コマネズミの恋

河原巽

第1話

「あの、真野まのくん、もし彼女がいないなら付き合ってもらえませんか」

「ごめん、俺、知らない人とは付き合えない」


 真野純太じゅんたがそう答えると眼前の少女は僅かに目を見開き、告白によって染まった頬の朱を一層濃くした。


「あ、そうですよね。親しくもないのに急にこんなこと言われても困りますよね、ごめんなさい」


 淀みない早口でそう言うと、セミロングの髪をサラリと揺らして頭を下げる。

 断ったのはこちらだというのに、そんな姿を見せられると素気すげなく断った純太にもいくらかの申し訳なさが募る。しかし伝えた言葉は偽りない気持ちなので、これ以上どうしようもなかった。


「いや、こっちこそごめん」


 もう一度謝罪を口にすると、少女は眉をハの字にして薄い笑いを浮かべ、会釈を残して中庭を去った。



 レポート用紙の残り枚数が気になり、購買へ赴いた昼休み。

 目的を果たして教室へ戻ろうとした純太はすれ違い様に女子生徒に呼び止められ、中庭へと連れ出された。

 まさか自分がこんな経験を、と思う反面、緊張した面持ちの女子にこんな場所へいざなわれるからには脳裏に浮かんだ可能性は否定出来ない。

 想像した通りに話は展開し、純太もまたあらかじめ用意していた答えを差し出したのだが、足早に校舎に消えた彼女を思うとやはり後味の良いものではなかった。

 自意識過剰だとしても呼び止められた時点で何かと理由を付けてかわすべきだったのだろうか。ずり落ちそうになったレポート用紙を掴み直しながら後悔の念を抱く純太だったが。


 更に後悔することになるのは、僅か四時間後のこと。



◇◆◇



 放課後、純太は多目的ルームにいた。文化祭実行委員の定期ミーティングが行われるため、メンバーが揃うのを席に着いて待っていた。

 誰と会話をするでもなく、頬杖をついてぼんやりと黒板を眺める。到着した生徒たちが視界を通り過ぎていく中、ふと一人の生徒に視線を奪われた。

 リュックサックのショルダーストラップを両手で強く握り締め、心なしか前傾姿勢で顔を俯かせて歩いている。耳の下でツインテールを作ったその女子は、純太の隣でリュックサックを下ろした。


(マジか……)


 カタンと小さく椅子を引く音と、微かに聞こえる衣擦れの音。極力音を立てないように気遣っているであろうことが窺える。

 一方の純太はといえば、だらしなく頬杖をついた姿勢のままでピクリとも動けずにいた。内心にはだらだらと嫌な汗が流れ、ふらふらと目が泳ぐ。泳ぎはするが、隣の少女には向けられない。


(昼休みのあの子、だよな)


 髪型が違う。桜色の眼鏡フレームも昼休みには掛けていなかった。

 しかし確信はあった。いくら『知らない人』と称したとは言え、至近距離で見た顔をたった数時間で忘れるわけがない。

 意を決し、そっと隣を盗み見る。机にでんと置かれたリュックサックが壁になり、その影に隠れるように座る彼女は顔を背けるという念の入れようだ。


 やはりそうだ、と納得する一方、恐ろしいことに気付いてしまう。

 今は十月、文化祭実行委員のミーティングは一学期は月に一度、二学期に入ってからは月に二度行われている。そして座席は学年とクラス順で固定されており、純太も彼女もいつも同じ座席に座っているのだ。


(あー……すっごく失礼なこと言った……)


 親しい口を利いたことはなくても、同じ委員会のメンバーとして複数回肩を並べている。その相手に対して『知らない人』はないだろう。

 彼女にしてみれば委員会の仲間という括りにすら入れてもらえないのか、とショックを受けても仕方ない。

 断りを口にしたときの少し驚いた顔を思い出し、益々申し訳なさが湧いてくる。


 机に突っ伏したい気持ちを堪えて息を潜めていると、実行委員長が教壇に立つ。すでにメンバーは揃っていたらしく、ミーティングが始まった。

 居住まいを正しはしたものの隣の存在が気になってしまい、聞かなければいけないはずの話が耳を素通りしていく。しかし委員長の一声で急速に意識が引き戻された。


「ちょっとコマちゃんいいかな?」


 教壇からの呼び掛けに隣の女子が「はい」と答えて立ち上がる。そそくさと前に出た彼女が委員長と話し合っている隙に、反対隣の女子生徒に小声で問い掛けた。


「コマちゃんのフルネームって何だっけ?」

「コマちゃん? 駒井こまいみどりちゃん」

「そっか、ありがと」


 駒井でコマちゃんか、と得心する。

 礼を述べて再び前方に視線を戻せば、机に並べられた資料を委員長の言葉に頷きながらあちこち見比べている後ろ姿が見える。小柄故か、きびきびと素早く動くその姿にはどことなく既視感を覚えた。


(プリントとか配ってくれてたっけ)


 不真面目ではないけれど熱心でもない、程々の気持ちで参加してきた文化祭実行委員のミーティング。そんな意識でいた純太は与えられた指示に従って話し合いに応じてきたけれど、円滑な進行を支えてくれる人たちのことまではしっかりと見ていなかった。

 委員長と一緒に細々と作業をしていた女子生徒にはうっすらと見覚えはあるものの、それが中庭の少女とも駒井翠という名前とも結びつかなかったのだ。

 明らかな非は自分にあり、ずしりと罪悪感と後悔が積み重なる。


「二階のホールの割り当てを決めるから、みんな集まってもらってもいいかな?」


 一枚の用紙を手にして戻ってきた翠が発した声は昼休みに聞いたそれと同じだ。

 机上に鎮座していたリュックサックを足元に下ろした彼女は二年生の委員を呼び集める。純太は居心地の悪さを感じながらもそのまま座り続け、他の者たちが翠の周囲を取り囲む形になった。


「さっき先輩も言ってたけど、ホールに各クラスの出し物の補助とか看板を置けるんだって。こんな風に置きたいって希望とかあるかな?」


 プリントに描かれたホールの平面図をシャーペンで指し示しながら要領よく話を進めてくれる。


「うちのクラス、スタンプラリーのスタンプ台置きたい。わざと死角作ってわかりにくい場所に置くことは出来る?」

「他のクラスの看板とかで隠してみたら?」

「俺んとこ、お化け屋敷だから派手めの看板作るし、それを壁にしなよ」

「六組は脱出ゲームやるから案内人用の机と椅子を一人分置かせて欲しいな」

「コマちゃんのクラスはカフェだっけ?」

「うん。メニュー看板作って置かせてもらおうかなって思ってる」


 ぽんぽんと会話が飛び交う。その間にも彼女は手元のプリントに出された要望を書き込んでいく。


「真野くんのクラスは何か希望とかある?」


 何となく翠の手の動きを追っていた純太に質問が飛ぶ。思わずハッと顔を上げると、他のみんなに対するのと同じようににっこり笑んだ翠がこちらを向いている。

 さっきまでの潜むような態度とは打って変わったそれに、気遣わせていることを瞬時に悟った。


「うちはゲーム大会やるから壁にランキング表を貼らせて欲しいかな」

「じゃあ見やすい場所がいいね」


 彼女の思いやりに報いるために努めて平静に返せば、純太の要望も紙面に綴られていく。横から見ていても几帳面で綺麗な字だとわかる。

 みんなで頭を寄せ合い、平面図に走るシャーペンを追い掛けながら意見を交換すれば、気まずさを感じるどころではなくなっていった。


「じゃあ仮の案ってことで提出してくるね」


 翠の巧みな進行でそれぞれの案は着々とまとめられた。各々の希望を盛り込んだプリントを持って立ち上がった彼女は教壇近くの三年生の塊に歩み寄り、委員長と何かを確認するように何度か頷き合う。


「二年はもう帰ってもいいって」


 こちらに向き直る翠が明るくそう告げれば、周囲の仲間からは「お疲れ」と労いの言葉が飛ぶ。まだ一年生と三年生が話し合いを続けているところを見ると、委員長が彼女を選んだのはこうなると見越してのことなのだろう。


「まとめてくれてありがとう。お疲れ様」


 一対一での会話となると緊張感は拭えないが、勇気を出して感謝の気持ちを率直に伝えた。

 筆記用具を片付けていた翠はポカンとした顔でこちらを仰ぎ見て、そして気の抜けた笑顔を返してくる。


「うん、お疲れ様」


 距離が縮まったように感じるのは敬語が抜けたからか、と気付いたのは帰りの電車の中だった。

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