせるのは、やめてあげてね?」

「……皆、普段僕のことをどう思っているの? とはいえ、自信はあるんだけど、正直柚木さんの意思次第、ってところですね。とはいえ、不安要素はあるんですけど」

 そう言うと三人は、互いに顔を見合わせた。

 そして三人を代表するように、寿円先生が口を開く。

「何かしら? 風人くんの、不安要素って」

「はい。僕、ワガママなんて言ったことがないので、限度がわかりません」

 そう言うと寿円先生は苦笑いを浮かべ、白崎さんは心配そうな表情になる。

 瞬に至っては頭を抱えるようにして、これは荒れるなぁ、と口にした。

 ……申し訳ないけど、お前にだけは言われたくないぞ、それ。

 

「本日は、お時間を頂きありがとうございます」

 僕のその言葉に続いたように、右の席に座る瞬と白崎さんが頭を下げる。終わりの会が終わった教室には、柚木さんの転校の件について関係する人だけがこの場に残っていた。まるで、変則的な三者面談みたいだ。

 僕の左側に座っていた寿円先生が、改めて柚木さんの両親にお礼を言う。

「すみません。お忙しいところ、お引き止めしてしまって」

「いえ、元々僕らも学校に用事がありましたから」

「私たちとしても、学校で娘がどんな風に過ごしているのか、気になってましたし」

 柚木さんの両親は、二人とも優しそうな人だった。特にお母さんの方は、ふんわりしたような雰囲気があり、初対面でも話しやすそうだ。

 そのお母さんだが、僕らが自己紹介をすますと、どういうわけか僕の方を楽しそうに笑いながら見つめてくる。

「あなたが、『あの』風人くんなのね?」

「あの?」

「あら? 前に律を迎えに来た時、あの子が泣きながら名前を呼んでいた子でしょ?」

「泣いては、いなかったような気がするんですが」

 そう言いながら、僕はちょっと戸惑ってしまう。

 どういうわけか、柚木さんのお父さんが僕を鋭い目でこちらを見るようになったのだ。

 それに気づいた柚木さんのお母さんが、自分の旦那をたしなめる。

「あなた、そんな風に睨んだら、風人くんが困っちゃうでしょ」

「でもね、お母さん。律はまだ小学生だよ?」

「いいじゃない。そういう話が全くないよりは」

 何の話を始めたんだ? この人たちは。

 戸惑っている僕に、寿円先生が助け舟を出してくれる。

「すみません。先に、娘さんに謝りたいという子たちの話を聞いて頂けませんか?」

「あら、ごめんなさい。それじゃあ、お話、聞かせて頂けるかしら」

 上手いこと話が当初の目的に戻り、瞬と白崎さんがそれぞれ柚木さんに謝りたい内容を口にした。

 柚木さんの両親は二人の話を聞き入れ、娘が話しを聞いてもいいというのであれば、また柚木さんと会うことが出来るようになった。

 ……さて、ここからが本番だ。

「律は、転校させます。前の学校に戻しますよ。それがあの子と僕らが結んだ、約束ですから」

 話を始める前から、柚木さんのお父さんにそう切り出されてしまう。

 でもここで引くぐらいなら、そもそもこんな場を寿円先生に用意してもらっていない。

「すみません。いくつか、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「柚木さんを前の学校に転校させるのは、柚木さんの将来のことを考えてのことですよね?」

「もちろん、そうだよ。僕らは総合的に判断して、前の学校に戻ったほうが律にとって幸せなんだと判断したんだ」

「その、総合的、というところを、もう少しうかがってもいいでしょうか?」

「具体的には、サポート面かしら? バリアフリーは完備されているし、車椅子の生徒を指導してきた実績があるし、任せて安心というのはあったわ」

「他にも、律と同じような生徒が通っているからね。悩みなんかも、相談しやすかったろう」

「でも一番心配だったのは、あの子がこの学校の子と同じように生活出来るのか? ってことかしら」

「そうだね、お母さん。律が他の子と同じように、ちゃんとルールを守れるのか? 車椅子での生活が理由で、守れない状況になってしまっていないか? というのは、とても気にしていたよ。だからこそ、そういうものとは関係なく、律が校則を破ってしまったのは、許せないんだ」

「律のおじさん! だから、それは俺が最初に――」

「確かに、君がきっかけだったかもしれない。だがそれだと、今後律は何か失敗するたびに、本当に自分が悪いときですら他人のせいにしてしまう生き方をするようになってしまうかもしれない。それは、僕は娘のためにならないと思っているんだ。今回はたまたま白崎さんが教えてくれたけど、全く別の悪いことをした場合にも、律は黙ったままでいるかもしれないだろ? たとえば、物を盗んだりとか、人を怪我させたりだとか。もちろん僕は、律がそんなことをするとは思ってないよ? 天と地がひっくり返っても、あの子はそういうことはしないはずだ」

「たとえが極端すぎですし、それだと結局律を信じているのか信じていないのか伝わりませんよ、あなた」

 柚木さんのお母さんが、苦笑いを浮かべる。

「簡単にいうと、私たちは自分の娘のことを信じているわ。でも、あの子の外見は、どうしてもひと目についてしまう。風人くんたちは他の子と同じように律に接してくれるけど、他の子、特に学外の人がそうだとは限らないわ。だからあの子には、約束はしっかり守る子であって欲しいの。あの子自身を、守るために」

「律が夢中になっているゲームという分野も、人によっては変な目で見る人もいるだろう。もしそうなっても、あの子には自分はちゃんとしている、そんな後ろ指刺されるようなことはしていない、と胸を張ってもらいたいんだ。そのために、ちゃんと約束は守ってもらいたいんだよ。自分は、普通の人と何も変わらないんだよって、言い切れるようにね」

 柚木さんの両親の話を聞いて、わかったことがある。

 ……この人たち、めちゃくちゃ自分の娘好きだな。

 話の最初から最後まで、全部娘のため。そのために、転校が必要だ、という考え方だ。

 そしてそれは、確かに一つの解決方法だろう。

 柚木さんにとって、最終的に悪くない結果につながると僕は思う。

 そもそも、それが柚木さんと両親の間で交わされた約束なんだから、守るのが常識なんだろう。

 ……でも、今の僕は、ワガママだから。

 そんな常識、ぶっ壊してやる。

「つまりお二人は、転校することで次の三つの利点があるので、柚木さんは幸せになれる、とお考えなんですね?」

 

 一つ目は、環境。

 これはバリアフリーだったり、車椅子の学生への指導経験なんかが入る。

 二つ目は、人間関係。

 柚木さんと同じような車椅子の生徒がいた方が話しやすいというもの。

 三つ目は、規則だ。

 これはルールと言ってもいいし、周りの人と変わらず生活できるのか? 劣っていないのか? と言い換えてもいい。

 

「そうね。その三つが、律の幸せにつながると私たちは思っているわ」

「ありがとうございます。では、最後の三つ目以外はこの学校でも問題なさそうですね?」

「どういう意味だい?」

「だって、そうじゃありませんか。柚木さんのお父さん」

「……お義父さん?」

「あなた、今そういう古典的な話はいらないのよ。それで? 話を続けてくれないかしら? 風人くん」

「は、はい。まず、一つ目の環境ですけど、そもそも柚木さんが央平小学校に通えると思われたから、お二人は転校を許されたんですよね? 今回柚木さんは校則違反をしましたけど、学校の環境は変わっていません。なら、環境面は変わっていない。つまり、柚木さんが通うのは問題ない、ということになりませんか?」

「……そうね。確かに、そこは何も変わっていないわ」

「では、二つ目の利点はどうだい? この学校には、律と同じ車椅子の生徒は通っていないけど」

「実は二つ目については、あまり車椅子がどうこう、というのは関係ないと思っています。だって困っていることって、車椅子に乗っていなくても僕らにだって起こりますから。つまり、困ったことがあれば気軽に相談できる友達がいれば問題ない、ってことですよね?」

「律に、そんな友達がいる、と?」

「僕らじゃ、ダメですかね? 自分で言うのもなんですけど、転校に反対してその両親に直談判するだなんて、なかなかやる人はいないと思うんですが。しかも、それが柚木さんには三人もいます。僕らじゃ、柚木さんの友達には不足でしょうか?」

「その言い方は、ずるいわね。風人くん」

「……そうだな。僕も嬉しいよ。律に君たちみたいな『友達』が出来て」

「あら? そもそも律は、風人くんの名前を泣きながら――」

「いや、だから泣いてないですからそうですから」

 何はともあれ、柚木さんを転校させる利点、別の言い方をすると転校しなければならない理由は、あと一つ。

「だが、三つ目の利点については、規則の部分については、どうしようもなんじゃないかな?」

「そうよねぇ。律が規則を破ってしまったのは、変えようがない事実なわけだもの」

 

「果たして、本当にそうでしょうか?」

 

 僕の言葉に、柚木さんの両親は二人ともキョトンとした表情を浮かべる。

「な、何を言っているんだい?」

「そ、そうよ、風人くん。だって、そもそも律が校則違反をしていなかったら、転校の話しなんて出なかったのよ?」

「ええ、そうです。でも、思い出してください。瞬と柚木さんが最初にゲーム機を学校に持ってきて、この学校にゲームブームが起きたわけです。そして多くの学生が、ゲーム機を学校に持ってきた。逆に言うと、ゲーム機を持ってきている生徒のほうが『普通』なんです。周りの人と変わらず生活できるのか? という点で言えば、柚木さんがとった校則違反は、実は『普通』なんじゃないでしょうか?」

「風人くん。流石にそれは先生、口を挟まざるを得ないわ。そんな赤信号を皆で渡れば怖くない、みたいな話がまかり通ったら、ルールも何もなくなっちゃうわよ」

「大丈夫ですよ、寿円先生。これは半分冗談みたいなものですから。ですが、柚木さんがこの学校で車椅子なんて関係なく、他の人と同じ『普通』だったというのは、わかって頂けたかと思います」

「ルールを破る側で、かな?」

 柚木さんのお父さんは、苦笑いを浮かべる。

「君は、さっき僕が話していた内容を聞いていなかったのかな? 僕は律には、ちゃんと間違いは自分で認めれる子になってもらいたいと思っているし、あの子自身を守るためにルールは守れる子になって欲しいと思っているんだ。だから、ルールを破ったことに対して、あの子の親として、何もしないというわけにはいかないんだよ」

「ええ、それは同意します。僕も柚木さんには、何らかの罰が必要だと思ってますから」

「……すまない。話が見えなくなってしまったんだが」

「風人くんは律の転校に反対していたんだと、そう思っていたんだけど」

 困惑する柚木さんのの両親に向かって、僕は口を開く。

「はい、反対ですよ。だって、罰としては重すぎるじゃないですか。先程柚木さんのお父さんが、悪いことのたとえとして極端なお話をされていましたけど、まさにそれです。柚木さんに『普通』の生活を求めるのであれば、それによって破ってしまったルールへの罰も、その場所の『普通』にあわせるべきではないでしょうか?」

「まぁ、そうだよなぁ。俺もゲーム機学校に持ってきた、って話したら、かーちゃんに往復ビンタ食らって顔面パンパンに腫れたし」

「ぼ、僕は、律にそこまでしようとは思わないが……」

「ですが、言いたいことは、そういうことです。この学校でゲーム機を持ち込んだら、学校側の対応としては違反した生徒の両親への厳重注意のみ。後はそれぞれの家庭に対応を任せる形ですが、柚木さん以外で一番きつい罰はさっき瞬が受けたものでしょう。あるいは、一定期間ゲーム機の没収、とか」

「しかし、対応はそれぞれの家庭に任せられている。僕らの家庭は、転校という選択をした。それだけだ」

「だったら、どうしてこの学校に柚木さんを転校させるのを許したんですか?」

 僕は、柚木さんのお父さんに向かって身を乗り出す。

「柚木さんが希望したこととはいえ、ご両親は彼女の願いを叶えて、この小学校に通わせることを決めたんですよね? それは、さっきの三つ目の利点を考えたからなんじゃないんですか? 柚木さんも、前に言ってましたよ。車椅子になった時は、辛かったって。普通じゃなくなっちゃったって」

 それは給食を食べている時に聞いた、柚木さんの本音だった。

「でも、お二人が買ってくれたゲームをプレイして、ゲームなら普通に、他の人と同じように、対等にプレイ出来るって気づいたんだ、って。お二人には勝ったことはなかったけれど、ゲームで自信がついて、eスポーツ選手になるって夢を持ったって。他の人と同じように、『普通』に夢を持ったんですよ、柚木さんは」

 だから、だと思う。

「だから、他の部分でも『普通』になりたいと思っていたんじゃないんですか? だからこの小学校に転校してきたんじゃないんですか? 確かに、校則違反はいけないことです。間違いです。でも、それってこの学校に転校してきた柚木さんの挑戦を、もう全部なかったことにするぐらい、いけないことなんですか? それがきっかけで、柚木さんは僕らよりも凄くなるかもしれないじゃないですか。本当に、プロのeスポーツ選手になれるかもしれないじゃないですか」

「かも、じゃねーよ風人。律は、絶対夢を叶えられるぜ! 俺が保証する!」

「だ、そうですよ? もう彼女の、ファンの一号と二号はいるんです。凄いんですよ、柚木さんは。だから、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、柚木さんをこの場所で挑戦させてあげてください。ここで、柚木さんがやろうとしていることを、『普通』に叶えさせてください!」

「……あなた」

「…………今話しをしてくれた内容は、すごくよく分かる。よく分かるが、あの子はそれでもまだ小学五年生で、どうしても他の人とは違うんだ。自分の娘を、過保護と言われても守りたいと思って、何が悪い」

 ここだ、と思った。

 ここで無理矢理にで言葉をもねじ込まなければ、柚木さんがこの学校に残ることはないだろう。

 だから僕は、口を開く。

「勝負をしましょう」

「勝、負……?」

「はい。きっと柚木さんのお父さんには、まだ柚木さんのことが入院中の時のイメージのままなんだと思います。でも、あの子はそんなに弱くないですよ」

「……そういえば、瞬くんとゲームで勝負しようって言い始めたの、柚木さんの方からだったっけ?」

「それで圧勝するんだから、やっぱり律はすげーよなー」

「律、が? そんなことを」

「『大混戦アタックスクアード』です」

「……え?」

 僕の言葉に困惑する柚木さんのお父さんに、更に畳み掛けるように口を開いた。

「勝負の内容ですよ、柚木さんのお父さん。柚木さんが、ご両親に一度も勝ったことがない『大混戦アタックスクアード』。これの二対二対によるストック制のチーム戦。このルールで柚木さんが勝ったら、彼女の転校はなしにしてもらえませんか?」

「……逆に、律が負けたら大人しく転校する、と? だが、娘はそれを了承するかな」

「しますよ。だって何もしなかったら、問答無用で転校なんですから。残りたいという意思が柚木さんにあるのなら、受けて立ちます。それに、負けたら負けたで、転校することにも納得するでしょうし」

「……わかった。それなら、いつ勝負を――」

「何言ってるんですか。今日これからですよ。白黒つけるなら早い方がいい」

「そうですね。といいますか、転校の手続きを継続するにしても取り消すにしても、もう時間がありません。今日中に話に決着がつくほうが私もいいと思います」

 寿円先生のナイス過ぎる発言で、柚木さんのお父さんは渋い顔をしつつも小さく頷く。

「本当に、律は納得するだろうか? それに、こんなに急に」

「最高のパフォーマンスをいつでも出せるeスポーツ選手を目指している、って言ってたので、大丈夫だと思いますよ」

「……君は、まるで律のことをなんでも知っているみたいに話すんだね」

「え? いえ、そんな。ただ話した範囲内のことを言っているだけですけど」

「まぁまぁ。あの子に仲がいい子が出来るのは、いいことですよ、あなた」

 うふふ、と柚木さんのお母さんは笑う。

「それで律が納得するのであれば、私はそれで構わないわ。でも、やるからには真剣勝負よ? 悪いけど、負けないからね?」

「そうだな。あの子には一度も負けていないし、普通にプレイするのなら、結果は変わらない」

 なんとか話がまとまり、僕らは寿円先生の車で柚木さんの家に向かうことになる。

 運転中、先生が僕のことをジロリと睨んだ。

「全く、ヒヤヒヤものだったわよ。ゲーム機を持ってくるのが普通、って言い始めた時はびっくりして椅子から転げ落ちそうになったわ」

「いやー、ひっさびさに風人のルール破り見たけど、相変わらず無茶苦茶やるよなー!」

「お前だけには言われたくないよ、瞬」

「病院にうさぎ連れて行ったやつと、あと何があったっけ? 白崎」

「えっと、運動会の紅白のボールを全部入れ替えたり、プールのビート板割ったやつでしょ? あとは、防火水槽の鯉とか金魚を全部盗んだりとか――」

「盗んだんじゃないよ。持ち主に返しただけさ」

「それで先生たちからの信頼絶大とか、もはや奇跡だよなー」

「普段普通にお手伝いしてくれているから、元々の信頼度が高いのよ。後無茶苦茶やっても、結果として善行につながってるから、まぁ、いいか、って感じで見られてたりするわよね」

「……ねぇ、ワガママ言えって言われて言っただけなのに、酷い言われようじゃない? 僕」

 そんなこんなで、僕らは柚木さんの家に到着。家にあげてもらうと、僕らを見て柚木さんがめちゃくちゃ驚いていた。

「……おかえりなさ、え? 寿円先生? だけじゃなくて瞬に、白崎さん。それに、風人! どうしてボクの家に? なんで!」

 たった数日会えなかっただけなのに、もう随分会っていなかったように感じる。

 だから彼女の顔を見れた僕は、普段と変わらないように気をつけて、口を開く。

「いや、似ているようで正反対の君が、大事なルールを先に破ったって聞いたからさ。僕も、たまには自分のためにワガママを言ってみようと思ってね」

 そして、心からの本心を告げた。

「君を、笑顔にしに来たよ」

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