○第二章 <風人>
「掃除の時間までにはちゃんと帰ってこいよ」
聞こえているのかわからないけれど、僕は廊下に向かってそう言った。
昼休みとなり、柚木さんはまた瞬に連れられて教室を後にしている。
ゲームに迷う子羊たちのために、学校中を連れ回されているのだ。
車椅子なんていうのは、瞬の前では背が低いとか高いとか、そういうよくある個性の一つでしかない。
気にする人は気にするし、そうでない人はなんとも思わない。
「あの、弓取くん」
白崎さんが、僕の名前を呼んだ。けれども彼女の意識は、既に教室から飛び出た車椅子を押す一人の少年に向けられている。
「大丈夫かな? 柚木さん。瞬くんに連れ回されて、大変じゃないかな」
「うん、そうだね。確かに心配だね、柚木さんのことが」
そう言いながら、僕はどうしたものかと少し悩む。
白崎さんが気にしているのは柚木さんの方ではなく、もう一方だというのは恋愛経験がない僕ですら察せれていた。
……というか春休みに入る前に、メガネかけてない方が白崎は可愛いよ、とか言い放った僕の親友は、なんで気づかないんだろうなぁ。
自己紹介でもしっかりアピールしていたし、わざわざ『ぶるぶる』の対戦にもついてきたというのに、白崎さんが不憫過ぎる。
とはいえ、こればかりは僕も変に間に入れない。
確かに誰かの役に立つのは好きだし、笑顔を向けて欲しいと思うけれど、恋愛は二人いないと出来ないものだ。
そして両思い以外で、その二人が笑顔になることはない。下手にかき乱して、両方泣き顔になってしまうのなんて最悪だ。
……幸い、瞬も柚木さんも互いにそういう感じじゃないみたいだけど。
とはいえ、そんな事は白崎さんには関係ない。
というか、好きな男子に急に仲のいい女子が現れたら、誰だっていい気はしないだろう。
「まぁ、瞬が柚木さんにかまっているのも、彼女が学校になじむまでだよ。あの感じなら、今週中ぐらいには柚木さんも開放されるさ」
「だと、いいんだけど……」
そう言った白崎さんの不安は、残念ながら的中した。
どうやら学校でゲームに困っている、あるいは同じゲームの話をしたがっていた人は多かったらしい。
その結果、結構な数の生徒が内緒でゲームを学校に持ってくる事態に発展。そうした生徒の元へ瞬は柚木さんを連れて、翌週も校舎内を走っていた。
瞬の代わりに僕が柚木さんの車椅子を押すようなことを試しもしてみたけれど、いつの間にか瞬が僕らに追いついていた。
そもそも、一通りゲームをやるぐらい、瞬はゲームが好きだ。柚木さんのプレイを、ただ見たくて仕方がないのだろう。もはやファンになっているのかもしれない。
そうした日が一日一日過ぎるごとに、白崎さんの表情は曇り、僕も嫌な予感が増していく。
そして柚木さんが転校してきて、三週目。
僕の嫌な予感も、現実のものになってしまったのだった。
「皆、今この学校中にゲームを持ち込む校則違反が増えていることは、知っているわよね?」
今日の朝の会は、重々しく喋る寿円先生の言葉でスタートした。
いつもならクラスの誰かしらから十円先生という言葉が飛ぶが、とてもそんなことを言える雰囲気ではない。
理由は、先程先生が言った言葉が原因。しかもよりにもよって最初にゲームを持ち込んでいるのが見つかった生徒の学年は、小四。そう、あの中野先生に見つかってしまったのだ。
四年生全体で抜き打ちチェックを行い、かなりの数ゲームを持ち込んでいる生徒がいることが発生。これはまずいと、先生たちはチェックは全学年に広がった。
その結果は、先生たちの想像通りのものになった。
央平小学校全体でゲームの持ち込みが多数確認され、何故新学期明けにそんなことになったのか? という原因の調査を教師側が実施。そしてそれは、今もこのクラスで行われている。
……というか、もう結論を知ってるっぽいな。寿円先生。
「先生も、校則違反を知った以上無視出来ないわ。正直に答えてくれるかしら? 今学校のゲームブームを作ったのは、始業式の日に学校にゲーム機を持ち込んだ、あなたたちが原因なの? 瞬くん、柚木さん」
「先生。律は悪くない! 悪いのは俺だよ! 律の夢を笑って、律がスゲーゲーム上手いのを学校中に広めたのも俺だ。俺が律を連れ回してなければ、こんなことにはならなかったんだ!」
正直、その通りだと思った。瞬の親に連絡がいくのは確実で、これで少し反省して大人しくなってもらいたいとすら思う。
だが、瞬に対してその効果は薄そうだと、僕は感じていた。
だから、瞬はまだいい。こいつは怒られてもすぐにケロッとしているタイプだし。
でも、柚木さんは――
「……いいえ、ボクにも原因があります。確かにボクの夢は笑われましたが、最初にゲームで決着をつけようとしたのも、学校でプレイしようと言ったのも、ボクです」
柚木さんは、僕が思った通りの言葉を口にした。
彼女は、ルールに従うことをよしとしている。むしろ、ルールを破ることを嫌がっているように感じた。
もし彼女が嘘をつけたり、黙ったままでいられたのなら、柚木さんへのお咎めはなかったのかもしれない。
でも、彼女の性格では、それが出来なかった。
「……わかりました。昼休みに、二人とも職員室にきなさい。いいわね?」
寿円先生のその言葉で、重々しい朝の会が終わる。瞬と柚木さんが、席に戻ってきた。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「いやー、流石に今回は俺も――」
「お前はいいんだよ! 柚木さん、これって、多分柚木さんのお父さんとお母さんにも――」
「……うん。多分、連絡がいく」
「バレると結構マズいって言ってたけど、どうなるの?」
「え、マジで? めちゃくちゃ怒られるの?」
「……あははっ。まぁ、そうなるだろうね。最低限は」
そう言った柚木さんの表情は、固い。口数も少なくて、ずっと下を向いたままだ。
やがて昼休みとなり、瞬と柚木さんが職員室へと向かう。白崎さんはうつむいたまま、教室を出る彼らの背を見れないようだった。
その後掃除の時間になっても、二人はまだ教室に戻ってこない。
心配になりながら窓の外を見ると、学校の駐車場に見慣れない先生以外の車があった。そしてその車に向かい、車椅子を押す大人の男女の姿も。
多分、柚木さんのお父さんとお母さんだ。
「柚木さん!」
窓を明けて叫んだ僕を、柚木さんが驚いたような表情で振り向く。
そして、すぐに顔をぐちゃぐちゃにすると、車椅子を押す自分の両親に抵抗し始めた。
「嫌だ! やっぱりボク、帰りたくない! 帰りたくないよ! まだ、まだここにいたいよ!」
「こら、律、暴れるな! 危ないから!」
「落ち着いて? 律。大丈夫。帰ったら、ちゃんと話しましょう?」
「嫌だ、風人! 風人!」
でもその言葉は、車の扉が閉められた後聞こえなくなってしまう。
やがて柚木さんを乗せた車は発進し、そして、学校から姿を消した。
それから終わりの会となり、そこでようやく瞬も教室に帰ってくる。瞬のおじさんとおばさんも呼ばれていたのだろう。僕の親友の顔は、パンパンに腫れていた。
席につく瞬に、僕は小声で話しかける。
「ずいぶん、きついお灸をすえられたみたいだな」
「俺、知ってるぜ? じどーぎゃくたい、って言うんだろ? これ」
「ばーか。お前のは自業自得っていうのだよ」
「ちぇ、なんだよそれ。あれ? 律は?」
「先に迎えに来た車に乗って帰ったよ」
「そっか。それじゃ、明日だな。あいつも家でめっちゃ怒られてるだろうから、明日慰めてやろうぜ」
「今のセリフ、お前じゃなくて僕が言うべきセリフだからな」
そう言いながらも、気持ちは瞬と同じだった。
明日、また会える。
僕はなんの根拠もなく、そう思っていたのだ。
だから翌日、柚木さんが学校に登校していないのを知ると、僕は寿円先生が教室に入ってきた瞬間に口を開いた。
「十円先生」
「誰が十円か。五百円ぐらい――」
「柚木さんが、学校に来てません。風邪か何かですか?」
嫌な、予感がした。そして新学期が始まって早々、僕の嫌な予感は一度当たってしまっている。
一度あることは二度ある。今だけは思い出したくなかったことわざだけど、その言葉が頭の中にあふれ出していた。
そして残念ながら、現実はことわざ通りとなってしまう。
寿円先生は、なるべく感情を表情に出さないようにするかのように、一度深呼吸した後、こう言った。
「柚木さんは、転校することになりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます