終章_05

 玉座の間でのアルダシルとオロデス殺害直後。 興奮したフラテスの命令はさすがに周囲の側近達によって止められた。臣下、国民に敬愛された皇帝の葬儀を蔑ろにして宴を開くなど、今後のフラテスの治世に影響が出ると言われては渋々ながらもフラテスは頷かざるを得なかった。


 側近達は少しだけホッとした。ただでさえ、皇帝逝去の直後に人望の高かった皇帝の実弟を殺害してしまったのだ。フラテスにこれ以上の失点をさせるわけにはいかなかった。



 翌日、エイラム帝国初代皇帝ティグラネスの訃報が国民に公表された。前日に魔女の処刑でお祭り騒ぎだった帝都の民は打って変わって静まり、偉大な皇帝の死を悲しんだ。

 同時にミフラン家の粛清も小さく公表されたのだが、皇帝の死があまりにも衝撃であったために呆然自失となっていた民は、今のところはそれに対しては大きな反応をみせることはなかった。


 皇帝の遺体は棺に納められ、彼が生前に用意していた初代皇帝専用の墓所へと運ばれた。


 そこは、かつて皇帝の師であった人物が引退の際に、教え子である皇帝が師の労に報いるために贈った庭園跡であった。

 贈った当初は城にほとんど隣接する場所にあったのだが、王国が帝国に変わり首都の規模が拡大するにつれ、王の住まいであった城は皇帝の住まいである宮殿となり、規模も拡大し庭園はその敷地に取り込まれることになった。


 皇帝が死後の居場所に選んだのは少年期から青年期を共に過ごした師との思い出の庭園ということであった。


 綺麗な花々の咲く庭園の奥に、貴族のものとしてはかなり小ぶりの、しかし品の良い館がある。館の中は訪れる者が祈りを捧げられるようにと、可能な限り壁が取り払われて広いスペースを確保するよう改築されていたが、生前の皇帝の意向なのか所々に生活感のある雰囲気が残されていた。


 部屋の中央に棺が置かれ、その手前に祭壇が設置された。


 葬儀は皇帝の生前の要望通りに質素に執り行われると決まった。大帝国を築いた初代皇帝の葬儀は本来なら盛大に行い、後継者である次期皇帝はその威光を受け継ぐ形で統治を始めるのが望ましいのだが、当のフラテスは費用も少なく済み葬儀自体もすぐに終わると知ると「先帝陛下の望みのままに」と、まるで先帝の意思を尊重しているかのような台詞を口にし、あとは興味を示さなかった。


 皇帝の訃報が知らされた翌日からの三日間、亡き皇帝の望みの通りに城内の庭園までの道のりは民に解放された。警備の兵が道の両脇を固める中を群衆が静かに行儀良く列を作り、老帝への最後の挨拶のために並んだ。


「もういいだろう。 とっとと終わらせろ!」


「いえ、これを解散させるわけには…… 暴動になるかもしれません。民に怪我人が多数でてしまいます。 陛下の御代の始まりを血で汚すわけには……」


 庭園から離れた塔の窓辺から群衆の様子を見降ろしながらフラテスが苦々し気に言うのを側近の一人がなんとか抑えようと説得に努める。既に自ら血で汚していることなど頭から抜け落ちているフラテスは舌打ちを一つしてその場から去った。


 数日後に皇帝への最後の挨拶が打ち切られると、棺は庭園の館の地下室に運ばれた。元々、この館には地下室は無かったのだが、ここを初代皇帝の墓所とするとなった際に相当に深く掘り進み、たった一人の棺を納めるには広すぎる空間を確保していた。


 地下へと進む長い階段を数人の男達に担がれた棺が降りていき、多数の柱で天井を支える広い玄室の中央に安置される。

 玄室から出たフラテスは大きく立派な扉が閉まるのを見るとニコリと笑う。


「終わった、終わった。 さぁ宴だ! もう構わぬだろう! ふふっ、ははははははっ!」




 それからは連日連夜の宴である。始めは”先帝陛下を偲んで”などともっともらしい理由を口実に、次に”新帝の即位を祝って”、”息子の皇太子就任を祝って”と、これ以降は面倒になったのか口実がなくなったのか、理由付けもなく開かれ続けた。


 今日もまた、舞踏会を開いたフラテスは上機嫌で酒をあおり、妃の手を取ってダンスに誘う。楽しそうに、笑顔を輝かせて。

 背が高く、若いころから美しい顔立ちであったフラテスは四十を過ぎてもその余韻があり、またダンスも上手かったし好きでもあって見事なものであった。


 その様子を少し離れて困ったように見つめる青年に、銀の盃を片手に持った別の若い男が近寄る。


「兄上、どうされたのです?難しい顔をなさって」


「プラアテスか。 こう連日宴が続くのはな……」


 フラテスの長男で皇太子のディオドトスと次男のプラアテスである。ディオドトスは優しい顔つきの美男である。しかし柔弱というわけではなく、細身ではあるが体もそれなりに鍛えられており、瞳には責任感と智の煌めきが宿る。


 弟のプラアテスは兄と似た顔立ちであるが、未だ少々幼さが残る。少し頼りなさそうな印象を受ける青年である。二十二歳と十七歳の兄弟であった。


「お嫌ですか? 父上が即位なされた今くらいは多少羽目を外すくらいいいのではありませんか?」


「うん、まぁ、宴や舞踏会自体は嫌いではないのだがな。 ミフラン家のこともある、とても楽しめる気がしない」


「ミフラン家…… ミトリダテスのやつ無事でしょうか?」


 プラアテスは思い出したようにオロデスの息子で自身と同年の友人の名前を出した。


「どうだろうな? ミフランの分家にも逃げ込んだ様子はなさそうと聞いている。 だがもし分家のマスバデス殿とミトリダテスが合流したら大変なことになるぞ。 ミトリダテスを擁立して反乱でも起こしかねん」


「ミトリダテスが? まさか。 しかしなぜ父上はミフランの分家を残したのです?」


「……側近達が必死になって止めたそうだ。分家には帝室の血が流れていないから滅ぼす理由はない、逆に本家の格を取り戻してやったと恩を売れる、とな。 逆効果と私は思うんだがな、父上は納得なされたようだ」


「ふ~ん……」


 あまり興味のなさそうな素振りでプラアテスは盃に口を付ける。


「お前なぁ…… はぁ…… もう少し危機感を持ってくれよ。 じゃ、私は仕事があるから」


 そう言ってディオドトスは扉に向かって歩き始めた。プラアテスは盃を口から離して「仕事?」と兄に問う。


「父上があの様子だろう? 決済が必要な仕事が山積みになってるんだよ。しかし先帝陛下は本当に偉大だよ、ひいお爺様が整備なさった官僚達が居なかったら今頃私は書類の山に殺されていたよ」


「あははははっ、兄上、大げさな」


 プラアテスは珍しく兄が冗談を言ったと思って笑った。しかし苦笑いしながらディオドトスは弟に向かって言う。


「笑いごとじゃないんだがなぁ…… プラアテス、少しは手伝ってくれないか?」


「え? あ、あぁ、いえ、私はその…… 父上のお相手を」


「そうか。 まぁ、人生を楽しむのは悪いことではない。 いつかお前が私を支えてくれるようになることを期待している。愛する弟よ」


 背を向けて軽く手を振ったディオドトスは扉の向こうへ消えていった。それを見ながらプラアテスは盃に口を付け、「兄上は苦労人だなぁ」とのんきに呟いた。




 その夜、酔ったプラアテスは自室のベッドに気分良く飛び込み眠りについた。まどろんでしばらく、薄っすらとした意識の中に物音を聞いて彼は目を覚ます。


「ガーユス、ディナン、どうした?」


 部屋の外にいる護衛の二人の名を呼びながらプラアテスはベッドから起きて立ち上がった。暗い部屋でプラアテスは目を凝らして扉のほうを見る。ゆっくりと扉が開いて人影が部屋の中に入ってきた。


 その人影が片手を軽く挙げた次の瞬間、部屋中の燭台に立った蝋燭に一斉に灯がともった。急に明るくなったためにプラアテスは目が眩んで一度目をつむる。そしてゆっくりと目を開けると、目の前に居るはずのない人物の姿を見てプラアテスは驚愕してその名を口にする。


「ヴィ、ヴィプサーラ!? 馬鹿なっ!」


 数日前に処刑されたはずである。プラアテス自身も民衆のお祭り騒ぎに同調してお忍びで街に繰り出して楽しんだ一人である。磔にされて運ばれるヴィプサーラの姿も自分の目で確かに見ていた。


「お久しぶりでございます、殿下」


 女は黒いフードを外して微笑み、プラアテスに挨拶をした。

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