一章_03

 翌日の朝、いつも通りに父親を仕事に送り出したサラは、いつも通りに家の内外を軽く掃除していた。


「サラお姉ちゃーん! 本読んでー!」


 本を抱えた小さな男の子と、その子よりも更に小さな男の子が息を切らせて駆けてきた。

 本は貴重である。村長が管理する村の共有資産の扱いであった。男の子はそれを借りて持って来たのだった。


「いいよ、村長さんに借りてきたの? この前の続き?」


「うん、『勇者ブレイブスの冒険』!」


 ずいっと本を前に出し、少年はサラを見上げて笑った。サラは少年の頭を撫でて本を受け取ると、玄関先にある腰掛けるのにちょうど良さそうな岩に座って本を開く。

 少年はサラの近くに腰を下ろし、年少の男の子はサラと本の間に「うんしょ!」っと潜り込むようにしてサラによじ登り、彼女の膝上に納まった。


「前の続きは……っと」


 挿絵の多い、少し大きな子供向けの冒険譚である。しかし字が読めない人の多い村では簡単な本であっても読める者は限られる。サラは亡くなった母の教育のおかげで文字の読める数少ない村人の一人であった。


「ここかな? ガハハハッ!よく来たな、勇者ブレイブスとその仲間達よ! 我は魔王四天王の一人ガサーツである! そう言ってガサーツは手に持っていた金棒を――」


 台詞に感情を込めて少し大げさに読みだしたサラの声に少年たちは目をキラキラさせて耳を傾け始めた。


「――戦士ファイタンはガサーツの金棒を躱し、大きく振りかぶった斧を振り下ろした。同時に魔道士マジークの魔法が飛ぶ! ぐわぁぁぁぁぁっ!!っとガサーツは――」


 いつの間にか年少の男の子を下におろし、岩の上に立ち上がって大仰に身振り手振りで演技を加え本を読んでいたサラに、「おーい、サラ」と声がかかった。


「あ、リノお姉ちゃん」


 呼ばれたのに気が付いたサラの視線の先に呆れた表情のリノが立っていた。リノの存在に気が付いた年少の男の子が「リノお姉ちゃーん」と駆け寄って足に抱きついた。


「あんた、祠の掃除どうしたのよ?」


「……あっ!」


「あっ、じゃないでしょ。 ほらほら、早く支度する。 子供たちはわたしが見てるから」


「は~い」


 今日からサラは三か月間のあいだ村の守り神を祀る祠の管理者である。どんな神様なのか、なぜ若い独身女性だけが管理者となるのか、肝心な部分の伝承が途絶えているために分からない。ただ、村を守ってくれる神様だとは伝わっているために、何十年なのか何百年なのかずっと続いている。


「ごめんね、続きはまた今度。 お姉ちゃん、お仕事があるから」


 サラは申し訳なさそうに少年に本を返すと「えーっ!」と不平を言う少年の頭を撫でながら「ごめんねー」ともう一度言って支度をしに家に入った。


 支度を終え、外に出たサラは隣の家の前を通るとき、庭先に繋がれたちょっと情けない顔が愛嬌のある農耕馬の鼻先を優しく撫でながら「ロディちゃん、おはよう」と笑いかける。


 サラは村の中を進む。すれ違う村人に「おはようございま~す」と挨拶しながら歩き、畑のある一帯を通り過ぎて綺麗な白い花の咲く原っぱに出た。


 彼女は共同墓地の奥にある洞窟に向かう前、数日前に花を摘んだ場所に寄ることにした。母の墓前に供えた花が綺麗だったので神様にもお供えしようと思ったのだった。


「ふふふ~ん……♪」


 愉し気に鼻歌を歌いながら花摘みをしたサラは、気が付けば両腕に抱えるほどに摘んでしまっていた。


「あはは…… まぁ少ないよりいいよね。神様だって賑やかなのが好きだろうし」


 自分に言い訳しつつ、サラは共同墓地に向かう。墓地の中を通り、母親の墓の前をニコリと微笑んで通り過ぎたサラは洞窟の前まで来ると両手に抱えていた白い花の束を入り口わきに一度置いた。


 洞窟の入り口に掛けられている松明を手に取ると「……しまった。 火種忘れたぁ……」と、額に手を当てて溜息をつく。

 そして、仕方ないといった様子でサラは人差し指を立てて「む~っ!」と言いながら指先に意識を集中する。


 ぽっ、と指先に小さな火がともる。そして火がともるとすぐにサラは「熱ぅぅっ!」と叫びながら手をブンブン振って指先の火を消した。

 涙目で「……慣れない。 みんな何で平気なんだろ?」とぼやくサラ。しかし熱い思いをした甲斐あってちゃんと松明には火が移っていた。


 火のついた松明を手に、花束をもって洞窟に入ろうとしたところでサラは気が付く。


「あっ! 片手じゃ抱えきれない…… しまったなぁ、まぁ、持てるだけでいいか」


 摘んできた花束は松明を手にしていては全て持ちきれなかった。仕方なく持てるだけ持ったサラは洞窟の入り口付近に残りの花を残したまま奥へと進むことにした。


 暗い洞窟の中、松明の灯りを頼りにサラは奥へと進む。奥深くとはいえ一本道であるし慣れた道である。迷うことはなかった。


 やがて洞窟の最奥に、石で作られた祠というよりも祭壇といったほうが適切な構造物があった。

 正面に複雑な文様が彫られている。高さはそれほどなく、サラの膝上くらいの高さ。人間一人が寝転がれるくらいの広さで平らな祭壇の上には御神体として装飾的な鞘に収められた短剣が台に立て掛けられて安置されていた。柄には紅く綺麗な宝石が嵌っていた。


 サラは祠、祭壇に到着すると松明を壁掛けに掛け、持ってきた花束を近くの岩の上に置くと、ポケットから準備してきた綺麗な布切れを一枚取り出す。花束を置いた岩の隙間から流れ出ている湧き水で布を濡らすと軽く絞り、彼女は一生懸命に丁寧に祭壇を磨いていく。


「ふぅ…… こんなもんかな?」


 ひんやりと冷たい空気の洞窟内であったが、時間をかけて一生懸命に掃除をしたサラは軽く汗をかいていた。袖で額の汗を拭ったサラは岩の上の花束を手に取ると祭壇の短剣の前に供える。


「神様。 村のみんなをお守りください」


 胸に手を当てて真摯な気持ちで村の守り神に祈りを捧げたサラは、壁に掛けておいて松明を手に取って祭壇を後にした。


 洞窟から出て松明の火を消し、元あった壁掛けに松明を戻すと、サラは入る際に持ちきれなくて残していった花の残りのことをすっかり忘れてしまっていた。


 そのまま墓地内を歩き帰ろうとしていたサラの視線の先、村の方角に黒煙が昇っているのが見えた。風に乗って焦げ臭いにおいもする。


「えっ! 村が!」


 村の方角から昇る黒煙を見て蒼白となったサラは「襲われてる?! 魔物? 盗賊?」と混乱し、「どうしよう、どうしよう……」と言いながらあたふたする。


 その時、以前より父親から村が襲われたらとにかく身を隠せと言われていたことを思い出した。同時に「絶対に助けに行くからな」という父の言葉も思い出す。


 サラは村に背を向け、洞窟に向かって走る。


「大丈夫、お父さんが助けてくれる。大丈夫」


 自分にそう言い聞かせながら、サラは入り口近くに置いていた花を踏み散らし、暗い洞窟へと駆け込んでいった。

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