一章_人狩りの軍と村娘
一章_01
男は屈んでいた体を起こして背をグッと伸ばし、首からかけた布で汗をぬぐった。赤茶色の髪に茶色の瞳、ただの農民とは思えないほどの筋肉に覆われた大柄な男である。
「お父さーん!」
声のするほうを振り返った男の視線の先に、小さな丘を亜麻色の髪の少女が勢いよく駆け下ってくる。
「サラ! 危ないぞ、転ぶ!」
男が言ったそばから、少女はつまずいて盛大に転んでしまった。
「ああ、ほら、言わんこっちゃない!」
呆れながら娘に駆け寄った男は「大丈夫か?」と手を差し伸べる。手を取って立ち上がった少女は恥ずかしそうに「うん。ありがとう、お父さん」と言って笑った。
「サラ。 その花はどうした? 摘んできたのか?」
サラと呼ばれた少女は白い花を抱えるように持っていた。転んだ際にも抱えていた花を守るようにして転んだようだった。
「うん。 お母さんにお供えしようと思って。 綺麗だったから」
娘の頭に手を置いて「そうか」と言って微笑む男の背に老人の声がかかる。
「ギルさん、今日はもういいよ。 ありがとう、後は自分でやるからさ」
「でも爺さん、まだ残ってるぞ? 腰は大丈夫なのか?」
「いやいや、世話にばかりなるわけにもいかんて。 それに今日は腰の調子も良くてな。 ほれ、サラちゃんと一緒に墓参りにでも行ってきたらどうだね?」
「そうか、では。 また何かあったら声かけてくれ」
「あぁ、ギルさん。 頼りにしてるよ」
老人と別れたギルは娘のサラと並んで村の共同墓地に向かって歩き出す。墓所の中の一角にある、大きめの石を幾つか積んだだけの粗末な墓の前にまでやってきた二人は石についた苔を取り除き、花を添えて胸元で手を組んだ。
「そうだ、墓参りで思い出したが、明後日から持ち回りの祠の掃除係だったな。 頼むぞ、サラ」
「うん、わかった」
顔を上げたサラの視線の先、共同墓地の奥にある木々に隠れた小さな洞窟の奥に村の守り神を祭った祠があった。そこは村の若い娘が交代で掃除をすることになっている。今、村には独身の若い娘は三人おり、半年おきに交代で定期的に掃除をしてお祈りをする当番が回ってくる。
「さぁ、帰ろうか」
ギルがそう言うと、娘のサラは「うん!」と答えて父に寄り添う。父の腕につかまりピタリと体を引っ付けたサラは少し顔を
「お父さん、汗臭い」
それでも離れようとしないサラは楽しそうに父と帰路についた。
村の中の小さく粗末な家屋で、サラは二人分の食事を並べていた。その姿を見ていたギルはここ最近いつ言いだそうかとしていた疑問を口にする。
「なぁ、サラ。 お前、結婚とかどうするんだ? いい人はいるのか?」
狭い村の中、父親の目から見ても美人と思う娘に男の影があればあっという間に噂は広まるだろう。年齢も十五歳になる。それが噂ひとつ無いということは返事はわかりきっていたようなものだったのだが。
「いないよ。 お父さんを一人にして結婚なんて出来るわけないじゃない」
やはり、ギルの想像通りの答えが返ってきた。父親のせいで結婚できないと言いながら、それが苦というわけでもなく笑っているサラ。しかしあえてギルは言う。
「俺のことなんて考えるな。自分の幸せだけを考えろ。 それに村の中での結婚だったら、住む場所が変わったっていつでも会えるだろう」
「はいはい、ちゃんと考えてますよ~。 でもね、わたしは今が幸せなの。 はい、出来たよ。食べよ」
サッと用意された品数の少ない粗末な夕食を前にし、二人は手を組んで村の守り神に感謝を捧げて料理に手を付け始めた。
食事が終われば、後片付けをして眠るだけである。貧しい田舎の村では灯は貴重で、出来ることはすべて明るいうちにやってしまう。暗くなったらすぐに寝て、まだ薄暗いうちに起き出て仕事に行く。親娘の生活はそんな普通の繰り返し、しかし二人にとっては静かで幸せな生活の繰り返しだった。
寝藁に毛皮を敷いただけの簡単な寝床に転がり藁を被って眠る娘の横顔を見ながら、父親のギルは「エルザに似てきたな」と呟いて木の椀に注いだ安酒を口にして笑む。
「性格も似すぎだ。 俺にベッタリなところとかな」
と言って、満更でもなさそうにフッと笑う。
「だがなぁ…… 流石にこのままではな。父親離れして、早いとこ幸せになってもらいたいもんだ」
グッと残った安酒を飲み干したギルは立ち上がると自分の寝藁の許へ歩いていき、寝転がるとすぐさま
翌朝、薄暗い中で起きたサラは「んん~っ……」と伸びをし、ポリポリと頭を掻きながら起き上がると、服に付いた寝藁をパンパンと軽く払う。
寝ぼけ眼で薄暗い寝室の中を見渡すと、小さな机の上に陶器の酒瓶と木の椀、つまみが載っていた小皿が置かれているのを見つけ「あぁ~」と少し非難めいた声を出す。
「お父さん、また飲みっぱなし。 片づけてよね、まったく!」
そう言いながら、気持ちよさそうに眠る父をジトっと見て言う。
「もう、しょうがないなぁ。 世話がやけるんだから」
さほど怒ってもいなさそうな雰囲気で、酒瓶と椀を手にしたサラは寝室を出ていった。
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