一章_02

 父の晩酌あとを片づけたサラは火打石を使って火をおこし、竈に火を付けて昨日のスープの残りを温める。スープを温め終わるとすぐに竈の炭は火消壺の中に入れた。薪や炭の無駄遣いが出来るほど裕福な暮らしではない。


「お父さん、朝だよ。起きて」


「ん…あぁ…うん……」


 サラが寝室のほうへ声をかけると父親の微かな返事が聞こえた。


「スープ冷めちゃうよ」


「ん、分かった……」


 ボーっとした表情で起きてきたギルは「おはよう、サラ」と言って食卓についた。サラはギルの前にスープとパンを置き、自分の席にも同じように食事を置くと彼女も椅子に座る。二人は食事を前に祈りを捧げるとパンを手に取った。


「お父さん、またお酒、片づけなかったでしょ!?」


「あ、あぁ、すまん。 忘れてた」


「まったくもう!」


 サラは頬を膨らませ、パンをちぎってスープに浸しながら父に小さな怒りを向ける。


「悪かった、悪かったよ。気を付ける」


 手早く食べ終わったギルは娘の可愛らしい怒りに苦笑して立ち上がる。


「じゃあ、井戸で顔を洗ったら行ってくる」


「今日も畑?」


「あぁ、そのあとに村の周りを見てこようと思う。 そろそろコボルトの繁殖期だ。興奮したヤツや縄張り争いに負けた雄が村や畑に入り込んでくる可能性があるからな」


「そっか、気を付けてね」


「あぁ、分かった」


 ギルは玄関近くに立てかけてあった剣を手にして扉に手を掛ける。剣の鞘や柄には、こんな田舎村の農夫が持つには似つかわしくないほど美麗な装飾がされていた。全体的に様々な花々や蔦がかたどられた剣は、背が高くがっしりとした体格のギルが持つにはあまりにも優美に過ぎてアンバランスな印象である。


「じゃ、行ってくる」


 扉を開けて家を出るギルの背にサラは「いってらっしゃ~い」と軽く手を振った。


 朝食を食べ終えたサラは食器を片付け、あらかじめ汲み溜めてあった水瓶の水を使って洗い終えると掃除をしようと箒を手にする。と、そのとき足元に気配を感じて見下ろすと「あっ!」と驚いて声を出す。


「スライム!」


 サラの足元で大人の拳大のプルンプルンしたゼリー状の物体が揺れて動いていた。


「ホントにこいつら、どこから入ってくるのよぉ…… まだ分裂してないでしょうね? 一匹いたら五匹いると思え…って、はぁ…嫌んなるよ。気持ち悪いし」


 サラは玄関扉を開けると、箒の先で「えい、あっち行け、あっち」と、スライムをちょんちょんと突つき、誘導して外に出した。スライムと一緒に外に出ると「おはよう、サラちゃん」と声がかかった。


「あ、おはようございます。ジグおじさん」


「朝っぱらからスライムと格闘かい? はははははっ」


「笑いごとじゃないですよぉ…… ちゃんと掃除してるのにぃ……」


「仕方がないさ、ちょっとした食べこぼしでも狙って入り込んでくるからね。 まぁね、イライラするのも分かるよ。潰すわけにもいかんし」


「簡単に潰れるくせに潰すと病気持った液体が飛び散るってホント迷惑です!」


「あとでスライム除けの薬わけてあげるよ。仕事帰りでいいかい?」


「ホントですか?! ありがとうございます。作り置き、使い切っちゃったばっかりだったんです」


「困ったときはお互い様さ。じゃ、またね」


 手を振りながら畑のほうへと歩き始めたジグにサラは手を振り返す。そして、せっかく箒をもって外に出たんだからと、玄関先の掃除をし始めた。

 掃除をしながらサラは考える。スライム除けの薬をくれるって言っていたが貰いっぱなしは悪いなと、確かオークの干し肉が結構あったな、お礼にちょっとあげればいいかな、と考えながら掃除をするサラに今度は若い女性の声がかかる。


「おはよう、サラ」


「あ、リノお姉ちゃん。 おはよう」


 三軒先に住む、サラよりも二つ年上のリノという娘であった。サラより少し背が高く、髪色もほとんど同じ。並んでいると本当の姉妹のように見える。


「明日からの祠の掃除とお祈り、よろしくね」


「うん、分かった」


「ふぅ…… 今日の御勤めでわたしの当番も終わりね。 面倒くさかったけど、そう思うとちょっと名残惜しいかな?」


「そっか、リノお姉ちゃん来年になったらヤナ村にお嫁に行くんだっけ。 寂しくなるなぁ」


「ふふっ、あんたも早く良い人見つけなさいよ」


 幸せいっぱいの笑顔で笑いかけるリノに向かってサラは不満げに「最近みんなそればっか」と頬を膨らませて言う。


「そりゃそうよ、年頃なんだもん。 じゃ、明日からよろしくね」


「はーい」


 手を振って立ち去るリノにサラも手を振り返す。掃除を再開し、やがてやり終えたサラは箒を片付けると自作の網カゴを持ち、中に数切のパンとオークの干し肉を入れる。

 外に出たサラは井戸で水を汲み、水筒に注ぐとそれをもって畑のほうへと向かった。


「お父さん、おやつ!」


 淡い髪色の多い村人の中にあって赤茶色の髪の父は見つけやすい。

 畑作業をしていた父親に向かって網カゴを掲げてサラは叫ぶ。「おう!」と返事をして屈んでいたギルは立ち上がった。


 日はまだ中天に達していない。しかし朝は簡単に済ませているためにギルは既に空腹であった。


 ギルはサラの許まで来ると二人して草むらに腰を下ろし、サラの差し出すパンを受け取りギルはかぶりつく。水筒も受け取り喉を潤したギルは「フゥ……」と大きく息を吐いた。


「見回りはまだでしょ? 畑はやっておくね」


 パンを齧りながらサラは言う。「おぅ、頼む」とギルは言いながら網カゴをに手を突っ込み干し肉を手に取ると口に運んだ。


「さっき、ドランとグンの親子に会ったが、森の奥のほうの罠にコボルトの雄が三匹掛かっていたらしい」


「三匹も! いいなぁ、毛皮けっこう高く売れるんだよねぇ」


「ふっ、まぁそうでもないさ。この時期は縄張り争いが激しいからな、数は捕れるが傷だらけで価値はだいぶ下がる。 しかも発情期の雄の肉は臭すぎて食えたもんじゃないし、毛皮も臭い。においを取るのが大変だ」


「確かに…… あれは二度と口にしたくないね」


 子供の頃、サラは何かの間違いで発情期の雄のコボルトの干し肉を口にしたことがあった。不作の年だったため非常食にと作られたものだったのだが。

 結果、幼い彼女は大泣きして吐きまくり、三日近く口に残る悪臭にのたうち回ったのだった。


「はははっ、あれは傑作だった!」


「お父さん!!」


「はははははっ、じゃあ、見回りに行ってくる。 畑、頼んだぞ」


 立ち上がったギルは剣を腰に村はずれのほうへと歩いて行った。

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