○第一章 <風人>

「おはよう、弓取」

「弓取くん、おはよう。朝から悪いわね」

「いえ、好きでやっていることですから」

 職員室に向かう先生たちに挨拶をしながら、僕、弓取 風人(ゆみとり かざと)は花壇に水をやる。

 今日は新学期が始まる、始業式。それが始まる前に、僕は四年生最後となる終業式に頼まれた手伝いを、一人で淡々とこなしていた。

 水やりを終わり、ジョウロやホースをしまっているところで、僕はこの央平小学校(おうひらしょうがっこう)で一番仲がいいと自分では思っている先生の姿を見つけた。

「おはようございます。始業式があるとはいえ、今日はいつもより学校に来るのが早いね、十円先生」

「誰が十円か。五百円ぐらいあるわ」

 そう言ってポニーテールをなびかせたのは、寿円 桜華(じゅえん おうか)先生。寿円なので他の生徒からも十円先生と冗談で呼ばれていたりするのだけれど、そう呼べる時点で話しかけやすく、頼りになる先生だった。

「今年は五年生の担任ですか。大変だと思いますが、頑張ってください」

「……話していて毎回思うけど、君は本当に今日で小五なの? あと自分が関係なさそうに言っているけれど、風人くんは今年『も』私のクラスよ」

「知ってますよ。水やりをする前にクラス発表は見てきましたから。五年連続ですね。今年も何か、僕にお手伝い出来ることがあれば言ってください。微力ですが、お役に立てればと」

「君のそういう、誰かのために役に立ちたい、喜んでもらいたい、っていう気持ちとそれを実現する行動力は、正直とても嬉しいし、本当に凄いことだと思うわ。でも、あなたはまだ小学生なのよ? 無理なら無理、出来ないならここまでしか出来ません、って正直に言って、もっと他の人を頼ってもいいんだからね? 何度も言うけど、いいことなんだけど、風人くん、変に大人びたところがあるから、先生ちょっと心配しているの」

「わかってますよ。いつも先生、『ただ誰かに何かを教えたいだけなら塾の先生にでもなっている』って言ってますしね」

 寿円先生は僕らに対しても、変に子供扱いしないし、変に大人扱いもしない人だ。生徒のことを一人ひとり見ていて、出来ることはしっかりやらせるし、出来なくてもやろうとしているところはちゃんと手助けしてくれる。

 それぞれの花に合わせて水をやりすぎないように、先生は隣にいてくれる。だから皆、遠慮なく十円先生と呼べるのだろう。

「先生のお気遣いは、僕も非常にありがたいです。なら、今日は僕の助けは必要ありませんか?」

「……ゴメン、風人くん。新学期早々なんだけど、ちょっとだけ手を貸してくれないかな?」

「本当に、そういう素直なところが十円先生ですよね」

 五年生のクラス表を見たとき、なんとなくそう言われる予感があった。始業式があるとはいえ、いつもより先生が早く学校にいることからも、僕に何か手伝いを頼みたいのだと感じていたのだ。

「先生が言っているのは、クラス表にあった転校生のことでしょうか? 知らない方の名前があったので、なくそんな気がしていたんですが」

「察しのよさが相変わらず小五じゃないわね。でも、その通りよ、風人くん。その子が新しい私たちのクラスで上手くやっていけるように、それとなくサポートしてあげて欲しいの」

「わかりました。クラスの皆がはしゃぎすぎないように、気をつけておきます」

 僕が通う央平小学校は、漫画やドラマの舞台には絶対にならなさそうな学校だ。別にすごい都会にあるわけではないし、田舎すぎもしない、どこにでもありそうな普通の小学校。

 逆に言うと、そんななんでもない小学校に転校生がやってくるなんて、結構一大イベントとなる。

 転校生も新しい環境で不安もあるはずなので、皆がさわぎすぎると萎縮してしまうかもしれない。

 そうなりすぎないようにして欲しい、というのが寿円先生からのお手伝いの内容なのだろう。

「でも、新入生をクラスになじませるのなら、僕より瞬の方が適任じゃないんですか?」

 同じく五年連続で今年も同じクラスになる、同級生で学年どころか学校の中心人物のことを僕は思い浮かべる。

 瞬は正直、勉強は『もう少し頑張りましょう』なタイプだけれど、スポーツ万能で明るい性格をしている。

 良くも悪くも思ったことを口にしてしまう、はしゃぎすぎないように気をつけるべき最大の相手でもあるのだけれど。

「瞬に任せておけば、勝手に転校生の手も引っ張って、いつの間にかクラスの輪に入れてしまっていると思うんですが」

「それもそうなんだけど、先生はもう少しゆっくり段階を踏んで仲良くなってもらったほうがいいと思うのよね。当たり前だけど、クラスになじむのを全部風人くんに押し付けるわけじゃないから。そこは先生が責任を持つわ。大事な生徒ですもの」

 寿円先生の言葉から、転校生は大人しめな子がやってくるのだと、僕は勝手に思った。

 先生がはっきりそう言うことを口にしないのは、先生の見立てを伝えて、僕に転校生に対して変な先入観を持って欲しくないと思っているからだろう。

 五年も一緒に過ごしていればそれぐらいの信頼関係は作れていると思うし、責任を自分で持ってくれるという先生の言葉も、その信頼をより強いものにしていた。

「……なるほど。そういうことなら、それとなくやっておきます」

「ありがとう。最初はびっくりするかもしれないけれど、お願いね。転校してくるその子も、これから一緒に過ごすクラスメイトになるんですから」

「はい。それでは、また後ほど」

 そう言って僕は、職員室へ向かう寿円先生に手を振った。勝手に一緒に過ごす『友達』と関係を決めつけない思いっきりのよさが不思議と気持ちよくて、揺れる先生の結んだ髪が侍のちょんまげのように見えた。

 

「どんなやつがくるんだろうな? 転校生」

 始業式が始まる前から終わった今も、僕らのクラスの話題はそれでもちきりだ。

 僕でなくても、新学期のクラス表に見知らぬ名前が書いてあれば、流石に皆気づく。新学期なので座席も苗字順になっており、転校生の席は空席になっていた。

 大人は僕らを『子供』とひとくくりにすることが多いけど、子供の僕らも一人ひとり違う。確かに大人ほどいろんな経験はしていないけど、僕らは僕らにとって興味があることに夢中だし、アレルギーみたいに敏感だ。

 だから自分の新しい日常にやってくる転校生には、どうしても反応してしまう。

「おい、風人。お前、どうせ十円先生から転校生について何か聞いてんだろ? 教えろよ」

 そう言って、一番反応している薬王寺 瞬(やくおうじ しゅん)が肩を組んでくる。僕はそれを、うっとうしそうに引きはがした。

「知らないよ。流石に先生だってなんでもかんでも僕を頼るわけないだろ」

 実際には頼られているわけだが、それとなくやっておく、と先生に答えた以上、洗いざらい話すわけにはいかない。

 だが瞬は、それでも僕に絡んでくる。

「親友の俺をだませると思ってるのか? 『ただ誰かに何かを教えたいだけなら塾の先生にでもなっている』が口癖の十円先生が、転校生が来るのにそいつがクラスの輪に入れるよう動いてないわけねーだろ。俺に話が来てないってことは、お前の方なんだろ? 現実世界のしょーにんよっきゅーモンスター」

「なんなの? その自己満足前提の謎モンスター」

「しらね。ねーちゃんが言ってた。SNSで『いいね』押してもらって、褒められたい人のこと? らしいぜ」

「……僕、SNSやってないけど」

「だから現実世界の、なんだって。お前、先生だけじゃなくって、俺たちのお願いごとも聞いてくれるじゃん?」

「そりゃ、どこの誰かもわからない人なんかに認めてもらっても、なんとも思わないでしょ。むしろ怖くない? 瞬はいきなり知らない人から、『君、いいね』とか言われたら。夏休み前に先生に注意するように言われる不審者じゃん」

「なかにはいるんじゃない? 知らん人からでも『いいね』って言われたい人が。風人の場合、知ってる人みたいだけど」

「僕は、人が喜んでくれる人を見るのが好きだからね。ボタン押されただけじゃ、なんの感想も言えないよ」

「でも、風人のはちょっとやり過ぎじゃね? お前自分よりも他の人優先するだろ?」

「そういう意味でいうと、僕は目の前の誰かの笑顔に敏感なのかもしれないね」

「オトナに好かれそうなこといいやがって。でも、そのわりにお前、平然とルール破るじゃん? ほら、前に入院したやつのところに、飼育小屋からうさぎ盗んで持っていってさ」

「……あれはうさぎが小屋の外になれてないと、いざ外に出た時にストレスでアレルギーみたいにパニックになるからその訓練だ、って先生には納得してもらったじゃん。飼育小屋でも病気になるし、動物病院に連れてかないといけないことだってあるでしょ」

「だからって、人間の病院に連れてくか? というか、入院患者の病室にうさぎ連れ込むなよ。ルール違反だろ」

「病院は病院だよ。それにうさぎは窓の外から見せたから、厳密には病室には入ってない。ルールを守るのは大切だけど、それで不幸になるなら、なんのためのルールだよ、って僕は思うけどね」

 そう言うと、瞬はゲラゲラと笑い始める。

「普段スマホゲーで課金してーとか親にもワガママいわねークセに、お前は本当にそーゆーとこあるよな。俺なんて、いっつもかーちゃんと動画サイト一分見るのに毎日ケンカしてるってゆーのに」

「……そういえば、あんまり僕が欲しい物言わないから、親が友達と一緒に遊べってゲーム買ってくれたことあったな」

「『大混戦アタックスクアード』だろ? あれハマったよなぁ。風人もかなりやり込んでただろ?」

「対戦プレイもあったしね。バトルロワイヤルだと、対戦成績は瞬の方がずっとよかったけど」

「でもチーム戦でお前と組むと、何故か一人でやるよりも活躍出来るんだよなぁ。それでハマって、新シリーズは今でもたまにやるもん、俺」

 上手いこと転校生の話題から別の話にそらせたな、と思いながら、僕は隣の席を見る。

 そこは空席になっており、どうやら僕の隣の席に転校生がやってくるようだ。

 しかし僕には、それ以上に気になっていることがある。それは――

 ……椅子、置き忘れかな?

 瞬の話を聞き流しながら、机しか置かれていない隣の席を眺めていると、寿円先生が教室に入ってきた。

「はいはい、皆席について。休み中は皆元気に、だから十円じゃなくて五百円ぐらいあるわ。え? 転校生? 皆静かにしてくれないと紹介出来ないわねぇ」

 なれたようにクラスを黙らせて、寿円先生は教卓の前で満足気に頷く。

「よろしい。それじゃ、入ってもらえるかしら?」

 先生のその言葉で、教室の扉が開かれた。

 転校生がクラスに入ってくると、教室中にざわめきが起こる。それは珍しい転校生に興奮したものだったり、あるいは戸惑っているような、いろんな感情が入り混じった反応だった。

 教室に入ってきたのは、一人の女の子だった。髪は短めで、どちらかといえばボーイシュ。そして雰囲気は大人しめ、というわけでは全くなく、むしろちょっとキツめな印象だ。

 転校生は先生に押されて、黒板に自分の字を書く。チョークで書かれた名前は――

「柚木 律(ゆのき りつ)と言います。今日から央平小学校に通うことになりました。皆さん、よろしくお願いします」

 車椅子に乗った少女、柚木さんは、僕らに向かって頭を下げる。

 なるほど、確かに車椅子なら、改めて椅子は必要ないだろう。

 ……『最初はびっくりするかもしれない』って、そういうことですか。十円先生。

 確かに、事前に聞いていなかったら僕も少し動揺していたかもしれない。

 それに苗字が弓取(僕)と同じ『ゆ』なので、転校生は僕の隣の席になる。会話する機会も多そうなので、寿円先生が瞬より僕に話を持ってきた理由が何となく理解できた。

 そう思っていると、苗字が僕(『ゆ』)の一つ前の薬王寺(『や』)になる瞬が、後ろを振り向く。

 あまり驚いていなさそうな僕を見て、瞬が自分の席から『やっぱり知ってたんだろ』という視線を向けてきた。

 そんな僕は肩をすくめて、本当に何も知らなかったと意思表示を返す。嘘はついていない。転校生が車椅子だというのは、今このタイミングで初めて知ったのだから。

 しかし瞬には相変わらず睨まれているので、残念ながら僕の考えは親友には伝わってくれていないようだ。

「柚木さん。他に自己紹介で言っておきたいこととかある? 好きなこととか、ハマっているものとか」

「そうですね。ゲームが好きです。将来、eスポーツ選手になるのが夢です」

 先生に促されて発せられたその言葉に、教室がまたざわめいた。それはプラスのものもあれば、マイナスな反応も含まれているように感じる。

「それじゃあ、柚木さんの席は風人くんの隣ね。ほら、あそこの席よ」

「わかりました」

「それじゃあ、連絡事項を伝えるわね」

 転校生が車椅子を動かし、僕の隣にそれを止める。

 寿円先生の話を聞きながら、転校生がこちらに向かって内緒話をするように口を開いた。

「これから、よろしく」

「よろしく。ゲーム、好きなんだ」

「……うん、好き。入院中とか、やることなかったから。風人、くん? は、ゲーム、したりするの?」

 最近は軽くスマホゲーに触るだけだったけれど、今は瞬とさっきまで話していたソフトの名前が頭に浮かぶ。

「ちょっと前のになるけど、『大混戦アタックスクアード』は結構友達とやってたよ」

「え! ボクもあのゲーム、あ、ごめんなさい……」

 声が大きくなってたのに気づいたのか、柚木さんは体を縮こまるようにして寿円先生に謝る。

「早く仲良くなりたいのはわかるけど、もうちょっとだけ我慢して。先生もなるべく短めに、おい、お前の話の価値は十円しかない、は言い過ぎだぞ」

 教室がドッと沸き、つつがなく皆の自己紹介も終わった。その後冬休みに出されていた宿題が回収され、残るは学級指導のみ。それが終われば、今日はもう何事もなく家に帰れるだろう。

 そう、思っていたのだけれど――

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