第7話

10分程してから、再び瑠奈さんがリビングに戻って来た。どうやら会社に連絡をして、契約が成立した事を伝えたらしい。これで1年間の契約が正式に交わされたという訳だ。


「契約が無事成立下という事で…。それではこれより、ユウ君の警護を開始します!」


敬礼しながら、俺に向かって元気よく宣言する瑠奈さん。


「警護って…。家の中に居るから危険なんて無いと思うよ?」


「も〜、ユウ君ってば、ノリ悪過ぎてガチしょんぼり沈殿丸〜。こういうのは形から入るのが大事なんだよ?」


「…ガチしょんぼり…なんて?」


俺は耳慣れない単語を聞き返すも、瑠奈さんは頬を膨らませながら答えてくれず、代わりにニコッと笑顔を向けてくるだけだった。


どうもこの人は、時々何を言っているのか分からない時がある。まぁ、特に害はないし、深く突っ込まないでおこう。


「あ、明日、シフト10時から入ってるんだった。えーと、一緒に入ってる人は…金織さんか…」


これは明日気疲れしそうだな。と思いながら、シフトの紙切れに書かれた名前を読み上げると、目の前でソファで寛いでいた瑠奈さんが「金織?」と首を傾げた。


「それって大企業の金織グループの事?」


「話に聞いた事はあるが、金織さんってそんなに有名だったのか?」


「有名も何も、金織グループは世界的に有名な大企業じゃん。確か、警備関係の事業もやってるんじゃなかったかな。このマンションもその会社の系列会社が管理してた筈だよ」


「柊木さんも似たような事を以前に言っていたな」


麗華さんと金織グループの会長さんは旧知の中らしく、麗華さんがコンビニの経営を始めるという話を耳にした会長さんが『折角だから、マンションとコンビニを複合しない?』という会長さんの提案で、この複合型のマンションが建てられたと言う話だ。


『オーナーの仕事や、店長の仕事だけでも大変なのに、マンションの管理人も押し付け…じゃなかった。任されてるから疲労が半端ないよ〜』と、やつれた顔で麗華さんは言っていたが…。


瑠奈さんがまじまじとシフト表の金織香恋かなおりかれんさんの名前を見つめた。


「あーこの人かぁ。金織家の次女で、年齢は18歳。飛び級で大学を卒業してる秀才さんだね。ただ……」


瑠奈さんは、眉を八の字に寄せ、言葉を詰まらせる。何か問題でもあるのだろうか。何回か一緒にシフト入った事はあるが、そこまで問題がある様には…。いや、強いて言えば、あの性格と態度か。


「性格が破天荒と言うか、思い立ったら即行動する人、かな。オマケにかなりの自信家で負けず嫌い。何より、自分の価値観が絶対だと思ってるタイプだから、人と衝突し易い性格みたい。それでクビになった社員も多いって話だね」


ああ…。何か分かるかも知れない。俺は初めて香恋さんに会った日の事を思い出す。


確か、最初は俺と香恋さんは【店員と客】の関係だった。





◇◆◇◆◇◆



「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


「……は、はひ……」


まだ入ったばかりで、コンビニの仕事にも慣れていない頃。柊木さんに仕事を教えてもらいながらレジを担当していた。


その時に香恋さんが、買い物客として現れたんだ。


「全く!コンビニ如きのスイーツが食べたいなんて、お姉様のワガママには困ったものですわ。我が家には一流のパティシエが沢山おりますのに」


「まぁまぁ、香恋お嬢様。亜里沙お嬢様もたまには味変したいと思われたのでしょう」


「ふん!だからと言って、どーして私が庶民が行くような場所で、わざわざ買い物などしなければならないんですの?」


螺旋状に巻いた長い紫色の髪を揺らしながら、不満を漏らす少女と、付き添う茶髪の黒スーツの女性。


付き人の女性は周囲に威圧感を与える切れ長の瞳と180cmはあるであろう長身で、スレンダーな体型。見るからに出来る女性という雰囲気を醸し出している。


一方、紫髪の少女の方は、洋風人形の様な整った顔立ちに、肩ほどまで伸びたカールした紫色の髪が特徴の美少女である。


身長は166cmくらいだろうか?隣に立つスーツの女性と比べると、やや小柄に見える。


ただ、その表情は不機嫌そうに歪められており、不遜な態度も相まって、かなり近寄り難い印象を受ける。


だがしかし、そんな見た目とは裏腹に、彼女の放つオーラは尋常ではなかった。


俺は一目見て、彼女が只者では無いと悟った。


そんな2人が並んで歩いていれば、誰もが視線を向けてしまうだろう。しかし、当の本人達は周囲の目線など気にする事なく、そのまま店内を練り歩く。


「絵里、コレは一体なんですの?」


「それは抹茶プリンですよ、香恋お嬢様」


「抹茶…プリン?成程…」


手に取った商品のパッケージを見ながら、小さく呟く。


「気になるのですか?」


「なっ!?そ、そそそんな訳ありませんわ!どうして私が庶民の食べ物に興味を示さねばならないんですの!」


顔を真っ赤にさせながら、大声で否定する。

どうやら図星のようだ。


「恥ずかしがる事はありませんよ。香恋お嬢様も年頃の娘さんなのですから、甘い物や可愛い物が好きな事は恥ずかしい事ではありません」


「で、ですが…!」


付き人の女性はニコッと微笑みながら、優しい口調で言う。


「ご購入されてみては如何です?」


「フン!そこまで絵里が仰るのでしたら仕方ありませんわね。本当は別に要りませんけど!このゴ〜ジャスな私の舌を唸らせる逸品なのかどうか、私が直々に評価してあげますわ!オーホッホッホ!」


「(その高笑いする人、本当にいるんだ…)」


俺は心の中でツッコむ。漫画やアニメの世界だけだと思っていたが、実際に目にすると中々シュールだ。


「では、香恋お嬢様。お会計をなさって来てくださいませ」


「え?わ、私がやるんですの?絵里ではなく?」


先程までの自身に満ち溢れた表情から一変して、少女は不安げな様子で女性を見上げる。


その反応を見て、付き人の女性はクスリと笑った。まるで子供を相手にしているかのようだった。


「何事も経験でございます。お金を払う事に慣れておくのも良いかと思いますよ」


「うう…」


少女は不服そうな面持ちを浮かべながらも、渋々とレジへと向かって行った。


「いらっしゃいませ」


「え?ど、どうして殿方がこんな場所に?」


俺の顔を見た途端、少女はギョッと驚いた表情をする。此処に買い物に来た女性は皆同じリアクションだな。と内心苦笑しながらも、俺は冷静に対応する。


「お客様。商品を此方にお出し下さい」


「あ、ごめんなさい…」


俺はマニュアル通りに接客を進める。少女は少し戸惑いを見せながら、レジに持っていた品物を恐る恐る置く。


俺が品物のバーコードを読み取っている間、瞬きも忘れて俺の事を観察していた。


「2点で合計が425円になります」


「4…25円?や、安過ぎではありませんの?それ」


「いえ、当店の価格設定に間違いは御座いません。お客様がお支払いになられる金額は425円になります」


「ふーん。そう…なのね」


少女は納得したのかしていないのか分からないが、それ以上は何も言わず、ポケットから桃色の財布を取り出し、500円玉をカウンターに置く。


「500円お預かりします」


その様子を見届けた後、俺はレジを操作し、お釣りを取り出す。


「75円のお釣りとレシートになります」


しっかりお釣りを確認した後に、お釣りとレシートを少女に手渡す。その一連の動作に特に問題は無く、スムーズに作業を終える。そして最後に、お客さんが帰る時の決まり台詞を言う。


これもマニュアル通りだ。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


麗華さん曰く、俺はこの接客をした方が、買い物に来たお客さんが喜ぶらしい。


当時彼女に言われた事を思い出す───。


『いいかい、西原君?お釣りを渡す時は、こうやって相手の手を包み込む様に渡すんだよ?』


『わかりました。ですが、これって本当にマニュアル通りなんでしょうか?柊木さんにはお釣りはキャッシュトレイに置くだけで良いって聞きましたが…』


『柊木め…。余計な事を…。あー、それも間違いじゃないんだけど、西原君はこっちのやり方の方がお客さんは喜ぶと思うよ』


『はぁ…。わかりました』


念を押す様に麗華さんに言われてしまったので、俺は言われた通りのやり方で対応した。


その結果、目の前の少女の反応は、というと……。


「な……なな…!」


戸惑いの表情を浮かべながら、頬を紅潮させる。やっぱりこのお釣りの渡し方はマズかったのだろうか?


一抹の不安を感じて少女の顔を見るが、彼女は何も言うことなく、黙ってその場を離れて出口へと向かう。


「お嬢様!?お待ちください!」


スーツ姿の女性が慌てて先に出口へ向かう少女の後を追う。自動ドアが開き、外に出る直前、少女は振り返り、レジに居る俺の顔を再度チラッと見た。


その表情は、何か言いたげな様子だったが、結局言葉を発する事なく、そのまま店を去って行った。



◇◆◇◆◇◆



「はぁ…はぁ…。お待ちくださいお嬢様!一体どうされたのですか?店員の方に何か不都合でも?」


「そ、そういう訳じゃないですわ。あの殿方は何も悪くありませんの」


少女は必死に弁解する。その態度から嘘を言っているようには見えない。付き人の女性は不思議そうに首を傾げる。


「手…」


「手?」


「手を…優しく、ぎゅってしてくれましたの…。それも優しそうな雰囲気の殿方に!ですわ!」


「まぁ…」


少女は顔を真っ赤にしながら、興奮気味に話す。付き人の女性はその話を聞いて、目を丸くして驚いていた。


「お母様が仰るには、男性は女性を嫌っている生き物だから、喋りかけても無視するか、怒鳴り散らす方ばかりだと教わりましたわ。なのに……なのに……!彼は私の手をそっと包んでくれて、優しい笑顔で接してくれたんですの!それはまさに少女漫画に出てくる王子様そのものですわ!」


まるで恋をした乙女のように、少女は嬉々として語る。その光景を目の当たりにし、付き人の女性は「お嬢様にも春が…」と呟いていた。


「絵里、私は決めましたわ」


覚悟が定まったような表情で、真っ直ぐ己の付き人の女性の顔を見る。何だか非常に嫌な予感がした。


「意中の殿方を射止める為に、私もコンビニで働きますわ〜!」


「は?え?働く…?香恋お嬢様が、コンビニで…?」


訳の分からない宣言に付き人の女性は困惑する。我が主は、時折暴走する癖がある。今回のは今までの比ではない。


「本気で仰っておられるのですか?」


「勿論ですわ。金織家次女であるこの金織香恋の言葉に二言はありませんの」


自信満々の面持ちで答える。こうなったら、もう誰にも止められない。付き人の女性は、諦めた様に溜息をつく。


「……畏まりました。ですが、香恋お嬢様のお母様に御相談してから」


それから数日後。


俺が働いているコンビニに新人のアルバイトが入った。名前は金織香恋。年齢は18歳。


数日前に、俺が接客を担当したあの時の彼女だった。


「金織香恋と申しますの。こう見えて、かな〜り良いとこのお嬢様なんですのよ!下々のあなた方とは住む世界が違いますわ。ああ、でも、怖がる必要は御座いませんわ。庶民の皆様にも分け隔て無く接するのが、上流階級に生まれた者の務め。なので、安心して接して下さいませ。オーホッホッホ!」


「金織?金織グループの令嬢?ま、まさか…ねぇ?」


「まさかも何も、大当たりでしてよ?」


「本当に金織グループの令嬢様だったー!!」


高笑いをしながら自己紹介をする香恋さん。隣に立つ柊木さんの表情を見れば、かなりげんなりとしている事がわかる。


よく面接通ったな……。

そんな疑問を抱きながらも、挨拶を返す。


「初めまして…では無いですよね。以前、うちのコンビニでお客さんとして来られた時に、お会いしましたし。西原悠斗です。宜しくお願いします」


「ええ、存じておりますわ。やっっっと!お会い出来ましたわね、西原様。この日をずっと心待ちにしておりましたのよ。あの、不躾なお願いで申し訳ないのですが、手を握っても構いませんか?」


「?手を?ああ、構わないが…」


俺は特に躊躇う事もなく、右手を差し出す。すると、香恋さんは、俺の手を握った。

柔らかく、温かい感触が手に伝わってくる。


緊張しているのか、少しだけ汗ばんでいる。だが、不快感は全く感じなかった。


「なぁ、これにはどういう意味があるんだ?」


俺は彼女の行動の意図が分からず、思わず首を傾げた。


「あ、握手…ですわ。これから長ーい付き合いになりますから、これから宜しくという親愛の証みたいなものですの。オホホホ!…ふぅ、これで満足致しましたわ。それじゃあ、これからよろしくお願いしますわね?西原様!」


「ちょっと待った!私を置いてけぼりにして勝手に話を進めるな!もっと私の存在に触れろー!」


俺と香恋さんの間に柊木さんが割って入る。

確かに、さっきから蚊帳の外状態だったな。


「私は柊木千里!西原君の先輩で、そして、君の教育係でもあるから!此処で働くからにはビシバシ指導していくから、覚悟しておくようにね」


「お手柔らかにお願い致しますわ。柊木様」


「さ、様ぁ!?た、確かに私の方が先輩だけど、様は別に必要無いかなぁ…なんて」


様付けされた事に驚き、あたふたとする柊木さん。その様子が面白く見えたのか、香恋さんは上機嫌で笑う。


「あら?お気に召しませんでしたの?」


「天下の金織グループの令嬢様に、様付けされると流石に萎縮しちゃうかなって…。私の事は普通にさん付けでいいよ!」


柊木さんはそう言って、彼女に手を伸ばす。

その手を見て、香恋さんは微笑みながら自分の手を重ねた。

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