第6話

目の前で片手をヒラヒラさせながらニコニコ笑う彼女。

言いたい事は色々あるが、とりあえず、玄関で立ちっぱなしにするのは申し訳ないので「取り敢えず、部屋の中で話さないか?」と声を掛ける。


「助かったよ〜。このまま『何で来たんだ?』って帰らされたらどうしようとか思ってたからさぁ」


「俺はそこまで鬼じゃないけど…。そもそも、どうやってマンションに入ったの?このマンションって、結構セキュリティは厳重な筈だけど…」


「ユウ君が働いてるコンビニのオーナーさんに事情を話したら、マンションに入れてくれてね〜。まぁ、本当に男護なのか会社に確認取ったりしてたから、結構時間掛かったけど」


「成程…」


男が住んでいるマンション。前世であればそのくらい何でもない普通の事だったが、この世界では違う。男との出会いに飢えてる女性達は、男が1人暮らしをしてると知れば、無理矢理にでもセキュリティを突破しようとしてくるだろう。


万が一、同じマンションに住んでいる住人が、俺が此処に住んでいる事をネットにでも書き込んだら、一瞬で噂は広まる。


だが、今の所、そう言ったトラブルは起きていない。もしかしたら、同じマンションに住んでいる住人の人達が、俺に気を遣って、敢えて何もしないでいてくれているのかも知れない。


「おー、これが男の子の部屋…。初めて入ったかも…。うん。結構片付いてるじゃん」


瑠奈さんが興味津々な様子で、俺の周囲をキョロキョロと見回し始める。自分の部屋の中をジロジロと見られるのは、あまり気分の良いものではないが、マヤ姉や母さん以外の女性を部屋に居れた事がないので、俺も新鮮だった。


「適当に寛いでて。飲み物は紅茶しかないけどいい?」


「いいよ〜。ありがと〜。あ、それとこれ。お土産のクッキー。良かったら食べて」


色々物が詰め込まれた、パンパンのリュックの中をゴソゴソと探り、缶入りのクッキーを手渡してきた。


それを受け取ると、お菓子を収納している棚の中に入れる。


瑠奈さんがリビングに腰掛けると、俺は台所に向かい、湯を沸かして紅茶の用意を始めた。手際良く準備を進め、後はカップに注ぐだけだとホッと一安心した時、瑠奈さんが唐突に声を上げた。


「あ、そだ。言ってた契約書持ってきたよ。マナミンったらさー、あたしが『1年間、男の子の専属警護をする』って言ったら『…正気か?会社随一のトラブルメーカーのお前が?』って、わけわかめな事言ってさ〜。全く失礼しちゃうよね〜」


頬を不満げに膨らませながら、瑠奈さんがブツクサと愚痴を零す。…わけわかめって何だ?分けたワカメか?


「へー。マナミンって誰なんだ?」


「ん〜?ああ、あたしの上司だよ。あたしよりも2個上だけど、入社した時期があたしと同じくらいなの。あたしよりもテキパキ仕事してて、周りからも頼りにされてるから、いつの間にやらあたしよりも先に出世しちゃったんだよね〜」


その言い方だと、自分は周りから頼りにされていないと言っている様なものなんだけど、瑠奈さんの表情を見る限り、本心からの言葉なんだろうと察せられる。


「ふと思ったんだが、その髪色って会社だと大丈夫なの?」


瑠奈さんのピンクに黒が混ぜ合わさった、謎の配色の髪の毛を見ながら、俺は何気なく質問をした。


「うちの会社はそこら辺フリーだよ。でも、マナミンにはよく怒られるかな〜。『男性を護る立場の人間が、男性を怖がらせてどうする!』って」


俺も前世で瑠奈さんみたいな髪色のギャルとすれ違ったら、とりあえず怖いから目を合わせないようにすると思う。


「紅茶出来たよ」


「お、ありがと〜。んじゃ早速。……うまっ!?何これ鬼うまなんだけど!」


一口飲んで、目を丸くしながらそう叫ぶ瑠奈さん。そんなに美味しいのだろうか。


少しだけ気になったので、俺も紅茶を一口飲む。


……うん。只の熱い紅茶だな。


別に特別美味しい訳でもない。何の変哲もない普通の味。


瑠奈さんはさっきまでマナミンさんの文句を言っていたのに、今は上機嫌で紅茶を飲んでほっこりしている。


「それで契約書の話なんだけど…」


俺がそう切り出すと、瑠奈さんはハッとした表情を浮かべ、居住まいを正してから俺の顔を見た。


これから大切な話をする。そんな雰囲気が感じられる。俺もそれを感じ取り、真剣な表情で話を聞く姿勢をとった。


「えとね、これが契約書。で、これが契約に関する書類ね。1年間の契約期間の間、ユウ君を全力で護る事があたしの仕事ね。んで、これが会社とあたしのサイン。その下にユウ君の名前とサインを書いて貰えれば、契約は成立ってわけ」


瑠奈さんから説明を聞きながら、まじまじと契約書と書類を見つめる。3ヶ月で5万5千円。5ヶ月なら6万7千円。1年なら15万円。なんと言うか、金額設定にバラつきというのか、悪意を感じなくもないが、この世界ならこれが普通なのか?


「この『契約期間終了後は、契約した本人にお任せします』って言うのは……」


「護衛を延長するか、終了するのか。その判断を依頼主に委ねるの。もし…、君がもういいやって思ったら、いつでも契約を解除していいよ。只、契約期間中に護衛を終了する場合は、キャンセル料が発生するから気を付けてね」


瑠奈さんがそう説明すると、俺はコクリと小さく首を縦に振った。


「じゃあ、今から名前を書くから待ってて」


ペンを取り、契約書に書かれた内容に目を通しながら、スラスラと自分の名前を契約書に書き込む。


「はい」


「ありがと〜♪」


書き終えた契約書を瑠奈さんに手渡すと、満足気にニコニコ笑いながら契約書を受け取り、バッグの中に大事そうに仕舞い込んだ。


「そういえば、専属の男護って、依頼主と一緒に生活する、みたいな会社の決まりでもあるの? あんなに大きな荷物を一杯に抱えながらやって来てたけど」


「ん?無いよ?」


「無いの!?」


瑠奈さんが当たり前じゃんみたいな顔をしながら答える。俺は思わず声を上げて驚いてしまった。


「男護としては、男には常に護れる位置に居てもらいたいのは確かだけど、男は皆気難しい生き物だから、なるべく近くに居て欲しくない。自分のプライバシーに女が入って来るな。って考えの人が多いからそうもいかないの」


「じゃあ、尚更何であんなに大量の荷物を持って、俺ん家に来たんだ? 」


「ユウ君なら優しいから、一緒に住むことも許してくれるかな〜…なんて、その…、思ったんだよね」


自分で言ってて自信無くなってきたのだろう。瑠奈さんの言葉尻がどんどんと小さくなっていく。掴み所がない女性だと思っていたけど、案外分かりやすい性格なのかもしれない。


「俺は構わないよ」


「え!マ!?…じゃなかった。本当に?あたしがこんな事言ったら気持ち悪いとか思わないの?」


俺はフッと口元を緩め、微笑んだ。


その言葉に嘘はない。瑠奈さんみたいな可愛い女の子と同居出来るのであれば、男としてはむしろ望むところである。


「思わないよ。瑠奈みたいな美人な女性と一緒に住めるなんて、男として寧ろ大歓迎だ」


「び、美人とか…。大人の女を揶揄うのも程々にしろし!もぅ…、照るじゃん……」


「俺も大人だけどね」


瑠奈さんが顔を赤くしてモジモジとしている。その様子が可愛くて、俺はクスリと笑った。


人を弄るのは好きだが、自分が弄られるのは慣れてないのだろうか。なんともウブな反応を見せてくれる。


「って、やばば!忘れる所だった!会社に契約成立したって、電話しとかないとだわ。ごめんユウ君!ちょっと席外すね!」


スマホを片手に慌ただしくリビングの外へと向かう瑠奈さんを、俺は「わかった」と見送る。


落ち着きのなさに苦笑いしながら、紅茶の残りをゆっくりと飲み干した。

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