024 仮病

 私の首を絞めるミレイの顔は、まるで別人のようだった。

 目はカッと開いて血走っていて、獣のような呻き声を出している。


「ミ、ミレイ、様、なんで」


「ここでフリック様とまぐわっているのか!」


「え……?」


 またしてもフリックスをフリックと呼んでいる。


「聞こえないほど私の声は小さいか!?」


「いえ、聞こえ、聞こえています」


 ゲホゲホと咳をしながら答える。

 息がまともにできなくて苦しい。

 どうにか払おうとするが全く動かなかった。


「なら答えろ! ここでフリック様とまぐわっているんだろ!」


「そんなこと……していな……」


「お前は彼にどんな媚びた声を出すんだ!? この汚らしいゴミ! カス!」


 完全に別人だ。

 表情だけでなく言葉遣いからして違う。

 ミレイの豹変ぶりは恐怖以上に驚きがあった。


「私とフリックスさん……は……只の……」


 声が出なくなっていく。

 脳に酸素が送られていないのが自分でも分かる。

 意識が朦朧としてきた。


(このままじゃ死んじゃう)


 だが、どうすることもできなかった。

 ミレイの力は尋常ではなく、私の抵抗を許さない。


「どうした! 話せ! どうやって彼に取り入った!? どうやったんだ!? 言え! 早く! 薄汚い娼婦の演技を見せてみろ!」


 ミレイは私の顔に唾を吐き、意味の分からないことを捲し立てる。


(もうダメ……)


 完全に意識が途切れようとする。

 そんな時だった。


「おやめなさい!」


 誰かが部屋に飛び込んできて、大慌てでミレイを引っ剥がした。


「フリックスさん……?」


 と思ったが、別人だった。


「邪魔をするなアルベルト!」


 ミレイが吠える。

 突如として現れたのは彼女が全幅の信頼を置く護衛だ。

 私も何度か話をしたことがある。


「そうはいきません! このことがあの方に知られたら大変なことになりますよ!」


「うるさい! 黙れぇええええ!!!!!!」


 ミレイがアルベルトの脇をすり抜けて迫ってくる。

 鬼の形相で私を睨み、再び跨がろうとしてきた。

 ところが――。


「ガッ……」


 直前のところでアルベルトの手刀が炸裂した。

 躊躇なくミレイの頸椎を捉え、一瞬にして失神させたのだ。


「大丈夫ですかな? アイリス殿」


「な、なんとか……」


 左手で喉を触りながら体を起こす。

 すぐ隣には意識を失いうつ伏せで倒れるミレイの姿。


「あの、これはどういう……?」


 困惑する私に対し、アルベルトも困惑した顔で言った。


「ミレイ様は精神の病気を患っておられていまして、時折、こうして錯乱状態に陥ってしまうのです」


「そうだったんですか?」


 たしかにミレイの様子は異常だった。

 精神の病気を患っているとの説明には筋が通っている。


「このことはライル様や他の貴族も知らない極秘の情報です。他の方に知られると大問題になりますので黙っていてはもらえないでしょうか。お金ならいくらでもお支払いいたしますので、どうかお願いします」


 アルベルトが深々と頭を下げる。


「分かりました。お金は不要です。この件はなかったことにしますね」


「寛大なご対応、誠に恐れ入ります」


 アルベルトはミレイを抱えた。


「ミレイ様は疲労のあまり眠りに就いたと説明しますので、そのように口裏を合わせていただきますようお願いします」


「はい、そうします」


「助かります」


 アルベルトは軽く会釈してから部屋の外に向かう。


「あの、アルベルトさん」


「どうなされましたかな?」


 アルベルトが振り返る。


「先ほどミレイ様に仰っていた『あの方』とは?」


「あの方?」


 どうにもピンッとこない様子。


「はい。『このことがあの方に知られたら大変なる』と」


「ああ」


 そこで妙な間を置いてから、アルベルトは答えた。


「それはライル様のことです」


「なるほど」


「ではこれで」


 それ以上の会話を避けるように、アルベルトはそそくさと出ていった。


 ◇


 しばらくして、ライルとフリックスが帰還。

 私はアルベルトと示し合わせた通りのことを説明した。


「いやはや、あまりにも運転が楽しくてつい時間を忘れてしまったよ」


「それに同い年ということで盛り上がりましたな! ライル殿!」


「おいおいフリックス、もうそういう関係じゃないだろ? 俺のことはライルって呼んでくれよ! 車内の時みたいにさ!」


「さすがに皆の前ではまずいだろう。立場というものがある」


「それもそうか! ではまたいつか、機会があればプライベートで会おう!」


「そうだな! またなライル!」


「おう!」


 驚異的な速度で仲良くなった二人が固い握手を交わす。


「アイリスもまた会おう!」


「はい! ライル様、お気を付けて!」


 ライルは上機嫌で馬車に乗り込む。


「出せ!」


 アルベルトが合図をして、馬車が動き出す。

 辺りが真っ暗になっている中、ライルたちは帰っていった。


「実にいい男だな、ライル」


 消えゆく馬車を見送りながらフリックスが呟いた。


「私よりも仲良くなっていましたね! 嫉妬しちゃいますよ!」


「安心しろ。俺の一番は君だよ、アイリス」


「プッ! やめてくださいよー、気持ち悪い」と吹き出す私。


「…………」


 フリックスは何も言わずに頬を膨らまし、家の中に入っていく。

 気持ち悪いは言い過ぎたなと反省。

 ミレイの件については、アルベルトとの約束通り言わないでおいた。

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