第2話

 ミーティングの翌日、クラス委員の元へ行き、昨日の議題と仮案を報告した。ランキング表を掲示するスペースが確保出来たことを伝えるとクラス委員は満足気に頷き、「でも」と言葉を継いだ。


「ゲームのお品書きを看板にして一緒に置かせてもらえないかな。あんまり大きくなくていいから」

「わかった。相談してみる」


 ランキング表の下に立て看板でも置けばいいか、と予想図を思い描く。それならばスペースを今以上に広げてもらわなくても済む。念のため、翠に相談して了承を得られれば制作に取り掛かればいい。

 そう算段をつけた機会は昼休みに訪れた。




「あ、コマちゃん」

「へえっ!?」


 ジュースを買いに自販機に向かう途中、耳の下で結った髪を揺らす後ろ姿を前方に見つけた。ちょうど良いタイミングだと思い、咄嗟に声を掛けてみたのだが、呼ばれた本人は素っ頓狂な声を上げてこちらを振り返る。

 

「あっ、ごめんね。急に後ろから呼ばれてビックリしちゃった」


 パタパタと手を扇のように揺らして仰いでいるのは照れ笑いを浮かべた顔。


(そういえば名前を呼ぶのも初めてだ)


 これまでの純太は彼女の名前すら認識出来ていなかった。

 だというのに、つい昨日の気安い雰囲気でみんなと同じ呼び方をしてしまったことにようやく気付く。

 昨日の今日でこんな接し方をされては複雑な思いを抱いても仕方ないだろうに、こちらに非はないとでも言うように明るく笑い飛ばしてくれる態度に翠の思いやりが窺えた。


「驚かせてごめん。ちょっと委員会のことで話があって」

「あ、うん」

「ホールに追加で看板を置いてもいいかな? ランキング表の下にでも置ければいいんだけど」

「うん、いいよいいよ。あのスペースは床から天井まで四組のものだから」


 頷く翠の眼鏡フレームが光を拾って反射する。派手すぎない桜色が似合っているな、と頭の片隅で思う。


「委員長にも伝えた方がいい?」

「私、行ってくるよ」

「え、悪いよ」

「うちのクラスも変更があるから元々話しに行くつもりだったんだよ。だからそのついで」


 気取らずそう言った翠はブレザーのポケットからスマホを取り出してチラリと液晶に視線を落とす。


「うわ、もうこんな時間。昼休みが終わる前に行って一緒に伝えてくるね」

「何だか、こま、ちゃんにばかり動いてもらってごめん」


 駒井さん、と呼び直そうかと一瞬思案して止めた。ここで接し方を変えればまた気を遣わせることになると思ったからだ。


「委員長は中学の部活の先輩だから、お互い話しやすくて楽なんだよ」

「そっか、ありがとう」

「どういたしまして。じゃあね」


 掌からポケットへするりとスマホを滑らせると、手を振り去っていく。

 たった一日しか経っていないというのに、その足取りは軽快で昨日の去り際とはまるで違う。

 周りから見ても、ごくごく普通の同級生らしい会話をした二人の間に振った振られたの後ろめたい感情は見えなかっただろう。

 しかし、それは翠の気遣いで成り立っているものだ。彼女が何もなかったように振る舞ってくれるから、純太はそれに合わせているだけに過ぎない。

 純太の中でまた小さな後悔が積み重なった。



◇◆◇



 電車に揺られ、駅で降り、五分も歩けば住宅街に入る。

 ほんのり茜色を纏い始めた秋空の下を歩く純太は、自宅前に若い女性が立っていることに早々に気付いた。思わず浮かべてしまった渋い顔を隠すこともせず、女性の前を素通りして門扉に手を掛ける。しかし予想通り、すんなりと家に入ることは出来なかった。


「あの、ここ真野圭太けいたくんのお家ですか?」

「違います」


 振り向きもせずにそう答えて門扉のハンドルを回す。


「でも名簿の住所を見て来たんですけど」

「間違いじゃないですか」


 門扉を引いて真野家の敷地に入る。意識してハンドルを強めに引き戻せば、ガシャンと耳障りな音が住宅街に響いた。


「知らない人が家の前に立ってると怖いんで帰ってもらえません?」


 肩越しに睨め付ければ明らかに不満げな顔をする。逆ギレかよ、と心の中で毒づいて、語気を強めて言い捨てた。


「通報しますよ」




 階段を上りきると圭太が廊下に立っていた。


「おかえり、純太」

「ただいま。兄ちゃん、さっきの友達じゃないよな?」


 確信を持って尋ねれば、兄が申し訳なさそうに首肯する。


「知らない子。ごめんな、純太にも迷惑掛けて」

「兄ちゃんは悪くないし。向こうが非常識なだけ」


 現在大学生の兄は弟の純太から見ても容姿が良い。

 高校時代にはバスケ部に所属し、キャプテンを務めていたこともあって学内で有名だったらしいのだが、県大会で準優勝という見事な成績を収めたためにその名は広く知られてしまった。

 地方誌にインタビューが写真付きで掲載されたことが拍車を掛け、他校の生徒までもが学校にやって来たという。一般人にはそれだけでも煩わしいことなのに、とうとう自宅にまで押し掛ける者が現れたときには、常日頃明るい兄が心底疲れた顔で家族に謝罪した。

 それには純太はもちろん、両親も怒りを覚えた。圭太は部活に真摯に打ち込んだだけで悪いことなど何一つしていない。謝ることなど何もない、と。


 家族で相談し、押し掛けてきた女性には両親と純太で対応することにした。圭太の友人たちにも協力してもらい、圭太が友人と会うのは真野家以外と決めている。

 大学生になって押し掛けの頻度は下がったものの、時折あのようにして現れる女性は圭太と面識のない者だとわかっているから純太は強気で出ることにしている。


「マジで気にしなくていいから、今度ラーメンおごって」

「わかった、美味いとこ見つけたから連れてってやる」


 兄らしい爽やかな笑顔が戻ったことにホッとして自室に入る。スクールバッグをどさりと床に落とし、着替えもせずにベッドにうつ伏せた。


(あの子は違うんだよなぁ……)


 兄の顔と肩書きに群がる女子を何人も見てきた。純太が橋渡しを頼まれたこともあった。兄の性格も好きだという者も中にはいるかもしれないが、迷惑を顧みずに押し掛ける時点でアウトだと純太は思っている。


 でも翠はどうだろうか。

 彼女は『知らない人』ではなく『知らないと思っていた人』だ。

 純太が気付いていないだけで接点はあった。委員会活動中に特別会話を交わした記憶はないが、純太がうっすらと翠の後ろ姿を記憶していたように、彼女にも純太の何かが引っ掛かったのだろうか。

 純太の内側を見てくれていたのだろうか。


(そんなこと本人に聞けるわけないし)


 純太は兄とそっくり似ているわけではない。だから容姿に惹かれたわけではないと思う。だったら何だろう、とぼんやりと部屋の片隅を見て考える。

 しかし不毛な思考を巡らせていることに気付き、すぐさま我に返った。


(断っといて何考えてんだ)


 ぐりぐりと枕に頬を擦り付ければ、ひりつく痛みで頭が冷える。

 まずはやるべきことがあるだろう、と自分に言い聞かせた。


「謝りたいな……」


 『知らない人』呼ばわりを謝罪したい。でも、どうやって。

 再びあの話題を出すことにより、更に傷付けたり気遣わせたりする可能性は十分にある。

 そもそも彼女が謝罪を望んでいるかもわからない。わだかまりをなくすことですっきりしたいのであれば、それはただの自己満足だ。

 隣のクラスで、同じ文化祭実行委員。どうしたって顔を合わせることはある。


「あー……」


 思わず吐いた溜息は枕に吸われて消えた。

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