終章_04

 悪事を行うなら静かに始め、誰にも気が付かれないうちに素早く終わらせるべき、なのだが。フラテスによるミフラン家の粛清は命じた当人が企図したわけではないがそのように進んだ。たまたま、処刑された魔女が曳き回されて行くのとは反対方向にミフラン本家の屋敷があったのだ。


 降ってわいた祭りに夢中になった民衆は、城から出た近衛の一隊の存在を気にすることはなかった。騒ぎにもならずにミフラン本家を取り囲んだ近衛の部隊は一斉に踏み込んで屋敷内を血の海に変えた。


 ミフラン家の分家の当主マスバデスがそれを知ったのは、本家から命からがら逃げてきた一人の使用人によってであった。


「何故だ?! 何故、陛下がミフラン家を?!」


 皇帝の崩御をマスバデスはまだ知らなかった。精悍な肉体を持つ五十男のマスバデスは本家の使用人の前で呆然として呟いた。そんな彼の許に家来の一人が慌てて駆け込んできて報告する。


「マスバデス様!屋敷が近衛に取り囲まれております!」


 報告を聞き目を見開いたマスバデスは落ち着こうとして大きく吸った息を深く吐いた。そこへ更に家来の一人が駆け込んできて言う。


「マスバデス様! 近衛の隊長がお話があると」


「……分かった。 伺おう」


 皇帝に殺される理由にはまったく思い当らなかったが、マスバデスは覚悟を決めた。こうなっても尊敬するティグラネス帝に歯向かうような考えは彼の頭には少しもよぎることはなかった。


「いえ、既にこちらに……」


 と、家来は扉のほうを見て言う。「失礼いたします」とマスバデスの部屋に武装した男が入ってきた。マスバデスは目くばせして本家からの使用人を部屋から退出させた。


「お久しぶりでございます、将軍閣下」


 入ってきた男は以前マスバデスが戦場で部下として使っていた男であった。いつの間にか出世して近衛の一部隊を任されているようだった。


「久しいな。 それで、ミフランは何の罪で陛下のお怒りを買ったのか?」


「いえ、ティグラネス陛下は神々の許へ旅立たれました。 ヴィプサーラに刺されて」


「なんだと! おのれっ!ヴィプサーラ!!」


 怒りで顔を赤くして強く拳を握るマスバデスに近衛隊長は「いえ、」と首を振って言葉を続ける。


「ヴィプサーラとアルダシル様のお言葉ですと、これが陛下のお望みであったとか」


「陛下のお望みだと? ヴィプサーラはともかく義兄上あにうえがそう仰ったのか?!」


「はい」


 腕を組み、「むぅ……」と唸り声をだしてマスバデスは考える。


「アルダシル様もお亡くなりに。 オロデス様も」


「そうか、フラテスのやつか」


「はい。 玉座の間でお二人とも斬られました」


 本家が襲撃されたと聞いて覚悟はしていたが、確実な情報として二人の死を聞くと悲しみがドッとマスバデスの肉体を襲う。それと同時に義兄と甥を殺したというフラテスに沸々と怒りが湧いてくる。


「それでお前はフラテスのめいで俺を殺しに来たというわけか?」


 マスバデスの問いに近衛隊長は「いいえ」と答えてフッと笑う。


「ミフラン家の者を殺せとのご指示を受けました。ですが、私共近衛としてはそれは本家のことのみと解釈して行動しております」


「拡大解釈が過ぎるな。分家もミフラン家だぞ」


「ですがフラテス様の御意向としては帝位を脅かす血筋を絶やせ、ということですので。 閣下には類が及ばぬように我々近衛の者共でフラテス様を説得できるのではと考えております。こちらを囲んだのは本家から取り逃がしたミトリダテス様の捜索という形だけのものです」


「ミトリダテスは?! 無事なのか?!」


「はい。 どうした訳かこちらの動きが包囲直前に漏れたようで…… 申し訳ございません、我々にはこの程度しか……」


「いや、助かった。礼を言う。 オロデスの子さえ生きていれば本家の再興は成る。 それで、ミトリダテスは?」


 近衛隊長は首を振りながら「逃亡先までは把握しておりません」と言う。マスバデスは「そうか」とやや落胆しつつも「すぐに探し出して保護せねば」と決意する。


「では、閣下。 私はこれで。 いずれフラテス様からお呼び出しがありましょうが、閣下の身の安全については我々がきちんと配慮いたします。 ……あまりの急展開で、アルダシル様とオロデス様殺害の折にフラテス様をお止めできなかったことを我々は悔いております」


「分かった。ご苦労だった」


 近衛隊長はマスバデスの労いの言葉を聞くと姿勢を正し、深々と礼をすると部屋を去っていった。




 二日後、呼び出されたマスバデスはフラテスの口から出た言葉を聞いて驚きのあまり顔を青くし、次いで怒りで真っ赤にしながらも最後まで耐えた。


「ミフラン家本家の地位を本来継ぐべきであったマスバデスに戻すこととする。 感謝せよ、マスバデス。 余がアルダシルを誅殺してやったのだ」


 確かにアルダシルがミフラン家に帝室、当時は王室から養子に入ってこなければミフラン家を継ぐのはマスバデスであった。しかしマスバデス自身はそれを不満に思ったことはないし、姉と結婚して義兄ともなったアルダシルを心から尊敬もしていた。両家の仲は非常に良好であったのだ。


「……かたじけない仰せです」


 歯を食いしばり、マスバデスにはそれだけを言うのが精いっぱいであった。




 屋敷に戻ったマスバデスは荒れに荒れた。手当たり次第に自室の家具調度品を引き倒しながら「おのれっ!フラテス! あの恩知らずが!陛下や義兄上から受けた恩を仇で返しおってっ!! 殺してやる!殺してやるぞ! あいつは皇帝にふさわしくない」と叫んだ。


「何故だ! 何故でございますか?陛下! 何故あのようなクズを養孫に!皇太子に! オロデスであれば十分に皇帝としての責務を果たしましたでしょうに!!」


 血を吐かんばかりに叫んで暴れていたマスバデスは、突然スッと静かになると傍にいた家臣の一人に命を下す。


「準備を静かに行え。皇帝陛下の喪が明けたら兵を挙げる。 それとミトリダテスの捜索を急げ」


「はっ!」




 それから更に数日。皇帝の埋葬も終わり、終わった途端に始まった新帝フラテスによる連日の宴に怒りを募らせ、一向に成果のないミトリダテスの捜索に焦りを感じていたマスバデスの許に一通の手紙が届いた。


「ミトリダテスから!?」


 宛名を見て驚いたマスバデスは慌てて封蝋を引きちぎると食い入るように手紙の内容を読み進める。


「軽挙は控えて頂くように、と? 明日の夜、郊外の森でお会いしたい……? 一人で来てほしい、か」


 手紙の筆跡は間違いなくミトリダテスのものだとマスバデスは思った。字に震えもないところから脅されて書かされたものというわけでもなさそう。直感的に罠ではないと感じたマスバデスは指定された場所に向かうことにした。




 松明を掲げ、馬に跨って森の奥へ進んだマスバデスの視線の先に松明を掲げる男の姿が見えた。


「おぉ! ミトリダテス!無事だったか!?」


「大叔父上! ご心配をおかけしました」


「ミトリダテスよ、どうして頼ってくれなかったのだ。 それに何故このようなところに――」


「大叔父上、それについてはこちらの御方から」


 ミトリダテスが視線を向けた先をマスバデスも追う。そこには黒い小柄な影が岩に腰を掛けていた。二人の視線を受けて影は立ち上がり、被っていた黒いフードをとる。松明の灯に彼女の耳を飾っていた金のピアスが小さく輝いた。


「ヴィプサーラ! 貴様っ!!」


「お、大叔父上! お待ちください! 話を!ヴィプサーラ様のお話を聞いてください!」


 腰の剣に手を掛けて今にも斬りかかりそうなマスバデスの前にミトリダテスが飛び出して止める。


「ヴィプサーラ…”様”だと?! ミトリダテス!先帝陛下のとはいえ、たかだかめかけごときに何を?!」


 そうは言うものの、ただの愛妾ではないことくらいマスバデスも分かってはいた。この女は、彼が物心ついたときから変わらずずっとこの姿のままなのだ。


 多くの者は最初、ただの若作りかと思っていたのだ。東方の国々から入ってくる怪しげな薬や化粧品、そんなものの効果かと思っていたのだ。十年程度なら理解できる。しかしそれが二十年、三十年と続けばおかしいと思う者が出てくる。だが、その時にはもう皇帝の寵愛を一身に集める愛妾に向かって問うことのできる者など一人としていなかった。


「落ち着いてくださいませ、閣下。 このようなところにお呼びたてして大変申し訳ございません。 本当でしたら、事情を知るアルダシル様かオロデス様にお願いするところでしたが、お二人とも既にお亡くなりになったと聞きまして」


「事情、だと?」


「えぇ、それを説明いたしますので、どうかご協力を。 陛下の愛した帝国のために、陛下の愛した方々、アルダシル様、そのお孫様であるミトリダテス様のためにも」


 そう言って女はニコリと微笑んだ。

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