025 ニコラス

 ニコラスは、今日が人生で一番の日だと思った。


 研究一筋で気がつくと55歳。

 同僚たちが結婚して幸せな家庭を築く中、彼には相手がいなかった。

 それどころか、この歳になるまで恋愛をしたことすらない。


 そんな彼のささやかな楽しみと言えば仕事の後の食事だ。

 馴染みの酒場に行き、カウンターの隅で一人、酒を啜りながらメシを食らう。

 下戸ではないが酔いやすい性分なので、どちらかと言えば食べるのがメイン。


 ところが、この日は違っていた。


「お隣に座ってもよろしいですか?」


 美しい女性が話しかけてきたのだ。

 歳は30代前半で落ち着いた印象を受ける。


「他にも席が空いているのに、どうして僕の隣に?」


 当然の質問をするニコラス。

 すると相手の女はニッコリと微笑みこう言った。


「だってご高名なニコラス先生なんですもの」


 ニコラスはロバディナ王国の学者の間だと有名だ。

 優秀な研究者TOP10があれば7位くらいに名前が入るほどである。


 だから彼は、女のセリフを疑うことはなかった。

 むしろ自分の研究を知っている人だと分かって嬉しくなった。


「君も学者かい? 何の研究をしているの?」


「先生と同じですわ。ですので、私にとって先生は憧れの人なんです」


 美女の発言にニコラスの心が躍った。

 それからはいつになくペラペラと話し、調子に乗って酒を飲んだ。

 そして――。


「どうしてこんなことに……」


 気がつくと巨額の借金を抱える羽目になっていた。

 非合法の裏カジノで、全身から脂汗を垂らすニコラス。

 目の前のルーレットは、非情にも彼の敗北を告げている。

 一緒にいたはずの美女はいつの間にか消えていた。


(あんな美しい女が僕なんかに声を掛ける時点で疑うべきだったんだ。ちょっとおだてられたからっていい気になってこんな店までのこのこやってきて……僕ってなんて馬鹿なんだ!)


 事ここに至り、ニコラスはようやく察した。

 自分が嵌められたことに。

 酒場で知り合った美女は餌で、自分はまんまと釣られた間抜けな魚だ。

 しかし、誰がどうして嵌めてきたのかは分からなかった。


「ずいぶんとお困りのようですね」


 絶望するニコラスのもとに、一人の女が現れた。

 王国では知らぬ者のいない老練な元騎士団長を引き連れて。

 ――ミレイだ。


「あなたは……キーレン家の……」


「その借金、私が立て替えてさしあげましょう」


 ニヤリと笑うミレイ。


「よろしいのですか?」


 縋るようにミレイを見るニコラス。


「もちろんですわ。ただし、条件があります」


 この言葉で、ニコラスは分かった。

 誰が自分を嵌めたのか。

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