第8話

「……ハッ!?」


「ユウ君、だいじょぶ〜?急に喋んなくなって、カレンダーの方をボォーッと見始めたと思ったら、今度は固まったみたいに動かなかったけど〜」


心配そうに俺の顔を覗き込む瑠奈さん。

金織さんとの出会いを思い出していたら、いつの間にか意識が飛んでいたらしい。


「あ、ああ…。ごめん、大丈夫だ」


「そ?なら良かった。今日の夕飯どうしよっか?出前で何か頼む?それとも外食にする?」


「そうだな…。いつも飲んでるエナドリのストックが無くなりそうだから、今日は一緒に買い物に行こうか」


「お、いいねぇ!行こ行こ!」


冷蔵庫の中は食材が殆ど残っていない。

買えるものは今日中に買い溜めしておきたい。尤も、冷蔵庫の中身なんて、お酢やドレッシングとかの調味料くらいしか置いていないのだが。


俺がそういうと、瑠奈さんは嬉しそうな笑みを浮かべる。


こんな何気ない会話でも喜んでくれるのは嬉しい。俺はそんな彼女を見つめながら、小さく口元を緩めた。


「何処に買い物に行く〜?」


「此処から15分歩いた所に、俺が何時も買い出しに行ってるスーパーがあるんだ。そこで色々と揃えよう」


俺達は支度を済ませ、マンションを出る。外は夕方。空がオレンジ色に染まり、雲が赤紫に染められている。


瑠奈さんを部屋に招き入れた時は、まだ外の景色が明るかった気がするが…。時間が経つのは早いものだ。


「此方の準備は万端です。出発でしたら何時でもどうぞ」


「ああ、判った。だが、その前に、尋ねたい事があるんだが…いいか?」


「…?いいですよ。何でも訊いて下さいませ」


「その口調は一体何だ?それに、何でスーツに着替えた?」


俺の視線は、目の前にいる瑠奈さんの格好に注がれている。彼女は今、上下真っ黒なスーツに、青色に白い大きな斜め線の入ったショートネクタイを着用している。


その姿は何というか……。

カッコイイ。


普段着のラフな服装も良いが、こういうフォーマルな服も似合うなぁ……。と、俺は思わず見惚れてしまった。


「自分自身への戒め、ですよ。普段着だと、どうも気が緩んでいけませんからね…。それに、これを着てると無意識の内に身が引き締まるんです」


よく分からないが、スーツを着る事によって、仕事モードに入る為のスイッチみたいなものがあるのだろうか? 瑠奈さんなりのこだわりみたいなものが感じられた。


ちょっと気持ちは分かる。俺も寝起きは頭の中がボォーとして中々クリアにならないが、仕事用のスーツに袖を通した瞬間、頭の中のモヤが一気に晴れ渡るのだ。


人は誰しも自分に合った環境を作る生き物。例えば、勉強する時に机に向かっているより、作業用の動画やラジオ、BGMを聴きながらの方が集中できる人がいるように、自分にとって心地よい場所というのは自然と出来上がってくるものである。


「気持ちはよく分かる。俺も会社員の頃は…いや、何でもない。それより、そろそろスーパーに向かおう」


「……? 判りました」



俺がスーパーへと歩いて向う間、瑠奈さんは何時もの人懐っこい笑顔を消して、真面目な顔で隣を歩き続けた。





◇◆◇◆◇◆




スーパーの店内に入ると、独特な籠もった空気が俺達を迎える。辺りを見渡しながら買い物カゴを取り、野菜コーナーや肉・魚コーナーへと足を運ぶ。


「何か食べたい物とかある?」


「いえ、特には。ユウ君に任せます」


俺の質問に瑠奈さんは首を横に振る。口調は変わっても、『ユウ君』呼びは変わらないらしい。


「え、男?何でスーパーに買い物なんか…」


「めっちゃ私好みの男前じゃん。声掛けてみようかな?」


「止めとけ止めとけ。隣に殺気を撒き散らした男護の姿がお前には見えんのか?手出したらぶっ飛ばされるぞ」


周囲の女性客達から俺達の事を噂する声が聞こえる。一人で買い物してる時は声を掛けて来る人が多かったが、今日は誰一人として声を掛けて来ない。


これも男護パワーと言うやつなのか?


よくわからんが、俺はそのまま買い物カゴを片手に店内を歩き回った。そして、肉売り場で足を止める。今日は鶏肉の安売りか……。


丁度良いな、今日の夕飯はチキンカレーにしよう。そう決めた俺は、鶏肉をカゴの中に入れる。


「鶏もも肉に玉ねぎ。しめじにカレールー。有塩バターにウスターソース。米は家にあるからいいか…。うん、こんなものでいいかな」


「終わりですか?」


「うん。今日はチキンカレーにしようかと思って」


「チキンカレー…良いですね。私、結構辛いの好きなんですよ」


瑠奈さんは口元を緩ませながら言う。ここに来るまでずっと真面目な表情を崩さなかったので、漸く自然な笑みを浮かべてくれた事に内心ホッとしていた。


何というか、あまりにも普段と仕事時では雰囲気が違い過ぎる。仕事モードの瑠奈さん…。


とてもカッコいいな…。


「私の顔に何か付いてますか?」


「え……?いや、何でもない」


見惚れていたなんて言える訳もないので、俺は瑠奈さんの視線から逃れる様に顔を右に逸らした。


「ひょえ…!?」


「こ、こっちに気付いたぁ!?どど、どうしよう!お姉ちゃん!」


逸らした視線の先に、思わぬ人物が居た。

肩先まで伸ばされたボサボサの紺色の髪。そして、目元を覆い隠す程に伸びた前髪。その髪の隙間から、鋭い眼光が俺を捉えていた。


彼女は確か…、俺が働いているコンビニでたい焼きアイスを必ず買う常連さんだ。隣の同じ髪色で大きな赤いリボンをした子は…初めて見たな。誰だろうか?『お姉ちゃん』って言ってたから、姉妹なのか?


「て、撤退!撤退するのよ幸菜ゆきな!王子様の視界に私達みたいな陰キャが映るなんて、天罰が下るわ!」


「え?ええ!?待ってよお姉ちゃぁぁぁぁん!」


大声で撤退と口にするたい焼きアイスを毎回買う常連さん。…というか、あの人のあんな大声初めて聞いたな。毎回コンビニに買い物に来た時は、小声でボソボソ喋るからかなりビックリした。


彼女は足早にこの場から去って行った。残された幸菜と呼ばれた少女は姉の背中を見つめながら、その場で呆然としていた。


まるで嵐だな……。


「えとえと!お騒がせしましたぁぁぁぁぁ!」


暫くすると、彼女は慌ててその場から離れた。


「何というか…とても賑やかな人達でしたね」


瑠奈さんはその一部始終を不思議そうに見つめていた。

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