○第二章 <律>

「約束は覚えているね? 律」

「うん、覚えてる……」

 普段の優しい表情が想像できないほど、お父さんは険しい顔になってテーブルに座っている。

 お母さんは少し困ったような表情を浮かべながら、台所からカップを三つ持ってきた。

 お父さんにはコーヒーが、自分とボクには紅茶がカップに注がれている。

「あなた、そんなに怖い顔をしてたら、律も安心して話せないわよ?」

「でもね? お母さん。僕だって、怒りたくて怒ってるわけじゃないんだよ? 律のためを思って言っているんだ」

「私だって、それはわかってるわ。だってあなた、仕事から帰ってからずっと、『新しい学校でいじめられてないか?』『ちゃんとクラスになじめているのか?』『ゲーム以外の話もちゃんと出来ているのか?』って、ずっと律の話ばっかりなんですもの。私も同じ気持ちですけど、晩ごはんの時ぐらい抑えめにして、食事を楽しんで欲しいわ。作りがいがないですもの」

「ちょ、ちょっとお母さん! 律には内緒って言ったでしょ? 変にプレッシャー感じちゃうかもしれないんだから!」

 両親の話を聞きながら、私は更に顔を伏せる。

 自分でも、わかっていた。お父さんとお母さんはボクに優しいし、本当に心配してくれている。

 多少ワガママを言ってもそれを受け入れてくれるぐらいお母さんは甘いし、お父さんはそれ以上にボクに甘い。

 でも、だからこそボクは、二人との約束を破っちゃいけなかったのだ。

 ボクのワガママを聞いてくれる代わりに、両親と決めたルールは守る。

 それが、ボクとお父さんとお母さんを、対等にしてくれる取り決めだったから。

「律を普通学校に通わせるに当たり、僕らが一番心配だったのは、この子が辛い思いをしないかどうかだよ。それはクラスメイトとの人間関係もそうだけど、学校には学校で生活するためのルール、校則がある。それが律にとってキツすぎないか? っていうのは、ずっと考えてきたよね? お母さん」

「そうね。服装とか着るのが難しいものを強要されてたりすると、対応するのが難しいもの。そういう、無理なものを理不尽に押し付けられるようなら、私たちだって戦うわ。でも――」

「学校にゲーム機を持っていかない。これは、そういう無理なものじゃないだろ? しかも、他の生徒たちに影響を与えてしまった」

「……まぁ、他の子がゲームを学校に持ってきちゃったのは、律だけのせいじゃないと思うけど。でも、律がゲーム機を学校に持ち込んだのは、事実なのよね?」

「………………うん」

 そうだ。このルールを破ってしまったのは、ボク自身の問題だ。

 車椅子だからとかは関係なくて、普通の人なら、当たり前に、何の問題もなく、ボクが気をつければなんとかなるものだった。

 それを、破ってしまった。

 ボク一人でもルールは守れたのに、出来なかった。

 学校にゲーム機を持ってくる子が増えていても、持ってこなかった子もいた。

 そういう、ちゃんと当たり前のことが普通に出来た子がいたのに、ボクは出来なかった。

 出来なかったんだ、ボクは。

「律。約束は、覚えているね?」

 もう一度聞かれるが、今度は反応することが出来ない。

 ……嫌だ。戻りたく、ないよ。

 自分が悪いのは、わかっている。

 でも、やっと仲良くなったんだ。ボクのことを、普通に、当たり前に受けて入れてくれる子たちと。

「前の学校に戻れるよう、手続きを進めよう」

「あなた、もう少し律と話を――」

「もちろん、話はこれからしていくよ。でも、よりにもよってゲームでだよ? 律が熱中していて、僕らもそれを応援していて。その結果、律はルールを破った。僕らの約束を、破ったんだ」

「あなた……」

「成績は維持しているみたいだから、ゲームそのものは取り上げないよ。それが律との約束だからね。僕は、ちゃんと約束は守るよ」

 それで、その日の会話はおしまいだ。

 それから、ボクとお父さんとの会話の数は減っていった。

 お父さんはきっと、ボクに裏切られたと思っているんだろう。

 実際、ボクは約束を破ったことで、裏切ってしまった。

 両親に学校から家に連れて帰られたあの日から、ボクは学校には行っていない。

 家で大好きなゲームをしていても、プレイに身が入らなかった。

 ……どうにかして、今の学校に残れる方法はないかな?

 ずっと、それだけを考えていた。

 自分の起こしてしまった失敗なのだから、自分一人でどうにかしないと。そういう焦りで、胸が押しつぶされそうだった。

 そんな状態で、いいアイディアが思いつくわけがない。

 あれこれ悩んでいる内に、ゴールデンウィーク明けには前の学校に戻れるかもしれない、という話になっていた。転校して、風人たちと出会って、まだ一ヶ月も経っていない。

 ……やっぱり、ボクには無理なのかな? 普通の人たちと、一緒に過ごしていくのって。

 

 そう思っていた、ある日。

 その日両親は、央平小学校に出かけていた。ボクの転校手続きで、今の学校の書類が必要となるらしい。

 いよいよもうあの学校には通えないと、そう覚悟し始めているボクが待つ家に、両親が帰ってきた。

 帰ってきた、のだが――

「……おかえりなさ、え? 寿円先生? だけじゃなくて瞬に、白崎さん。それに、風人! どうしてボクの家に? なんで!」

「いや、似ているようで正反対の君が、大事なルールを先に破ったって聞いたからさ。僕も、たまには自分のためにワガママを言ってみようと思ってね」

 そう言って風人は、いつもと変わらない表情で、ボクに向かってこう言った。

「君を、笑顔にしに来たよ」

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